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絵で嬉しかったことと、自分の今後について

〇リクエスト企画をやりました

正直私の絵に需要があるとは思えなくて、しかしいつもお世話になっているフォロワーの方々になにかできないかということでやってみた。結果的に、予想より多くリクエストをいただけたし、しかも私の漫画のキャラクターもリクエストしていただけたのが驚きだった。

こちらが今回リクエストで描いた絵。楽しかったです。

リクエスト_まにこ私服

リクエスト_ママ騎士一家

リクエスト_たてはさん

リクエスト_ねこちゃん

リクエスト_かまいたち

リクエスト_花ちゃんセーラー服

リクエスト_花ちゃん戦闘

いくつかの原作はnoteでも公開しています。

リクエスト絵でもう一つ嬉しかったことは、やはり反応が確実にもらえることだ。需要があって供給するので、喜んでもらいやすい。

一方で、描くときには「どう描くか」の悩みも大きかった。相手はイラストの何を求めてるのか?みたいなことを、浅慮ながら取り組んだ。特に自分のキャラクターでないものは、対象を研究する時間も必要だったので苦心した(それはそれで楽しいのでOK)。そのおかげか、どうやら満足していただけたようで本当に良かった。世の中には無償のリクエスト絵を受け取ってコレジャナイと喚く方もいらっしゃるが、私のまわりには素敵な人ばかりだ。また、まとまった時間が取れるようであればリクエスト企画をやりたい。


〇自分の活動で気づいたことと、これから

今回の企画で気づいたのが、私はやはり、作品への反響をもらえるのがなによりも嬉しいということだ。もっとダイレクトに言うと、私が最も求めていることは、承認だ。

「絵は自分が満足できればいい」という考えはある種達人の域に達していて、私もそんな大人びた考え方はかっこいいと思っているのだが、私には無理だとわかった。私が満足できるのは、他人に評価されたときだけだ。この考え方をこれまで私は浅ましくて嫌だと思っていたが、もうどうしようもない。

同様に、「一人でも見てくれる人がいるなら作る」という台詞もかっこいいと思っているのだが、私はそうではないとわかった。もちろん承認をくれる1人はすごくありがたいが、10人、100人、とにかく数が多いほうが、なお嬉しい。しかも、その「多い」は必ず過去との比較が伴う相対的な感覚であり、たとえば1000人にウケたあとに、新作が今度は900人にウケたら、私は「承認が100人減った」と感じるだろう。これは、真実(ガチ)だ。私はやっと自分がそういうやつだとわかった。

もっと言えば、私にとっての承認は金銭よりも価値が重い。1人に絵を渡して100万円もらうより、タダで100万人に見てもらえるほうが嬉しい(※100万円欲しくないという意味では絶対にない)。

そして、厄介なことに私は輪をかけて拗らせているので、上記の考えでありながら流行りのジャンルやネタに走るのを嫌悪している。私は自分がいいと思った創作物で得られた承認のみを幸福として生きていくらしい。一頭の牛から数百グラムしか取れない希少部位のみを食料として生きる困った偏食家だ。それじゃあ身が持たない。

身が持たないので、さしあたり今後のツイートはほとんどを「人間活動の一切は本質的に無価値。」の文章にすることにした。これは「無価値なんだから、ウケようとウケまいと知りませんけど?」という強がりだ(ただし、「人間活動の一切は本質的に無価値」だとは結構本気で思っている)。こう言っておけば、自分のみならず他人が得ている承認すらもある程度気にしないで済む。

気持ちわりー。書いていて、大口敲工とはしょうもないやつだなと思った。同時に、しょうもないし、もういいよねという、半ばあきらめの入った「許し」を自分に下すことができたと、なんだか楽な気分だ。はい、大口敲工こと私はそういうやつなので、もうそうやっていきます。よろしくお願いします。

最後に。「人間活動の一切は本質的に無価値。」とは諦めである一方で、価値を創造しなければならないという強迫から解き放たれているので、私の創作活動へのモチベーションはむしろ上がっている。自分が描きたく、かつ皆様にウケそうなものを探していきたいと思います。

あと、Twitterでは普通に会話できるので、よかったら気軽に話しかけてください。

(大口敲工)

まんがを読んでくださいね。