『浮世絵お化け屋敷』キモかわいい、ゆるキャラは江戸時代から始まる
■歌川国芳
原宿の太田記念美術館で本日9月6日から後期の開催が始まる「浮世絵お化け屋敷」展。
後期も、
歌川国芳や月岡芳年を始めとした、
江戸時代の巨匠たちの作品を通して、
妖怪や幽霊の世界を鮮やかに楽しむ事ができる。
前期分から全取っ替えだそうだが、本当に楽しみだ。
特に、国芳のユーモラスな妖怪画の源泉は、
また、
奇怪な幽霊のイメージは、
どのようにして出来上がったのか摩訶不思議である。
国芳の妖怪画が、
単なる恐怖を超えてユーモアを醸し出すのを、自分なりに解釈してみると・・・
デフォルメされた体型と表情:
妖怪の体型や表情を大胆にデフォルメすることで、滑稽さを生み出した。
例えば、長すぎる手足や、
ぎょろりとした目、
あるいは口角を上げた奇妙な笑みなど、
これらは妖怪の不気味さを強調しつつも、どこか可愛らしさを感じさせる。
日常の風景との融合:
妖怪を日常の風景の中に溶け込ませることで、親しみやすさを演出した。
例えば、有名な「相馬の古内裏」では、
骸骨の巨大な妖怪がまるで人間のように部屋に侵入している。
この日常的な描写は、
妖怪を遠い存在ではなく、
身近な存在として捉えさせ、
ユーモアを誘う。
当時の社会風刺:
妖怪を通じて当時の社会風刺を行っていた。
例えば、権力者や身分制度に対する皮肉を、妖怪の奇形な姿や行動に込めることで、人々に考えさせつつも、
笑いをも誘った。
大衆文化への意識:
浮世絵を大衆に楽しんでもらうことを意識していたため、
彼の作品は、当時の大衆文化である歌舞伎や落語の影響を受けており、
ユーモアやエンターテイメント性に富んでいる。
■月岡芳年
一方、月岡芳年の作品は、
国芳とは対照的に、
凄惨でドラマティックな表現が特徴だ。
しかし、
芳年の作品にも、独特のユーモアが潜んでいる。
過剰な表現:
芳年は、妖怪の表現を極端に誇張することで、一種のブラックユーモアを生み出している。
例えば、幽霊の顔が異様に大きく描かれたり、血しぶきが飛び散る様子がリアルに描写されたりしている。
この過剰な表現は、恐怖を誘いつつも、同時に滑稽さを感じさせる。
死生観への皮肉:
芳年は、死や生に対する独特の視点を持っていた。
彼は、死を悲劇としてだけでなく、
一種の解放として捉えることもあったようだ。
この独特な死生観は、
彼の作品に独特のユーモアも与えている。
■子供も楽しめる?
展覧会では、「子どもも楽しめる」と紹介されていたが、月岡芳年の作品など、明らかに子供には不向きな作品も含まれていた(個人的には子どもに説明したうえで鑑賞を望む子どもには見せてもいいのでは派)。これは、浮世絵の持つ多面性、そして鑑賞者の年齢や感性によって、受け取り方が大きく異なることを示している。
まとめ
歌川国芳と月岡芳年の作品は、
どちらも妖怪画でありながら、
その表現は大きく異なる。
しかし、両者とも、当時の社会や文化を反映し、人々の心に深く根ざした作品を生み出した。
彼らの作品が現代においても人々を魅了するのは、その普遍的なテーマと、独特のユーモアにあると言える。
それにしても、
マンガのようなデフォルメの繊細な技術と膨大なイメージに驚嘆する。
当時を推測すると、
一生の行動範囲も広くなく、
入手可能な書物も限りがあるだろう、
八百万の神、日常の魂を、
神社仏閣で崇め奉り、鎮魂し、
無病息災を祈り、
魑魅魍魎と共生する、
そんな中、
畏怖、信仰を繰り返しつつ、
こんなユニークなゆるキャラ的なイメージを発想できた・・・
日本特有の天変地異が理由というのも、
理解できなくはない、
それにしても摩訶不思議、、、、詳しい方にお聞きしたい。
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