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杏仁豆腐のテーマ

 夏は苦手だ。つけっぱなしにされたクーラーのせいか外の暑さのせいなのか、とにかく夏はずっと体が重たい。これはもう毎年そうなのだから仕方がない、夏バテだ。出来るだけ日中は外に出ないようにするしかない。仕事に就いている時も、8月は何かと理由をつけて休んでばかりいた。

 そんな夏だから、活動できるのはもっぱら夜だけだった。夏の夜は短いけれど、それでもあの生温くて明るい夜は歩いているだけでも楽しい。毎年誰かを誘ってはビアガーデンに行った。週末は決まって渋谷へ行ったし、真夜中の秋葉原を友達とふたり、マックシェイク片手に語り歩いたりもした。どこへ行っても誰と行っても、夏の夜というだけでそれらはかけがえのない思い出になった。

 子どもが生まれると、夜出掛けるのは相当難しい。誰かにお願いをしないと外へ出られない。それでなくてもこの2年はそもそも人と会うことさえもが難しくなってしまった。誰もいない夏は思い出にならない。去年の夏を思い返してみても何も思い出せない。しばらく考えても一向に出てこないので、自分の記憶力の無さに怖くなり急いでカメラロールを2020年の8月まで遡ると、家か近所での写真しか残っていなかった。本当に何も無かった虚しさの後ろで、何も思い出せなくて当然だと少し安堵した。

 昨晩、娘と夫が寝息を立てる中そろりそろりと家を抜け出して近所のコンビニまで行った。面倒くさがって後回しにしてたメルカリの発送をいよいよしなくちゃいけなかったのだ。久しぶりの夏の夜はまるで異国のようで、家を出る前は面倒でしかなかったのにいざ出れば楽しい。うん、これぞ夏の夜。日中は暑すぎて押し黙っていた蝉がうるさい。暑すぎて鳴けないだなんて不憫過ぎる。もっと涼しい森へと案内してあげたい。そんなことを思いながら温い空気を全身に纏って踏み切りを渡ると、大きな風がざあっと通り過ぎていった。少し冷たくて秋の匂いのする風が。立秋、もうそんな時期か。日中はまだあんなに暑いのに夜はもう秋の顔を覗かせている。そんな風に突然終わりを告げられると、嫌いなくせになぜだか寂しくなる。自分でもよく分からない感情は気がつくと懐かしい記憶を連れてくるのだった。

 杏仁豆腐という名前のバンドを組んでいる。よくみんなで集まってご飯を食べたりして、それで時々(たま〜に)曲を作って演奏したりしている、そういうとってもゆるいバンド。もう6年くらいになるだろうか。全然活動的じゃないわりにはイベントに呼んでもらって小さなライブハウスやクラブでちょくちょく演奏している。る、ではなくてた、か。もうここ2年は全くそんなことはしてない。オンライン上で会話を交わすことはあるにしても、メンバーにももう1年くらい会ってない。

 6年も経つのか。もう6年。早いなあ。6年前、杏仁豆腐を結成した夜も生温くて明るくて、でもやっぱり秋の気配が混り込んでいた。

 その日は夕方6時を回る少し前に集合して、4人で横浜にあるプールまで出掛けた。所謂ナイトプールというやつだ。夏の日中が苦手な私からすればナイトプールほど興味を惹かれるものはない。が、ナイトプール特有のチャラチャラした雰囲気はどうも肌に合わない、とその興味はだんだんと薄れていた。そんな中、私をナイトプールへと誘ったMちゃんが提案してくれたのは、なんてことはないただの市民プールだった。ナイトプールの流行りに乗ってか、はたまた流行関係なく昔からそのように営業されているのか詳しいことは分からなかったが、その市民プールは夕方6時から午後9時まで夜間開放を行っていた。

 50mが6レーンあるだけという潔いその野外プールは三方が階段式の観客席に囲まれ、さらにその後ろには大きな森が広がっていた。8月の中旬を過ぎた森からは蝉の声に混じって鈴虫も負けじと盛んに己の存在を主張しており、木々の間から抜けてくる風は涼しすぎるくらいだった。もう半分くらい秋に侵食されている夜の中、複雑な気持ちで足を水に入れてみると思いの外丁度よくぬるくて気持ちがいい。私たちは入水するなり各々自由に泳ぎ始め、Sが大きな水飛沫を上げながらクロールをすると、その不恰好な泳ぎを3人で笑った。とは言えろくに泳げもしない私はただただ漂うしかなく、元町公園プールと油性マジックで書かれたビート板に背中乗せ、仰向けで水面に浮かんだ。耳を水につけると虫の音が止んで、くぐもった泡の音だけが聞こえてくる。森の木々達はセピアブラック色の夜の下、黒々と静かに私を見下ろしていた。いつの間にか観客席に登っていたAがこちらに向かって手を振っている。コンクリートでできた観客席にAの赤い水着はよく映えていた。何か言っているようだが聞こえない。Aに向かって手を振りかえすとバランスを崩した私はひっくり返って水の中へ落ちる。ドボン・・・・ぶくぶくぶく・・・・。水から顔を出すと、Aの笑い声がプール中に響いていた。

 プールで泳いだ後私たちは中華街まで降りていって、Aおすすめの中華料理店で夕食を食べることにした。ひとしきり頼んで青島ビールで乾杯すると、話は大抵恋のこと。Mちゃんの恋の相手は既婚者。Aはマッチングアプリで探し中。Sには付き合って長い恋人がいたけれど、また浮気をされたらしかった。私はというと、年下の彼氏が出来たばかりだったけどその場では彼氏募集中と言った。どういう訳か、その年下の男の子にこの交際は秘密にしておいて欲しいと頼まれていたからだった。20代を折り返しても恋のひとつもうまくできない女たち。みんな揃って不器用なこの4人が残念ながら居心地が良い。プールサイドで撮った写真を送ってもらって、彼氏に転送した。「ちゃんと女の子だけで来てるよ!笑」の一文を添えて。

 大人になってから友達になった私たちだったから、相手のことを名前以外全然知らなかったりする。私たちが一緒に遊ぶ上で、名前以外に必要な情報なんて無かったから。たいして泳いだわけでもないのにプールの後の体はなぜこんなに疲れてしまうのだろう。たかだかビール1本で可笑しいくらいに酔っ払って、訳もなく笑い合った。Aイチオシのピータンのお粥を食べながら、お酒も十分回ってきた頃。なんとなく高校時代の部活の話になって、Aが吹奏楽部でドラムを叩いていたと言うと、みんなで驚いた。Sが「バレー部とかバスケ部とか、運動部系かと思ってた」と言うと私もそれに同調した。するとMちゃんが「私軽音でギターやってたよ」と告白し、それを聞いたSが更に驚きながら「え!私も軽音でベース弾いてた!」と続けて告白すると一気にこの話は盛り上がっていった。帰宅部だったとはわざわざ言い出せず「す、すごいね・・!」と驚いていると、気がつけば4人でバンドをやろうと話がまとまっていた。私は自動的にボーカルの役割を与えられ、ギターもMちゃんに教わるということに決まった。

 「バンド名!バンド名どうする?」「青島ビール」「ない、ない」「ピータン!」「え、かわいい!」「可愛くないよー」「えー」「パンダ!」「NO!」「小籠包!」「ちょっと違う、でも惜しい」「レバニ・・・違うか」「肉まん!」「中華!」「デカすぎる」「横浜」「流星」「お粥」「坦々麺!」「蟹炒飯!」「カニチャー!」「蟹炒飯いいじゃん美味しそう!」「えーまじー!?」

 ぐだんぐだんに酔っ払った私たちは目に入ったものを片っぱしからバンド名の候補として挙げていった。誰もまともな判断ができないままバンド名は「蟹炒飯」に決まろうかというその最中、華奢なデザートグラスに盛られた杏仁豆腐が4つ、私たちのテーブルに颯爽と現れたのだった。その瞬間、誰も何も言わずともバンド名は「杏仁豆腐」に決まった。

 終電に乗ろうと急いで外に出ると、いくつもの冷たい風が肩を撫でていった。夏が終わるねーと誰かが言えば、切ねー!と誰かが戯ける。「また来ようね」と誰かが言って、それぞれが「うん」と大きく頷く。それは約束と言うよりも、「また来たいと思える程今日は楽しかったね」と伝え合いたいだけなのだ。実際、6年経った今でさえこうやって思い出せるくらい楽しくて幸福な夜だった。しばったままの髪を解くと、ヘアゴムで留められていた部分の髪はまだじっとりと冷たく濡れていて、ばたばたと束になって首筋を冷やした。秋の匂いのする夜風に自分の体についたプールの匂いが混じって、意味もなく泣きそうになる。彼氏に送ったLINEはやっぱり今も未読のまま、滲んだライトに照らされた横浜はいつもより綺麗でどこまでも静かだった。


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 そろりそろりと家に戻ると、2人とも相変わらず寝息を立てている。可愛い娘の寝顔を見ながら、私はこの子と自分の青春とを引き換えたのだろうかと思わず考えてしまう。もちろんそうではないことは分かっていながらも、過去の記憶に心を引き摺られてしまうことがあることも事実なのだった。こんな風の吹く夜は、きっとどこかで誰かも私のように思い出に引き摺られているだろう。

 まだ果たされない「また来ようね」。今日、東京の新規感染者数は5000人を超えた。果されない無数の「また」の約束が、来年は果たせるだろうか。やっぱり夏は苦手だ。かけがえのない思い出が今日も私の手を引っぱるから。



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 このエッセイはほぼフィクションです!自己紹介のタグをつけて何か記事を書こうと考えて思い浮かんだのはスピッツの「ミカンズのテーマ」。「はじめましてのご挨拶、余計なことも紹介しよう」という耳に残るフレーズから始まるこの曲はミカンズという架空のバンドのテーマ曲として書かれたもの。そこで、私なりのミカンズのテーマを書きたいと思って、杏仁豆腐というバンドを組んでみました・・・・・!(結果的に全く自己紹介にはなってない記事が完成しました)

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