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「どうして」が聞けなかった学生時代

「どうしてですか?」

思えば、心に浮かんだその言葉を、そっと隠して沈める、そんな学生時代だった。それが平和に生きていくために必要な心構えだった。

「どうしてみんな白のソックスを履かなきゃいけないんだろう。」
「どうして学校にペットボトルを持ってきただけで、みんなの前で謝らなきゃいけないんだろう(クラスの男子がみんなに謝っているのを見て)。」
「どうしてクラスのみんなが盛り上がっているときに、違う意見を言うと、嫌な顔されるんだろう。」

「どうしてですか?」と聞くことすら許せない空気は、、、どうして?

私は空気を読むことが得意だったし、
勉強も運動も得意で、いわゆる優等生だったと思う。

両親が教師だったので、
思春期で友達が先生に「うざい」「ムカつく」と言っているのを見ると、
自分の親がそう言われている気がして、悲しくて、だから
「なるべく先生と仲良くしたい」という気持ちがあったのも大きかった。

どう振る舞えば、波風をたてなくてすむのかを観察し、
いわゆる「求められている人物像」の規格に自分をはめ込んでいく。

それが一番楽だったし、最適な生存戦略だったのだと思う。

本来の自分の性格は学校の外に置いてくる。
校門をくぐったらスイッチをオン。

私はその状態を、一種のゲームのように、楽しんでもいた。
定められた枠の中で、どこまでの自由なら許されるのか。そして枠をどこまで広げられるのか。
どこまでが「おもしろい人」でどこからが「変な人」なのか。

こう書くと、つらい学生生活を送ったみたいに聞こえるけれど、
学生生活は、それなりに楽しかった。
勉強も面白かったし、部活でも汗と涙を流した。
ジャニーズにきゃーきゃー言ったり、恋をしたり。
大人になった今も定期的に連絡をとったり、遊んだりする、愉快な友達にも恵まれた。

でも一方で、やはり無理があったのだと思う。
中学生の頃は、自分の頭の中で「どうして」が止まらず、苦しかった。
情報をシャットアウトしようと部屋にこもっても
「どうしてこの天井はこの模様なの?法則性は有るの?」
目を閉じても「どうして人は匂いを感じるの?」「どうして私の思考は止まらないの」と言った具合で、昼間抑圧されていた「どうして」が溢れ出して襲ってくる。
部屋の隅で体育座りをして視界を塞いで、とにかく思考をおさめるように過ごしていたことを覚えている。

「どうしてですか?」
高校生の時に、初めて言葉に出せた。
相手は生活指導の先生。
マッチョで背が高くて、高校生の男子が暴れてもこの先生なら抑え込めるぞというような、強そうな体格。ラグビー部顧問で声が大きくて、(記憶が定かでないのだけど)竹刀とかもってそうなイメージ。

見た目的には、一番「どうして」を聞けなそうな相手に、
私の人生初の「どうして」を差し出せたのは、
先生に「話を聴いて対話しよう」という姿勢があったからだと思う。

さて、その先生に、髪が茶色いとの理由で、生活指導室に呼ばれた。
私は聞いた。「どうして髪を染めてはいけないんですか?」
本当はもっと言いたいことがいっぱいあったのだけれど、当時の私にはこの一言を絞り出すのが精一杯だった。

先生の説明はこうだった。

地域の人からみたら、髪が茶色いことで悪いイメージを持つ人がいるということ。
それでは自分も損するし、学校のイメージも悪くなること。
髪を染めている人がいると周りも影響されること。
大人になったら自由に染めたらいいと思う。でも今この学校にいる間は、規則に従ってほしい。

そして最後まで「髪を黒くしなさい」とは言わなかった。

先生の説明に100%納得したわけではなかったけれど、先生が私と対話してくれた。そのことがすごく嬉しかった。

校則は何のためにつくるのか、誰がつくるのか。そしてどう変えるのか。
スウェーデンでは小学校で「法律や規則は変えられるもの」と教わる。


子どもは「どうして?」の塊だ。
「どうして水はつかめないの?」
「どうして人は前向きに歩くの?」
「どうして人間って生まれたの?」
「どうして神様は願いを叶えられるの?」

どんどん湧いてくる「どうして?」

彼らは、五感を使って、鮮やかに世界を感じている。
陽の光を肌で感じながら、木を触り、風を嗅ぎ、虫の足音に耳をすませ、時に土を食べる。
アスファルトを踏みしめ、友達の声を聴きながら、風を切って、小学校に登校していく。

子どもたちと一緒にいることで、その世界の鮮やかさに出会い直させてくれる。

簡単には答えられない「どうして?」にはこう答えることにしている。
「一緒に考えてみようか」「どうしてそう思ったの?」

私には彼らのこの命の躍動を、
自分でも理由のわからないルールに当てはめることで、小さくしてしまうのは、すごくもったいない事に感じる。

世界の大きな変化の中で、求められている人物像も変化している。

「定められた枠の中で、的確に求められている答え出せる人」
から
「答えのない中で、感性にしたがって、周りの人や自然と共存して、世界をつくっていける人」
へ。

その時代において「どうして」と問いをつくれる力は、答えを知っていることよりも、遥かに重要だし、
思いもよらぬ「どうして」を思いつく人は、社会にとっても、地域にとっても宝なのだと思う。

その大切さに気づいて、いろんなところで実践をしている人たちがいる。

息子たちが通っている保育園は、そういう園だった。
小学校にあがると、長男から
「そういう事聞いたら、みんなに馬鹿にされるよ」
という発言が度々聞かれるようになった。

みんな、を分解してひとりひとりにしてみたら、きっともっと多様なのだろう。
みんな、はなんだろう。空気なのかもしれない。
空気がつくった枠なのかもしれない。

現状、公教育の学校という枠組みの中ではなかなか難しいかもしれないけれど、ポツポツとその中でも、実践をされている先生たちもいる。
少なくとも今の息子の担任の先生はそういう先生で、本当に感謝している。

学校だけで難しいのであれば、地域で。

「どうして」と聞かれたら
「わかる〜〜私もそれおかしいと思うよ!」
「わかんないから、一緒に考えてみようか。」
「うーん、私はそれどうしてって思わないけど、どうして気になるの?」

そんな風に、大人も子どもも「どうして」を、遠慮しなくていい、そんな地域を見続けていきたい。

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