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30才子持ち、ニートになるの巻

2016年2月にFacebookに書いていた文章を、こちらに移しました。



2015年12月、仕事を退職し、30才1才の子持ちにしてニートになった。


これからどうしていこう。
いい機会なので自分の人生設計を考えることにした。
選択肢がありすぎて迷った。
働く、働かない、正社員、派遣、バイト、自分でなんかやる。
やりたいことはたくさんあった。
そして今までとは違う制約もあった。
子どもの保育園の迎えで残業ができないこと、土日も働けないこと、
子どもが急に熱を出すかもしれないこと。
これは制約というか、子どもとの時間を大切にしたいという自分の希望でもある。

転職活動をしてみるの巻


よくわからないのでまずは行動。
1才の子もどがいる女性の転職って厳しそうだけど、実際はどうなのか。
転職大手のR社さんに登録して面談に行ってみた。
オフィスはとってもきれいな高層ビル。セキュリティが厳しく、受付の方も機械的にピシッとしている。大企業だ〜こういう雰囲気久しぶり、という感じ。
広い空間を仕切った画一的なMTGルームが30個くらい。
人ふたりがやっとという広さの部屋の中には机一つとイスがふたつ、PCがひとつ。
壁に囲まれてて窓はない。
ここで自分の将来の話、生き方の話をするのか、と思った。
私なら風が通って日が当たって気持ちのいいところで話したいなと思った。

面談では私のキャリアは評価されるであろうこと。
転職エージェントにくる案件は基本時間制限なく働ける人のためのものであること、制限があると他の候補者と比べて不利なこと、でも決して転職は不可能でないこと。他の子持ちの女性も転職エージェントだけでなく、他の方法も含めて転職成功させていること、ハローワークや人づてで探してみてもいいかもなどの話があった。


この会社にとって私はウェルカムな人材ではない(子持ちで時間制限があるから)んだと感じるとともに、これが実際なんだろうと思った。
この担当の方は誠実に発言していると思った。

これが今の日本の現状なんだろう。キャリアを積み上げてきても、子持ちというだけで、先が著しく狭まる。
まぁそりゃそうだよね。残業を前提としている職場では、残業できませんという社員をわざわざ中途でとろうとは思わない。男性社員を含め企業全体がオーバーワーク体質を改善するか、子育て中の女性の労働力も確保できるよう時短のポジションの活用を進めていくようになるまでなかなか厳しいなぁと感じた。
経験できてよかった。問題を肌で感じる。


自分は肩書き、給料、名声 そういう事にとらわれない、価値を感じない人間だと思ってきた。でも仕事を辞めるとき、今後もしかしたら一生契約社員、派遣社員、バイトかなと思ったとき、やはり躊躇した。給料は変わらないのに。息子に見せる背中はバリバリ働いているかっこいい母親でありたかった。


でもそれは雇用形態は多分あまり関係ない。


正社員でも興味のないことをしている背中と、バイトでもやりがいのあることをしている背中とどっちが胸を張れるか、だ。


ちなみに心配している方のためにお伝えしておくと、
その後興味ある企業を自分で探すことにした。
その中には母であることをマイナスにしないだけでなく、評価してくれる正社員求人もいくつかあった。今働いているのはそのうちのひとつ。


大変だけど、探せばないことはない。

農業をしてみるの巻


ニート期間にやってみたかった農業をしてみることにした。
埼玉の有機農家さんでお世話になりました。
空の下で土を触る、やっぱいい!生きてるって感じがする。


「それはカブのビニールだろが!ほうれん草のは穴の空いてるやつだろが〜!」←初耳(笑)
「もっと早くやって、そんなゆっくりやってたら遊びと一緒!」など久々に人に怒鳴られる。


でもとっても気ぃ使いで優しいお父さん。
田舎への移住になんとなく憧れがあって、少し調べたりもしていた。
田舎暮らしってスローライフ的なイメージがあるけれど、
「ロハス」とか「頑張りすぎない生き方」とか、実は都会的な価値観なのかもと感じた。


東京近郊のこんなに先進的な農家さんでも「今年の暖冬はいけない、物が売れない、経済が回らない」「人間一生懸命働かなくなったら終わり」などの発言がでる。世代か性格か。


田舎暮らしは憧れだけど、そういう考えの人に囲まれて、毎日同じメンバーと顔を合わせて暮らすのは大変かもと思った。土地によっては違うのかもしれないけど。どうだろうか。


とにかく農業はいい経験になった。
土を触っていると思考がシンプルになる。
そして自然に近い方が幸せな気がする、と感覚が言っている。
食べるって生きることの根源で、これは少しでも自分でも続けていきたいと思った。



生き方を考えるの巻


ウェブでこんな記事を見つけた。

有名なこんなビジネスの小話があります。

メキシコの海沿いの村に、MBA(経営学修士) をもつアメリカ人のコンサルタントがやってきた。ふと見ると、とても活きのいい魚が獲れている。漁師は片付けをして、すでに帰ろうとしているようだ。

コンサルタント いい魚だね。漁にはどのくらいの時間がかかるんだい?

漁師 まあ、数時間ってところかな。

コンサルタント まだまだ日は高いのに、早く帰って何をするの?

漁師 のんびりするさ。昼寝をして、午後にはギターを弾いて子供と遊んで、夕暮れにはワインを飲みながら妻と色々話をして、それで一日はおしまいさ。

コンサルタント なぜもっと努力して漁をしない?

漁師 どうして?

コンサルタント もっと漁をすれば、沢山魚がとれる。それを売れば多くの金が手に入り、大きな船が買える。更に人を雇って漁をすればもっと大きな商売になる。

漁師 それで?

コンサルタント そしたら町のレストランに直接納入するのさ。さらに大きな利益が出るだろ。そうしたら、この村から出て町に行く。その後はニューヨークとかの大都市で会社を運営するのさ。

漁師 その後はどうするんだい?

コンサルタント (笑いながら)その後が最高さ。企業を上場させれば、巨万の富が手に入るだろう。

漁師 巨万の富か。そうしたら、その後はどうするんだい?

コンサルタント そしたら悠々とリタイヤできるだろ。海辺の村に引っ越して、昼寝をして、午後にはギターを弾いて子供と遊んで、夕暮れにはワインを飲みながら奥さんと色々話をして、のんびりした生活を送れるのさ。

もちろん、稼ぐことに挑戦する人生に生き甲斐と覚える人もいると思います。

でも、ふと立ち止まって考えたときに、今私たちが回している経済は、どうも、私たちを幸せにはしてくれそうもない、と気づいた人が増えているように思います。そして、その中で違った生き方を模索する人も増えています。

100%アグリーだった。
ベネゼエラのムヒカ大統領の話、そしてこの話が今の私には響く。


将来のためでなく、今のために生きたい。
「もし明日死ぬとしたら何をして過ごしたい」と聞かれた時の答えを
毎日して過ごしたい。


人間は環境の生き物。いい面でも悪い面でも周りの環境に左右される。
それを実感しているからこそ、どんな環境で暮らしたいかを考えた。


私は、
海の近くで、土を触り、空を眺めて、大好きな人たちと将来の話をしながら暮らしたい。


初めて訪れたフィリピンの村で過ごした時、
世界青年の船で、船の中には仲間がいて目の前にただ太陽と海しかなかった時、
生きてるってそれだけで素晴らしいと感じたあの感覚を
忘れずに過ごせる日々を送りたい。


憧れだった国際支援の仕事から離れることには迷いもあった。
将来NGOで働いてる姿を息子に見せたいなという気持ちもあった。

ハビタットで現地の家族の家を建てた時、
「この後この人たちの目指す先はなんだろう」と思った。大きい意味で。
日本、アメリカ、ヨーロッパの先進国のように発展していくことか。
でも日本には課題先進国と言われるほど、いろんな課題があって、
資本主義経済の限界も見えてきている。
逆に発展途上国から学ぶ事がこちらにあるのでは?と日々感じていた。


それからもうひとつ。
支援の現場ではあくまで私たちはアウトカマーで、そこには現地の人の生活がある。

そんな中で、
これからの幸せなライフスタイルを模索すること、自分の手で暮らしを豊かにすることがしたいと思った。


これから


そんなこんなで報告。
転職しました。インターナショナルスクールで働いています。
茅ヶ崎に一軒家を買いました。
なんで茅ヶ崎って、細かい理由はいろいろあるけど、大まかに言うとフィーリング!
DIYでリノベします(手伝いに来てね!)。庭広いです。家庭農園します。海賊船作ります(旦那Yuta Sanoが)。AIRBNBで海外の人とか泊めたいです。
海近いです。歩いて7分です。
夏は海で遊んで、うちに泊まって、夜は子供が寝た後に語ろうよ!

海の近くで、土を触り、空を眺めて、大好きな人たちと将来の話をしながら暮らしたい。
これからの幸せなライフスタイルを模索すること、自分の手で暮らしを豊かにすることがしたい。

今の仕事は東京だから、しばらくは東京に住んで、週末茅ヶ崎というスタイルになりそうです。将来は茅ヶ崎に住みたいけど、そのためにはどうやって仕事続けるかとか、考えることがまだまだたくさん。

だけどまずは第一歩。

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