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台湾の旅 苦い旅

2002年。大学3年生になる前の春休み。
初めての海外旅行。
不安で不安で仕方なかった。未知への不安。
一緒に行く友人が海外へ何回か行っていたことが少しは不安を取り除いてはくれたけれど、それでも出発前は不安が8割ぐらいだったと思う。
海外旅行に憧れていたはずなのに。

旅の間、なかなか不安が減ることはなく、常に警戒心の塊だった記憶がある。充分楽しめなくて少し苦い思い出でもある。

台湾に着陸して見えた空港の景色は、見覚えのある南国植物。
空港の外に出ると気温と湿度も沖縄にそっくりだった。
母の故郷の沖縄は毎年のように行っていたので、私にとってのなじみの場所に似ていて、少しうれしかった。ここでほんの少しだけ不安が減った。


荷物を受け取り、ホテルへ移動の前に、空港のコンビニに立ち寄った。

コンビニに入ってすぐ、入り口近くに小さな電気鍋に入ったおでんのようなものがあったのを確認できた。

へぇ、暑い国でもコンビニにおでんあるんや。

少しして、
かいだことのない香りがしてきた。
独特のスパイスの香り。
その時は何か分からなかったけど、私には少し苦手な香りだった。

よく聞く、空港降りたらすぐその国の香りが漂うという話。これか!という体験だった。

のちに、それは八角というスパイスで、台湾料理には欠かせないもので、いろんな料理に入っていると知った。


夜市



屋台では旅人誰もがうわっと言ってしまう臭豆腐をたくさん目にしたけど、私は臭豆腐の匂いを思い出せない。どの料理も必ず、『これ八角入ってへんかな?』と、そればっかり気にしていた。
ある程度歳を重ねたために苦手が好物に変わった食べ物はあるけれど、いまだに八角は苦手なまま…
定期的に来る台湾ブームのおかげで日本でも台湾料理のお店は増えたけれど、どこのお店にも必ずあるであろう魯肉飯なんて見ただけでおいしいに決まっているけれど、
あのおいしそうな豚肉は八角“無し“で煮込まれているはずはなく、今のところまだ食べたことはない。
きっと食べず嫌いなんだろうけど。
この歳まで食べなかったので、初めては台湾で食べる事に決めている。チャレンジすらしていないのだけれど、台湾でリベンジしたい。


とにかく、バイクバイクバイク
広い道路

街に出て、やたら広い道路や高層ビル、整備されてきれいな街並みを見て、
台北って京都より大都会やん!
という衝撃を受けた。
ほとんどのアジアの国は日本より整っていないのでは?なんていう先入観を持っていた。
百聞は一見に如かず体験だった。


沖縄でもよく見かけるフルーツや野菜が並んでいた

夜市では八角のこともあり、火がちゃんと通っているかも気になって何を食べるにも警戒し、
海外での生フルーツと氷も不安で、南国フルーツのフレッシュジュースにも警戒していた。

だから、何を食べたのかは撮った写真で思い出せるけれど、味は思い出せない。
今はもっと屋台料理を楽しめたら良かったなぁ、
もったいなかったと思えるけど、
この、口に入れるものへの警戒心はいまでも結構残っていて、
どこへ行くにも気を付けられる。
おかげで、わたしは海外旅行でのお腹のトラブルは一度もない。


中正紀念堂


烏來(温泉地)


通り名には台湾の政治家の名が付いてた事、
何車線!?と驚く広い道路はどうやら滑走路になるらしいということ、
高齢の方と日本語で会話できたこと、
少し郊外へ行こうという事で行った少数民族の村は温泉地でもあって、
そこの温泉を整備したのが旧日本軍だった事。

高校時代に世界史を勉強したおかげで、それがどういう意味かを感じながら旅ができた。

この体験は、その後の海外旅行の味わい方や楽しみ方の基準になった。
歴史を勉強してから行くと、体験にものすごく深みが出る。記憶も深くなる。

こうやって、深く刻まれているから、
台湾旅行してから20年経っているけれど、あの日にすぐ帰ることができている。
感情もすぐ思い出すことができる。


看板は漢字なので、何屋さんかすぐ分かる。
街歩きはしやすかった。


警戒心のために苦さが大半を占めてしまった台湾旅。
早いうちに楽しい旅として、自分の中に台湾の楽しい思い出を加えたい。

幸いにも、沖縄に住んでいる今、それがすぐ叶いそう。
沖縄から台湾への飛行時間は1時間半。
無理をすれば日帰りも可能。
好条件は揃っている。

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