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回復ということ

ここ数日眠りの具合が良くない。

一昨日は久しぶりの録音でその前日から神経が昂っていていたので眠りが浅いのは仕方ないと思ったが今朝も何度か途中目を覚ましながらの朝だった。寝相も布団から頭が上にはみ出る形になっていて上へ気が上がっているのが抜けようとして頭から抜け切れてないような感覚があった。いよいよ春先の傾向かと思った。

一昨日は未明に目を覚ました時に寝る前には確実に消して置いた電気が二つも点いていた。怪奇現象か夢遊病みたいなものだとしたら後者のような気もした。

僕は毎年2月が1年で最もつらい月で今年もなかなかのものだった。多くの問題(それらを「問題」とすること自体が調子の悪さの指標でもあるのだが)に胸が詰まり途方に暮れるような日が月の大半を占めていた。はじめて「ただ人に話を聞いてもらいたい」という気持ちが分かった。

数日前から気温も明らかに上がり始め日射しの感じに気分が上向いていくのが分かった。この数年くらいで「春が待ち遠しい」という感覚も分かるようになった。

多くのことを感じずに、感じられずに今までやって来ていたんだなと思う。ということを考えながら朝仕事場に向かって歩いているとどう言うわけか復讐じゃない人生があるだろうかとふと思った。

人生に対する復讐として感じること。味わうこと。感じるということは生きながらに瞬間瞬間を生き直すことだろうか。

生き直し。復讐としての。
だとするならばいつかは復讐から回復したい。それはつまり人生から回復したいということなのかもしれないと思った。

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