ブランコ揺れて
ボクはどうしてもブランコに乗りたかった。
でも、みんな順番だから、って、並んで待っていたんだ。ちゃんと並んで待っていたボクの目の前で、ブランコに乗っていた女の子が、ぽん、と降りた。
やったぁ。
ボクは心の中でそう叫ぶと、ブランコに駆け寄ろうとした。駆け寄ってそして、鎖を掴もうとした瞬間の出来事。
「かりんが乗るのー!」
大きな声がしたかと思うと、一人の女の子が駆け寄ってきて、ボクの手の先にあったブランコの鎖を掴み取った。ブランコにちょこん、と乗って、嬉しそうにこぎ始めた「かりん」を、ただじっと見つめるボク。近くにはたくさんオトナがいるのに、誰も「かりん」に何にも言わない。だから、ボクは黙って見ていた。
だけどそのうち、だんだん腹が立ってきた。
ちゃんと待ってたボクが、なんで我慢しなくちゃいけないの?
そう思うと、もう勝手に身体が動いて。
どんっ
「かりん」を突き落としていた。
「ボクが先に待ってたんだ! 順番なんだから!」
ボクは「かりん」に向かって大きな声でそう言うと、横取りしたブランコに乗ってこぎ始めた。「かりん」はぼうっとしてしまって、しばらく地面に座り込んでいたんだけれど、急に大きな声で泣き始めたんだ。
「かりんが乗ってたのに~! ブランコ、乗ってたのに……!」
涙をぽろぽろ流しながら、大声でわんわん泣く「かりん」。でも構うもんか。順番を守らなかった「かりん」が悪いんだから。そう思ってボクはブランコに乗ったまま、知らん振りをしていた。そうしたらママが慌ててやってきて。
ばしん!
ボクの頭を叩いたんだ。ボクはびっくりしてママを見上げた。ママは怖い顔をしていた。
「ユウちゃん、順番でしょ!」
ボクは目を丸くした。順番を守らなかったのは「かりん」なのに。
「ほら、果鈴ちゃんに謝りなさい」
まだわんわんやっている「かりん」に、ボクはどうしても謝れなかった。ママを見上げて、なんとか説明しようとする。順番を守らない悪い子は、「かりん」なんだよ、って。でもそう言えないうちに、ママがまた怒った。
「悠太!」
「……」
ボクが黙って突っ立っているから、ママはますます怒って、無理やりにボクの頭を押した。
「ほら、悠太、『ごめんなさい』でしょう?」
「……ごめ……さ…」
ボクはもごもごと口の中で「ごめんなさい」を言った。「かりん」は何とか泣き止んで、ママが差し出した鎖を握った。そうしてゆっくりとブランコに乗ると、少し遠慮がちに漕ぎ始めた。
ボクは悔しかった。すごく、すごく。
ママがママたちの輪に戻ると、ボクは一人、離れた場所でブランコを見ていた。さっきまであんなにわんわんやっていた「かりん」は、もう笑ってる。
ボクの瞳から涙がぼろりと落ちた。
そのあと、ママがボクに小さな指輪を渡してくれた。きれいな蒼いビーズで作った指輪。ビーズ手芸はママの趣味だった。
「これ、果鈴ちゃんに渡してらっしゃい」
ボクがママを見上げると、ママはさっきとは違って、優しい顔をしていた。
「ユウちゃん、謝って偉かったね。でも、果鈴ちゃんも痛かったと思うし、もう一回、きちんと謝っておいで」
そう言ってくるんと頭を撫でた。ボクはどうしてそんなことをしなくちゃいけないんだろう、と思って、手の中の指輪をじっと見つめていた。ママはボクに言った。
「ほら。果鈴ちゃんと仲直りして来て」
ボクはぶっとふくれっつらで、それでも今度は砂場で遊んでいる「かりん」のところに行った。
「……」
ボクに気がついて、「かりん」はちょっとだけ頬を引きつらせた。ボクは何にも言わずに手を差し出した。「かりん」は泣きそうな顔で、ボクを見上げて、言った。
「なあに?」
「――やる」
「かりん」は小さな手を恐る恐る差し出した。その上に指輪を乗せると、「かりん」は瞳をぱちぱちさせて。
「これ、くれるの?」
立ち上がってボクに尋ねた。ボクはまだ仏頂面で、でもちょっとだけ頷いてみせる。「かりん」は掌の砂をぱんぱんと払い落として、小さな指に小さな小さな指輪をはめた。腕を真っ直ぐ前に伸ばして、指にくっついた指輪をいろんな方向から眺めている。ボクはそんな「かりん」の様子を、黙って見ていた。「かりん」は少し顔を上げて、ボクを見た。
「ありがとう」
ボクに向かって、ニッコリ笑う。とても嬉しそうなその笑顔。小さな指をひらひらさせて、ボクにも指輪を見せてくれる。
「かわいいね?」
「……うん」
ボクは素直に頷いていた。
本当は「かりん」が順番を守らなかったのがいけないんだけど、今回は特別に許してあげようと思った。
「今度は、ちゃんと順番だからね」
ボクが言うと、「かりん」もちゃんと頷いて。
「約束」
と小指を差し出した。ボクたちはげんまんをした。
ママの所に戻ったボクに、ママはこう聞いた。
「果鈴ちゃんと何を約束してきたの? 将来、お嫁さんになってね、って?」
「えへへ」
ボクは笑って誤魔化した。約束は他の人に喋っちゃいけない気がして。
「ユウちゃん、ユウちゃんは男の子で、力も強いんだから、女の子には優しくしなくちゃ駄目よ」
ママと手を繋いで帰る道で、ママはボクにこう言った――。
* * *
「懐かしいなァ、この公園」
春のそよ風にストレートのセミロングをなびかせながら、果鈴が気持ちよさそうな声で言う。僕はその横顔を見つめて、ただ笑っていた。
「そうそう、このブランコでさぁ」
僕たちの身体には、およそサイズの合わないブランコに腰掛けて、果鈴はやっぱり気持ちよさそうに、思い出話を始めた。
「悠太があたしを突き飛ばしたんだよね? 覚えてる?」
もちろん。
僕は声に出さずに頷いた。
「あのあと、悠太、あたしに指輪をくれたよね。ビーズのちっちゃいの。荷物を整理してたらね、出てきたんだよ、その指輪」
僕は果鈴がゆっくりとブランコを漕ぐ隣で、黙って果鈴の言葉に耳を傾ける。
きぃ……きぃ
ブランコは、少し苦しそうに鳴っていた。
「すんごいちっちゃくて、びっくり。こんなのが指にはまるほど、ちっちゃかったんだなぁ、って、なんかしみじみしちゃった」
僕が何も言わないので、果鈴は不安そうに僕を見上げた。
「悠太?」
どうかした?――そう瞳で問いかける果鈴に、僕は「なんにも」って答える。果鈴はちょっと安心した様子で、口許を微笑で彩る。見ている僕まで嬉しくなる、温かな笑顔だ。
「さ、行こう」
「うん」
僕が差し出した手に、果鈴が小さな手を乗せた。
「……ねぇ、悠太」
「うん?」
「幸せに、なろうね?」
果鈴が小指を差し出した。僕も小指を絡めてみる。小さな「かりん」の指の柔らかさが蘇った気がして、僕は驚いて果鈴を見た。果鈴の笑顔は、小さい頃から少しも変わっていないことに、たった今初めて、気がついた。
僕のびっくりしたような笑顔に気づいているのかいないのか、果鈴は笑いながら僕の腕にしがみついてきた。僕は果鈴の肩を抱く。
果鈴の細くて白い左の薬指で、蒼い石のついた指輪が春の陽にきらきら輝いている。それは僕が果鈴にあげた指輪だった。僕が果鈴のために選んで買ったもので、果鈴の誕生石のアクアマリンがついている。華奢な果鈴の指によく似合う。
「あのビーズも、こんな蒼い色してたんだよ。偶然にも。びっくりだよね」
掌を太陽に透かすように手を上げて、果鈴ははしゃいだように言う。そのはしゃぎ方まで、あの小さな「かりん」そのまんまで、僕はなんだか楽しくなった。果鈴も僕の内に、たまに小さな「ユウちゃん」を見つけたりするんだろうか?
「――あの時、ほんとはあたしが悪かったんだよね。……悠太、ごめんね」
そうして小さく舌を出して見せた果鈴を、とてもとても愛しく思った。
「うん、いいよ。謝ってくれて、ありがとな」
――よかったな、「ユウちゃん」。「かりん」は謝ってくれたぞ。
僕はそんな言葉を自分の胸の中に囁いていた。
僕たちは――もうすぐ、結婚する。
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