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山伏を体験した3日間。私はこれから肚で考えることにした。

7月に山形の出羽三山で、山伏と山を歩くツアーに参加してきた。
このツアーページを見た時にピンと来て、1分後には義母に電話していた。

私「お義母さん、ちょっと山伏体験に行きたくて。7月に3日間子どもたちを見ていただけませんか。」

義母「山伏!?なにそれ!!なおちゃん、ウケる。いいね。やりたいことはやったほうがいいんだから。行ってきな!」

かくしてスムーズにツアー参加が決まった(感謝!)。

このインパクト満載のツアーページを見て、「行こう!」と思う人も変わり者だと思うけれど、職場(グリーンズ)の同僚に話したら、「心から羨ましい!!自分も行きたい!」という人が、3人いたので大概変わった職場なのかもしれない。

直感で決めた参加ではあったものの、私なりにちゃんとした参加動機がある。

ひとつ目は、今回の旅のガイドである和田麻弥さんがつくるツアーに参加してみたかったから。和田さんはモロッコで旅行会社を経営している日本人の方で、ここ最近はリャドと呼ばれるモロッコのホテルもオープンされている。モロッコのあれやこれやの事情でなかなか進まず、なんと!10年もホテルを作り続けていたり、そのホテルのスタッフに地元の女性たちを雇用していたりする。

コロナになってから、FBでつながったので、直接お会いしたことはなかったのだけれど、FBの投稿からは和田さんの眼差しならではの、モロッコへの愛や、モロッコの文化的&精神的豊かさが感じられて、「この人がつくった旅にいつか参加してみたい」と思っていた。

和田さんのホテル「Kasbah Tamsna」美しい〜。

ふたつ目は、自分でもスタディツアーをつくる中で、意識変容には「自然」の力を借りることが必要だと思ったから。

スタディツアーの参加者の方々には、ツアーの中で感じた気づきを、日常に持ち帰ってほしい、つまり「あ〜楽しかった!勉強になった!充電できたしまた明日から頑張れるわ。」ではなく、参加前と参加後で、自分の日常が少しだけど確実に変わっている。そういう旅をつくりたいと思っている。

そのために、ワークショップをしたり対話をしたりも大切だけど、それでは満たせないものを、大自然が満たしてくれるという体感を得てきた。

自然の中で過ごし、身を委ねることで、自然が勝手にいろいろ作用してくれる。それで参加者が、憑き物が落ちたような晴れやかな顔になっていることがよくある。

バリツアーでは朝、裸足で田んぼで過ごした。

人間は本来、自然の一部。山伏という、大昔から日本の山と共生してきた方と、一緒に山を歩くことで、日本人が本来自然の中でどう“あったのか(あり方)”を知り、そこからこれからの”社会のつくり方"への気づきがあるのではないかと思った。

山伏とは

私、恥ずかしながら、「山伏とはなんぞや」ということすらググらずにツアーに飛び込んだのだけど、帰宅してから調べた定義を、みなさんには先にお伝えする。

星野先達の言葉を借りると、
「山伏とは、半聖半俗の存在であり、神や仏と人をつなぐ人、自然と人をつなぐ人。食と人をつなぐ人。もっと緩やかに言うと、人と人をつなぐ人、人と地域をつなぐ人、地域と地域をつなぐ人。ただし、修行をしているので修験者でもある。」
「修験道とは、大自然の中に身をおいて感じたことを考える学問であり哲学である。」
修行で発することのできる返事は「受けたもう」のみ。まず全てを受け入れるという姿勢を表している。

なるほど!「つなぐ人」。白装束のインパクトばかりに気を取られていたけど、ファシリテーターやガイド、みたいな感じだと理解する。なんだか山伏がぐっと身近に感じるな。

普段は会社員で、休日に年に数回山に入るという方も普通にいて、私達が知らないだけで山伏は、実は周りに結構いるのだそう。

詳しくは下記の動画をどうぞ。


かくして「山伏とはなんぞや」ということすら知らずに、山形行きの電車に乗り込み、私の旅がスタートした。

1日目〜移動・羽黒山登山〜

日本海の海、暗いイメージだったけどきれいなブルー!

朝7時茅ヶ崎発の電車に乗って、東京へ。東京から新幹線で新潟、そこから特急で鶴岡へ。約5時間の道のり。

普段電車に乗るといったら、わんぱくな子どもたちを、いかに静かにさせるかに意識を全集中させているため、(だって、床に寝そべってみたり、降りない駅で降りてみたり、突然前の人に「ねぇ、おじさん。」って話しかけてみたり、それはもうワチャワチャなのである。)ひとりで、ゆっくり読書できる車内を存分に堪能する。あぁ、幸せ。

鶴岡駅から、大聖坊という宿坊へ向かう。宿坊とは、参拝者のために作られた宿泊施設で山に入るときは宿坊を起点にするそう。

神聖なエリアに入るようで、背筋が伸びる。
入り口、ドキドキ。
到着!大聖坊は星野先達の宿坊

到着したらすぐに着替えて、出発。今日は出羽三山のひとつ、羽黒山に登る。
服装はというと、こんな感じ。ちょっと恥ずかしそうなのは、目をつむっていただきたい。

初対面の方に「ちょっと写真撮ってください」とお願いした私の気持ちを察してほしい。
いざ、羽黒山へ!自然と「お邪魔します」という気持ちに。
みなさんのつけている鐘の「りんりーん」という音を聞きながら。

修行では私語は一切禁止だけれど、今回は修行ではないので、他の参加者の方と話ながら登っていく。

要所要所で、星野先達の案内にそって、みんなで祈りを捧げながら。法螺貝が祈りを捧げる合図。それから、三山拝詞は般若心経などをみんなで唱える。NO事前勉強だった私は「ほぉ、みんな暗唱してる、、、!」と驚きながら口パクで対応。(心だけは込めました。2日目からはカンペをもらいました。)

「今日は到着日だし、散歩〜♪」くらいのテンションでいたのだけれども、全然頂上につかない(笑)後で調べたら、羽黒山414mあった。

頂上到着!かと思ったら途中の茶屋だった!なんとかお餅でパワー補給。

甘さとしょっぱさの最強コンビネーション。おいしかった、、、!
清涼な景色。いつまでもここにいられる。

そして、更に登り続け(写真撮る余力なし)、やっと頂上到着〜〜!

これだけの建物を、機械のない時代に、山頂につくった昔の人たちの苦労は計り知れない。

頂上にある出羽三山神社で神楽を見せて頂いて参拝。白衣の背中に「羽黒山」と書かれた赤いスタンプを押してもらう。スタンプラリーみたいで嬉しいな。この仕組みはいつからあるのだろう。

そして、山を下る。足がすでにがくがくいい始めた。その証拠に下りの写真は一枚もない。

それからみんなで温泉に入って、大聖坊で夜ご飯。ビールも飲んじゃいます!乾杯!!

星野先達の奥様の手作り。めちゃくちゃ美味しかった〜〜!!

ここでやっとみんなで自己紹介。山を登りながらチラチラと話していたみなさんの、職業や参加動機を聞けて、意外だったり、共感したり。驚いたのは参加者15人中、全くの初参加は私含め2人だけだったこと。山に、戻ってきたくなるのかなぁ。

明日も早いので、早めに22時には就寝。

2日目〜月山登山〜

いざ月山(がっさん)へ。日本人は亡くなったら魂が月山に戻ると言われているのだそう。
今日は月山の山頂に泊まるので、1泊分の荷物を背負い、出発!
月山の標高は1984m。でも今回は8合目までバスで行くとのことで、「それならまぁ余裕でしょ。」と思っていた、この時の自分を諌めたい。

先達の白装束姿、山で見ると一段と凛として見惚れてしまう。
天気に恵まれて、本当にきれいな景色。
通行人に写真を撮られたり、めっちゃ見られたりする。「逆の立場だったら私もそんな目で見るもんなぁ」と、見る人・見られる人、両方の立場の自分の視点を頭の中で行ったり来たり。みんなが「こんにちは!」と爽やかに挨拶すると「お疲れさまです。」と言われ、なんだかいい気分。

個人的には、五感を研ぎ澄ませること。視野を広く保つこと。を意識して歩いた。普段の生活ではつい思考ばっかりに偏りがちで、感覚をフルに使う時間が減っている。またパソコンやスマフォの画面に集中して視野も一点集中型になりがちだ。
野生の動物は、危険をいち早く察知するため視野を広く保つ。私も意識を野生の山モードに切り替える。すると不思議と風音や草の動きが鮮明に感じられるようになる。

もうひとつ。星野先達に導いてもらって山に入る時と、一人で入る時では、山の表情が違うのでは、と感じる。よくわからないのだけど、なんだかあたたかい感じ、歓迎されて守られている感じがする。

貴重なツーショットで目をつぶるワタクシ。
標高が高くなり雪が見えてきた。
山に針を刺すようなアイゼンは使わない。代わりにわら縄を靴に巻きつける。
適宜、休憩を取りつつ。
エーデルワイスみっけ!
霧の中の雪道、前が見えない。足がすくんだ。

そして頂上に到着!頂上は神聖な場所で普段は入れないのだけれど、今回先達と一緒ということで特別に上がらせて頂いた。写真は禁止。

ものすごい強風が吹きすさぶ中、お祈り。

その後、「月山」のスタンプを背中に貰い、本日のお宿、山頂小屋へ。

山で取れた山菜、、、おいしい!!

山小屋といえば、富士山の山小屋のイメージで、寝る時は隣の人と互い違いになって、顔の横に靴下がある状態で寝ると思っていた。が、なんと!3人部屋で広々!布団もある!夕食豪華!トイレの便座が温かい!(しかもバイオトイレ、素晴らしい!)

予想外にものすごく快適な環境で、床につく。明日はご来光を見るために3時半おきだ。

3日目〜月山下山・湯殿山・帰路〜

ひんやりとした空気の中、ウィンドブレーカーを着込んで、御来光を見にゆく。

太陽の光があたっている部分が暖かく感じる。感謝しながら、太陽に祈りを捧げる。

私が茅ヶ崎で毎日を過ごしている時にも、この景色はいつもここにあるんだよなぁ。

太陽が大きい。

朝食をいただき、いざ下山!

先達のムダのない動きを真似しながら、下る。

帰りは苦手な雪道が長くって、すってんころりんして、お借りしていた杖を離してしまい、杖がスルスルと滑って見えなくなってしまった。。。本当に申し訳ない気持ちと、あの杖が自分だったら、、、と思いまた足がすくんだ。

和田さんがご自身の杖を貸してくださり、先達や和田さんや、他の経験者の方々に守られているから、初めてでも、こうして安全に帰ってこれているのだなと、再認識する。本当にありがとうございます。

帰りは、リフトで下山!

個人情報の関係で載せないけれど、下山した時の集合写真は、本当にみなさん晴れ晴れとしたいい表情!

その後、バスで出羽三山の最後の山、湯殿山の神社にも参拝させていただき、温泉に入り、昼食を食べ、駅でお土産を買い、解散。

帰りの電車が一緒だったメンバーと、車内で乾杯して、いろんな話をしながらだったので、帰りはあっという間。21時に茅ヶ崎について、「あれ、今日の朝は月山の山頂にたのよね…」と瞬間移動したような気持ちに。

旅を経て変わったこと

今回の旅から得たことは、本当はもっともっとたくさんあって、きっとそれは数年後に、「あぁ、あの時月山に行ったから」と気づくようなものなのだろう。
だけれども、今、認識している変化はふたつ。

  1. 背筋を伸ばすことにした。

  2. 肚で考えることにした。

1つ目の背筋について。参加者の中で、いつも背筋がピンっと伸びている方がいた。立っても座ってもいつも背筋が伸びている。立ち振舞が美しいだけでなく、その方が現れると、場の空気が凛とする。すごい。羨ましい!

背筋を伸ばす方法を教えてもらった。昔ながらの頭の天辺に文庫本だ。文庫本はなかったから、頭スマフォだ。それでいい姿勢を保つと、不思議と心が落ち着いて、余計な考えが浮かばなくなる。シンプルに生きられそうだ。そして、正しい姿勢だと疲れない。これはいい。今日から実践する。

2つ目の肚で考えるについて。下のイラストを見てほしい。私の人の認識は現状こんな感じ。人は、頭で考え、心で感じる。のだけどその奥の肚の部分に、本当の意味でのその人の”願い”(人生で大切にしている価値観)がある。NVCでいうニーズに近い。

例を上げる。電車で自分の子供が騒いでいる。周りの人の迷惑になると思い、注意するがなかなか静かにしない。恥ずかしいし、いつも言ってるのにと子どもたちにイライラして怒鳴る。

整理すると以下のようになる。
状況:電車で自分の子供が騒いでいる。
考えていること:周りの迷惑になるから静かにさせなくちゃいけない。いつも言ってるのに、子供が全然ゆうこと聞いてくれない。
感情:イライラする、焦っている、恥ずかしい。

この時に、なぜ自分はイライラするのか、どういう願いがそこにあるのかを感じ、考えてみる。すると「子どもたちには人のことも思いやれるようになってほしい」や「人に怒られて怖い思いさせたくない」という、子どもたちに対する愛が出てくる。

願い:「人のことも思いやれるようになってほしい」「怖い思いさせたくない」

子供に対して怒りに任せて「静かにしなさい!」と言っていたのが、愛を持って「人のことも思いやれるようになってほしいの」と言えるようになる。

これができると、コミュニケーションが劇的にスムーズになるし、自分が本当に望んでいる方向に人生を進めることができる。この願いがどこにあるかというと、肚である。

さて、星野先達はこう言っていた。

「修験道とは、大自然の中に身をおいて感じたことを考える学問であり哲学である。」

大自然に身を置く時、人は自然とで感じ、考えるようになるのだと思う。山でこんな話を聞いた。腹黒、腹を立てる、腹を決める、腹をくくるなどの言葉があるように、昔は、心は肚にあったのだと。

頭で考える、胸で感じる、からぐぐっと落として、肚で感じ考える。
それが今とてもしっくり来ている。

星野先達の元で修行した方の中には、自分の故郷の山で修験道を始め、山を蘇らせる人が出てきているそう。「肚で感じ、考え、自然・人・地域をつなぐ人」。グリーンズが提唱してる「いかしあうつながりをつくる人」とも共通してる。今の日本に、本当に必要な人材だと思うし、自分の知らないところで、こうして活動している人たちがいたことに、また、勇気をもらう。

さて、とりあえず、まずは背筋を伸ばそう。



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