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アラフィフがゼロから就職活動

 しばし無職状態を満喫し、いよいよ、就職活動に手をつけ始めている。ここに書いたとおり、「就職」自体にものすごく苦手意識があるものだから、ネットやアプリで求人情報を物色している時点で、心臓がばくばく言い始める。

 とはいえ、この歳になると、「なんでもかんでも受ける!」みたいながむしゃら感は発動しない。そうやって無理くり得た職は、長続きしないし、ただただ消耗するばかりだということを私は知っている。接客とか体力仕事とか、つまり自分にできないことを身に着けなくてはいけないと、深夜の牛丼屋でバイトしたことがある。まるで身が持たなかった。

 まず、「やれる仕事」と「やりたい仕事」は違う、ということをわきまえなくてはいけない。「やりたい仕事」のみをターゲットにすると、就職活動はきわめて困難になる。けれどその境界線を無視して、「やりたくはないけど、やれる仕事」ばかりをピックアップしていると、なんというかこう、暗澹たる気持ちになる。私は、ここまで我慢しないと、食べていくこともできないのか!と。

 「やりたくないけど、やれる仕事」しか目に止まらないときは、その仕事をしている自分を想像する。他になにか、わくわくする要素はないかと吟味する。たとえば、その会社がある街はどんな街だろう。会社帰りに立ち寄るような、美味しいお店はないだろうか。朝起きて、会社へ行くのが面倒に思えたとき、「今日は帰りにあそこへ寄ろう」って思うだけで布団から起き上がれるような、そんな寄り道先はないだろうか。グルメサイトをひらいて、近辺のお店を物色する。美味しそうな料理写真に時間を忘れる。……あれ、私、何してたんだっけ。

 なにも、仕事そのものからしか、喜びを得てはいけないわけではないのだ。

 今回は、ネットでとある有名企業の求人を目にした。「やれる(であろう)仕事」だった。応募ボタンを押す指が震える。いつもそうだ。私は何をこんなに恐れているんだろう。相手が誰であれ、中身がどうであれ、「ジャッジされる」ことのすべてが、私にはハッキリと恐怖である。

 すべての採用試験を、オンラインでやれてしまうという最先端企業だ。性格をはかるための適性検査。仕事の処理能力をはかるためのシミュレーション。スマホの動画機能を駆使した自己PR。コミュニケーション能力をはかるための録画面接。質問が文字で表示され、その回答を3分以内で語りきる。

 録画面接に至っては、何度練習してもよし、ということだったので、喉が痛くなるまで練習をした。練習のための仮質問が3つほど用意されていて、その3つをぐるぐると何周もするのだ。気が済んだら「練習を終わります」のボタンをクリックして、本番に突入する。すると、練習とはまるで違う質問が表示された。

「あなたがチームの中心となって仕事をした経験を話してください」

 フル回転していた脳みそが一瞬止まった。えーーー!って思わず声が出た。チームの中心。チームの中心って。フリーライターとは、編集者というリーダーの鶴の一声で召集されて、チームの手足となって記事を作る仕事だ。あるいは、カメラを片手に、ひとりで企画を立て、ひとりで取材をし、ひとりで執筆をする仕事だ。「チームの中心になった経験」が、ひとっっっっつも思いつかない。

 業を煮やした私は、正直に白状することにした。私がしていたのはこれこれこういう仕事だったので、「チームの中心」として働くケースは多くありません。これこれこういう特集記事を作ったときは、私の書きたい衝動に編集者が乗ってくれたけれど、これを「チームの中心」って呼べるんだか疑問です。ただただ、私の衝動に乗っかってもらったばかりだったです。

 ひととおり語りきり、録画面接は終了した。少なくとも今回、私は嘘をついていない。これが先方のお気に召さず、ただただ「チームの中心」になったことがある人だけが欲しいのであれば、それはもう、しょうがない。残念だけれど、しょうがないのだ。

 結果は1〜2週間後とのこと。落ちていたら、再び、心臓ばくばくから、やりなおすのみである。(2020/06/12)

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