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短編小説集。

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自作サイトにて公開していた短編小説を詰め込み。
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2015年3月の記事一覧

金曜日のうたうたい

 どうして、あたしは立ち止まったんだろう?
 自分でそんなことを考えながら、あたしはただ、駅前の植え込みの陰で歌う彼を見ていた。
 やっとの思いで仕事を終わらせたあたしは、たった今、最寄り駅から出てきたところだ。何とか潜り込んだテレビ局の、ADのアシスタントみたいなことをしながら、必死に生きる毎日。夢は――いつかプロデューサーになって、小さな日常を丁寧に追いかけたドキュメンタリーを作ること。平凡と

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ホットレモネード

 ……ん?
 ああ、いけない。
 いつの間にか眠っていたらしい。もうこんな時間か……。
 よ……っと。年を取ると椅子から立つのも億劫になったなぁ。よっこらせ、と。
 寒さが一段と身に染む季節になったなぁ……。

 あれ? お客様ですか? すみませんね、もう仕舞いなんですよ。それにあなたのような若い娘さんがお探しのものは、ウチにはないと思いますけどね。ええ? またまたァ。お世辞はいけませんよ。
 あ

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月の輝く夜だから

 ベランダの手すりに身を乗り出して、希和美(きわみ)は一心に満月を見つめていた。満月が綺麗な夜だもの、絶対にあいつはここにやって来る――そう自分に言い聞かせながら、じっと月に見入る。月は太陽ほどに強い光を放つわけではない。それでも目の奥がじんわりと痛くなってきて、希和美は瞼を閉じて目頭をきゅっと、強く押した。
 そして再び満月を見る。
 だって、約束したから――絶対あいつは来る――何度も何度も希和

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ブランコ揺れて

 ボクはどうしてもブランコに乗りたかった。
 でも、みんな順番だから、って、並んで待っていたんだ。ちゃんと並んで待っていたボクの目の前で、ブランコに乗っていた女の子が、ぽん、と降りた。
 やったぁ。
 ボクは心の中でそう叫ぶと、ブランコに駆け寄ろうとした。駆け寄ってそして、鎖を掴もうとした瞬間の出来事。
「かりんが乗るのー!」
 大きな声がしたかと思うと、一人の女の子が駆け寄ってきて、ボクの手の先

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土曜日には花束を。

 土曜日には小ぢんまりとした花束を買うのが、すっかり習慣になってしまっていた。わたしは今日も、あなたを想って花束を買う――。

「いらっしゃい。今日は何にします?」

 顔見知りになってしまった花屋の娘さんは、屈託ない笑顔を浮かべる。それにつられるようにわたしも軽く笑んで見せて、それからそっと、顎に手を沿わせる。何かを考えるときのわたしの癖。それをからかうあなたを急に思い出して、反則だ、とわたしは

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見えない鎖

 学校から帰ってくると、嬉しそうな顔をリビングから覗かせて、ママがあたしを呼んだ。あたしは部屋に向かいかけた足をリビングに向けなおして、ママのところまで行く。

「何?」

 あたしはちょっと面倒だったけど、ママに尋ねてみる。ママはにっこりしたかと思うと、あたしの鼻先に手を突き出した。

「じゃーん!」

 正確には、あるものを握り締めた手を、と言うべきだろうか。ママの手の中には、桜色をした、小さ

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