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わたしがサンタの正体を知った日

その年のクリスマス、私は、キャンディ・キャンディの「かんごふさんバッグ」が欲しかった。

それはもう、とても欲しかった。赤と白で彩られたフォルム。あらゆるお手当てごっこができるグッズの数々。ああ素敵。欲しい。とても欲しいと私は思っていた。

クリスマスイブの午後。おかあさんと遊んでいると、電話が鳴った。「たぶんおとうさんだよ」っておかあさんが言うので、わーーっと私が電話をとった。

ほんとに、おとうさんだった。「ええとね、おかあさんに代わってくれる?」とおとうさんが言ったので、おかあさんを呼んで、電話を代わった。ふたりは電話口で、何やら込み入った相談をしていた。私はリビングに戻って、電話が終わるのを待っていた。

電話が終わって、おかあさんが戻ってきた。そして言う。

「あのね、サンタさんが、かんごふさんバッグ、間に合わないかもしれないって」

その瞬間、私は、悟ったのだ。

さっきの電話は、はっきりと父からのものだった。そして、父と母が込み入った相談をしていた。その電話が終わったら突然、その相談が「サンタさんからの伝言」になった。

あーーーそうか。あーーーーそういうことか。

でも、私は「悟ってしまった」ことを言わなかった。その後、何年もだ。「父母がサンタさんのふりをしてくれる」ことが、なんだろう、愛情の証しみたいでうれしかったから。その翌朝、「かんごふさんバッグ」はちゃんと枕元に置いてあったし(父が駆けずり回ってくれた)、小学校の高学年になるまで、サンタさんは枕元に、その年欲しいものを置いていってくれた。

今年も、家族持ちの皆さんは、サンタさん業が始動する頃だろう。肝要なのは「いつバレるかバレないか」ではない。すでにバレてても、子どもは、それでも「サンタさんプレイ」がうれしい。クリスマスが素敵だなあと思うのは、そういう、ほんのちょっとの虚構を通して、親と子がなにかを交感する夜だからだ。日常の、いろんな現実はひとまず置いといて。バレてるとかバレてないとかも置いといて。相手からの愛情が、具体的に、目に見える催しだからだ。

クリスマスだから、愛してるって言おう。(2019/12/14)

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