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いつも上機嫌でなくていい!

このところ、私の身に、革命が起きている。

ライター職を逸し、データ入力の職に就き、ゆかいな上司と先輩と、ゆかいなやりとりと程よい距離感、ああ最高だなと思っていたら、ここ数週間で担当業務の難易度が急激に増した。

そうなる前までは、上司や先輩方が、無理しちゃってたりご機嫌がななめだったりする気配を、とても敏感に感じ取っていた。……まあ、感じ取りながら何もできないことがほとんどだったけど、少なくとも「反応」するアンテナは立っていたのだ。

けれど、その余裕がなくなった。すぐ隣で笑い話が巻き起こっていても、それに反応することができない。みんなから見たら今の私は、ただただむっつりと、1日中、パソコンに向かうおばちゃんにしか見えないだろう。

幼い頃から、親がいつどんなタイミングで不機嫌になるのか、さっぱりわからない家で育った。父のご機嫌が上昇すると、母のご機嫌が下降する。そのふたりに挟まれながら私は、家族の食卓で、ふたりのご機嫌を汗だくでうかがった。父からあふれるウンチクを、ウンウンスゴイネエと聞きながら、黙り込む母のご機嫌をすくいあげるための話題を振る。ライター時代、座談会や対談取材を進行するのに要した筋肉のほとんどを、私は両親に鍛えてもらったと思っている。

そんなふうだったから、私は「常に上機嫌でなくてはならない」を自分自身に、必要以上に課しながら育った。誰かと時間を共にするなら、決して不機嫌になってはならない。少しでも「上機嫌ではない状態」を人さまに見せようものなら、速攻で斬り捨てられると思っていた。

でも、そんなこと、全然ないのだ。

今の会社に入りたての頃、私を指導してくれた若き先輩は、仕事量が猛烈になると、ずどーーーん!!と音を立てて自分のシャッターを閉める。まわりが騒いでも反応しない。呼吸をしてないんじゃないかと思ってしまうくらいに、ひたすら入力作業に没頭している。とてもじゃないけど話しかけられない。せめて、せめて息ぐらいはしてくださいと自席から念じる。

彼女を見ていて、これでいいんだ……!って思ったのである。何が起きても、自分がそれどころではなかったら、別に反応しなくたっていいのだ。何かにエネルギーを注ぎ込み中なのなら、それ以外のことにガソリンを使わなくたっていいのだ。

自分のガソリンの使い方は、自分で決めれば、全然いいのだ。

常に「上機嫌」でいなくても。隣で起きてる笑い話に逐一参加しなくても、私の席は、あの会社のあのフロアの、あの場所にありつづける。

おとなになったぜ。ようやく、いまごろ。(2021/04/16)

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