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No.487 小黒恵子氏の紹介記事-53 (歌のアルバム)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、新聞に掲載された小黒恵子氏の紹介記事 をご紹介します。

歌のアルバム
映画「野生のエルザ」より Born Free <1966年度>    
さわやかな自由の讃歌


◆生きる喜び
 ライオンの子を育てあげて自然に返し、後年、子連れとなったそのラインが再び、元の飼い主の前に姿を見せる物語 ―
ジョイ・アダムソンさんの、ご存じ、あの≪野生のエルザ≫。二十世紀最高の動物文学とか、聖書に次ぐベストセラーとかいわれて、スクリーンでも描かれたわけだが、あまりに感動的だったせいか、映画の主題歌まで記憶する人は少ない。
自由に生きる喜びをたたえた、さわやかなバラードは、一九六六年度のアカデミー主題歌賞、作曲賞に輝いた。アンディ・ウィリアムスやフランク・シナトラらも聞かせた、その歌の内容といえば、
君は自由の子 吹きわたる風のように すくすくと伸びる草のように自由 (中略) 君を束縛する壁がない時 君は自由でありたまえ 君はうねる潮のように自由なのだ だから隠れる必要はないのだ (以下略)
日本動物心理学会員で、≪野生のエルザ≫の訳者でもある藤原英司さん(四七)が、「飼われたライオンは草のなびく音にもおびえ、伏せてしまうので・・・・」と、自由を歌う意味を解説しながら、映画ロケの秘話を語ってくれた。
「最初はサーカスのライオンを使い、調教師が肉とピストルを手に撮影したんです。しかし、俳優さんが、怖がって、結局、自ら子を育てることから始めました。大きなライオンはアダムソンさんの手元にいたもので、彼女が話しかけながらやったんです。だから、あんな迫真的な作品が完成したんです」
詩人の小黒恵子さん(五二)=日本童謡協会理事=は、四年前、そのケニアへ詩作の旅に出た。動物を生涯のテーマにする手前、「宝庫といわれるあちらで、存分に観察する目的でした」けれど、
現地で見たのは、「密猟と自然破壊による、滅びゆく姿だった」。で、帰国後、むしろ、「シマウマの、美しい君らの服が狙われているからどこまでも飛んで逃げなさいって、言いたくて」、少年少女合唱団用の組曲≪飛べしま馬≫(全十四曲、高木東六氏作曲)を書き上げた。エルザの“自由の賛美”とは反対の、いわば“逃避行”。一連の作品で今年の日本童謡賞を受けた小黒さんは先ごろ、趣味を生かしたチャリティー絵画展を開き、売り上げの百余万円を世界野生生物基金(WWF)日本委員会へ寄せた。

 ◆エルザの会
 「親なし子やケガをした動物などがいる孤児園を訪ねた際、改めてアダムソンさんの素晴しさを知りました。あの方もエルザ基金づくりに懸命でしたが、(寄付が)大河の一滴になれば・・・・」(小黒さん)
そのアダムソンさんは、一昨年初め、解雇したキャンプ使用人に殺害された。狩猟監視官だったご主人は別のキャンプでライオンを野に返す仕事を続けていることが、藤原さんとの文通で確認されている。
「彼女の話題になると、いまだに頭をなぐられたような衝撃を覚える」のは、死の五年前、アダムソンさんを日本に招いた、株式会社・スタッフテスの飯島篤社長である。
「あの時は、エルザ基金日本委員会の設立を呼びかけにきたわけで、発足したらまた来てもらう約束をしてあったんです」。約束を果たせなかった悔やみのうえに、「真に心を許せるのは動物だけという、彼女の言葉が重くのしかかる」からだ。
来日した翌五十一年、藤原さんを会長とする「エルザ自然保護の会」ができた。会員六百人。まず、自分のできることから実践をー をスローガンに、基金集めと一緒に幅広い活動を続けているが、藤原さんの苦悩は何年たっても晴れない。
「動物の危機といっても、日本人は遠い国のことぐらいにしか思っていない。自然の法則を踏みにじったらどうなるか、その意識に欠けているんです」
十月末にエリザベス英女王の夫君、エジンバラ公が、WWF総裁として、日本へ協力を求めるためにやってくる。経済大国・ニッポンの熱意が、今、世界から注目されている。                (源)

読売新聞日曜版 昭和57年(1982年)8月29日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1982(昭和57)年の新聞の紹介記事をご紹介します。(S)


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