『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』レベル違いのシナリオ、演出
本作は、まるでベテラン鬼才監督が、
あたかもパズルを解くかのように、
観客を物語の深淵へと誘い込む、
高度なストーリーテリングが特徴の作品だ。
シナリオは、従来の線形的な物語構造を果敢に破り捨て、
非線形な時系列と散漫とも思える断片的な描写によって、
観客の予測を裏切る。
刹那的で強烈な印象を与えるシーンがカットが、
物語の随所に散りばめられている。
この非線形な物語構造は、
一見すると混乱を招くように思われるが、
監督は巧みな演出によって、
観客を物語に深く引き込んでいく。
それは、パク・チャヌクやポン・ジュノが初期の傑作で駆使した、
観客の心理を巧みに操る手法を彷彿とさせる。
編集の技術でいうと浦岡敬一やセルマ・スクーンメイカーが得意とした、
奇術のような巧妙なカッティングは、
本作においても重要な役割を果たしている。
あたかも、単なる平坦な道を、
ジェットコースターやミステリーハウスに変貌させるかのような、
見事な映像表現だ。
そして、
タイトルの「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」という言葉は、
本作のテーマを象徴している。
それは、誰にも知られることなく、
静かに変化していく人間の心の深淵を暗示しているのではないだろうか。
主人公の傍らにジョン・ドゥという名前も、まさに無名の存在、あるいは、私たち一人ひとりの心の奥底に潜む、もう一人の自分自身を象徴しているように思われる。
多くの作品で多用されているジョン・ドゥ、
「セブン」以来の相応しい使用法かもしれない。
やがて、
ジョン・ドゥとゴースト、
オジサンとオンナ、
モーテルとペンション、
あの子とその子、
あの母親とこの母親、
青い車と赤い車、
青いプールと赤い血、
青い絵の具と赤いソース、
加害者と被害者、
女の警官と男の警官、
拳銃とライフル、、、
散漫ではあるが、
アンビバレントなハーモナイズが、
まるで音楽でいう対位法のように、
観客の身体の奥を突いてくる・・・
この作品は、単なるエンターテイメントにとどまらず、哲学的な問いを投げかける、深遠な作品である。観客は、この物語を通じて、自分自身と向き合い、新たな発見をすることができるだろう。
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