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「いかしあうつながり」にたどり着くまでの話(旅行会社⇒NGO⇒グリーンズ)

2008年、大学生の時にボラカイ島のホワイトビーチを初めてみたときの衝撃は忘れられない。ボラカイ島はフィリピンにある全長7.5キロの小さな小さな島。
 
成田からマニラへ。マニラから国内線でカリボという空港へ。
その後バスで港まで移動し、船にのってやっと到着するというアクセスの悪さ。
 
そこにあるホワイトビーチは世界のベストビーチにも選ばれた。
透き通るような白い砂に、スカイブルーとエメラレドグリーンの間の色の海がどこまでも続く。
 
美しすぎて、まるで異世界に来たのかと思い、とっさに足元を確認したほど。
 
その後、新卒で旅行会社に就職し、運良くフィリピン担当になった私は、
「旅は人生観を変える。自分が本当に素敵だと思った場所を多くの人に見てほしい。」
 
そう思って、毎日終電まで必死で働いて、ボラカイ島の特集ページを作り、紹介し、沢山の人を送り出した。
 
「セブに行きたい」と問い合わせをしてきたお客様に、勝手にボラカイ島を紹介し(笑)、「知らない島だったけどすごい良かった!」と喜んでもらった。
 
そしてボラカイ島は、前より少し日本でも知られてきた。
もちろん私の仕事の功績ということはなく、そういうブームが来ていたのだと思う。
 
島には日本人がよく見られるようになった。その後、韓国人、中国人が増えた。
世界一のビーチと言われた白い砂浜には、さらにたくさんのホテル、レストラン、カフェ、お土産屋さんができた。たくさんの人であふれるようになった。
 
2回目にボラカイ島を訪れたのは、2015年。初めて訪れたときから7年後。
大好きなボラカイ島を家族にも見せたいと、親を連れて訪れた。
 
「あ……」悲しい気持ちになった。
 
韓国語、中国語の看板、店でひしめくビーチロード、あふれんばかりの人々、投げ捨てられたプラスチックゴミ。
 
そして感じた違和感。
 
当時はうまく表現できなかったけど、あれはきっと、島の空気感、文化が薄まってしまっていたことへの違和感。
言葉を選ばずに言えば、どこにでもある、パーティービーチになってしまったと感じた。
 
2018年、フィリピンは非常事態宣言を出して島を閉鎖した。
島の環境が悪化したからだった。

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2社目は、途上国の住環境支援をするNGOで働いた。小さい頃からの夢の仕事だった。
  
東南アジアの国々に日本からボランティアを動員し、安全な家を持たない人のため、家を建築していた。
  
強い日差しと、高い湿度の中、ボランティアさんたち、大工さん、その家に住むことになるホームオーナー、みんな一緒に汗を流し、ブロックを運び、セメントをこね、家を建てた。
 
完成したときの喜び、これからここで家族の新しい生活がスタートするんだという感慨深さは言葉にできない。今でも本当にすばらしい活動だと思っている。
 
ある時、カンボジアで建て終わった家を見て、ふと思った。
「この家族は、この国は、この先、どこに行くのだろう」と。
 
家族に聞いてみた。
「この後、どうなりたい?」と。
 
返ってきた答えは「いっぱい働いて、日本とかアメリカみたいになりたい。」だった。
 
この答え、どう思う?
 
もちろん、支援してくれているNGOの担当者に聞かれたから、こういう型通りの答えが来たという部分はある。でもそれを差し引いても、
 
私は、「そうなったら嫌だな」と思ってしまった。
 
「日本人である自分は彼らより幸せだと言えるだろうか。むしろ幸せに関しては、私達が彼かから学ぶところがあるのでは。」心の奥でそう感じていたのだと思う。
 
家はすべての基盤。安心して過ごせる家がないと、仕事にも行けないし、学校にも行けない。
 
安心できる家を手に入れたホームオーナーは、家族のために、よりたくさん働き、稼ぐだろう。日本でもみんな一生懸命働いている。
 
日本のようになることを目指した先に、彼らが失うものは。私達が失ってきたものは。
 
ボランティアさんたちも、私も、ホームオーナーさんも、みんな”善意”を持って一生懸命働いた。
 
その先は本当に目指していた「幸せな未来」につながっていたのだろうか。
 
みんなの優しい気持ちを、頑張った時間を、みんながほしい「未来」につなげたと自信をもって言えなかったことが、悔しかった。
 
「私が目指している未来ってなんだろう。この活動を通して伝えたいことはなんだろう」わからなくなってしまった。
 
今のままじゃいけない、だけどどうすればいいのかはわからない。
 
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その答えを見つけたくてグリーンズに入った。
 
「ほしい未来はつくろう」を合言葉に、日本や世界で、社会課題を「自分ごと」として解決しているアイディア、事例を発信している。
メディアなのでたくさんの情報が集まってくるし、何よりその姿勢が好きだった。
 
そしてもうひとつ、「これは自分の体で実感しないとわからないだろうな」という勘が働いて、自分の暮らしをつくることにした。
 
ひとつひとつは本当に小さなことの積み重ねなのだけど。
本当にここで暮らしを積み重ねたいと思う場所に引っ越し、必死で保育園を探し、心地よく過ごせるように家を改装し、庭で野菜を育て、近所に友達をつくる。
 
そうするうちに見えてきたこと。
 
どうやら、今の社会システムの中にいると、
気づかないうちに自分の頑張りはグローバリゼーションや資本主義など今のシステムを加速する方に加担する、そういう仕組になっているということ。
 
 
そこから半歩、外に出て、「みんなの”善意”や”頑張り”が、みんなのほしい未来につながっている」そんな仕組みをつくりたい。
 
でもそれはどうすればできるのだろう。。。
そこからまた3年、トライ&エラーを繰り返し、やっと「これだ!」と思うものにたどり着いた。
 
幸せになる=お金を稼ぐために、自分や資源を消費して新たなものを作り、また消費する、から
 
幸せになる=自分が本当にほしいものを明確にし、すでに周りにあるたくさんの資源に気づき、自分を満たすために関係性をつなぎなおす、へ。
 
これを私達は「いかしあうつながり」と呼ぶことにした。
 
自分たちの暮らしを、つながりを、自分の手に取り戻す。
 
教育、まちづくり、福祉、ビジネスなど、あらゆる領域でこの「いかしあうつながり」が広がっていったらおもしろいことになるのではないか、とワクワクしている!
 
今まだ、スタートライン。
これからもっともっと探究していきたい。一緒に探究してくれる仲間募集中です🌵


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