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マルチ人。の絶叫伝記 〜小学生編 ⑤ 最後の別れ

1992年夏。東京都、練馬区。

山川(やまかわ)家(仮名)では、母と兄のりょう(仮名)と、私(マルチ人。)と妹のいつき(仮名)との母子生活は続いている。

「じゃあ、仕事に行ってくるね。戸締まりと学校のプールに行くこと、家の家事、宜しくね。」

と、一通りの家事を終えた母は、妹のいつきを連れて、いつものように保育園と職場に向かう。

当時、兄のりょうは小学5年生、私は小学3年生、妹のいつきは、保育園の年長だ。

ちょうど夏休みになる頃で、母は仕事、いつきは保育園、りょうと私は、小学校のプールに行くことと、家の家事と留守番をすることが、山川家のそれぞれの任務だ。

家事では兄のりょうはお風呂掃除、私は洗濯物の取り込みの役割があった。

「いってらっしゃ〜い」
と満面笑みで、見送るりょうと私。

「バタンッ」
と母といつきが家を出たと同時に

「カチッ」
とスーパーファミコンの電源が入る。

この二人の悪童は、さらさら学校のプールなんて行く気はなく、親の目がないのをいいことに、スーパーファミコン漬けの夏休み生活を決め込んでいる。

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当時、「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」というスーパーファミコンのゲームにはまっていた私は、学校の夏休みのプールはサボり、ご飯とトイレ以外の時間はゲーム漬け。

母が仕事から帰ってくる10分前にゲームをやめて、5分前にわざと濡らしたプール水着を洗濯機に仕込んでおき、私の家事の役割の洗濯物を1分で取り込むという、隠蔽荒技ルーティンをかましていたのだ。

「ただいま〜」
と、母といつきがいつものように仕事と保育園から帰ってくる。

「おかえり、お腹空いた〜、夜ご飯なに?」
と、笑顔で子どもらしいリアクションで迎える。

この狡賢い名子役たちの演技に、どれだけ母を騙せていたのかは、私にはわからないが、もはや、「軽度のサイコパス」だ。

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この悪童たちは、これだけでは飽き足らず、さらにイタズラに味を占めて、ごまかしに拍車をかけて、母子生活を謳歌していくのである。


爆竹をご存知だろうか?

火薬の詰まった段ボール製の小さな筒に導火線があり、その導火線に火をつけると、大きな音を立てて、小さな筒が爆破するものだ。爆破力は、身体に触れると赤く腫れあがり、かなり痛い。花火とは違うが、その原理は似ていて、とにかく、爆破音がうるさい迷惑な代物だ。
当時、この爆竹を駄菓子などで手軽に購入できたのだ。

(子どもにとっては、取り扱い危険な爆破物を簡単に購入できるなんて、どんな時代よ?っと思ったりもする。)

爆竹で蟻の巣を爆破させて、蟻都市を大パニックに落とし入れたり、犬の糞(フン)に刺して爆破させたりして、遊んだものだ。

着火して犬の糞(フン)から離れる前に、爆竹が爆破して、犬の糞まみれになったのは言うまでもない。

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そんな悪童に育ちつつあった子どもたちであっても、母は下を向くことなく、孤軍奮闘で働く姿や3人の子どもを育てるパワーは、今でも強く印象に残っている。

母のワンオペレーション(ワンオペ)での、仕事、家事、3人の育児には限界があり、そのフォローを兄のりょうに委任することもしばしばあった。

その1つが、妹いつきの保育園へのお迎えだ。

母の仕事が終わらず、お迎えの時間に間に合わない時は、兄のりょうがそのお迎えのために、自転車を発進させる。

自転車の後輪軸に、"ハブステップ(略称:ステップ)"を付けていつきを乗せられるように準備する。

このステップというのは、棒状の金具でできていて、それを自転車の後輪軸につけて、そこに足をかけて2人乗りできるようにするために使用したアイテムだ。

本来ステップは、自転車が転倒した際に、突起したステップが自転車の損傷を守るためのアイテムとして販売されていたが、当時は2人乗りをするためにステップをつけていた子どもたちで溢れかえっていた。

私も保育園へのお迎えは、兄のりょうとよく一緒に行ったものだ。

警察の目を盗み、裏道を選び、人通りが多い道や交番前では2人乗りを止めて、再び2人乗りするを繰り返し、まだ保育園児の妹のいつきをステップに立たせて帰るその様は、今思えば笑える光景だ。

(よく母は、この交通違法行為を黙認して、お迎えを委任したな。)
と、今になって殊更に思う。

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1992年、冬。

冬の寒さも厳しくなってきたクリスマスの頃に、何の前触れもなく、突然、その日は訪れた。

家でいつものように過ごしていた私は、テレビを見ながらボーっとしていた。

「ドンッ、ドンッ」

と、震度5程度の地震でも倒壊しそうなほどボロい外観をした、木造アパートのドアをたたく音に反応し、私の目線は自然とドアの方に向く。

珍しい、この家に訪問者だ。)

と、心の中で思った時には、すでに母がドアを開けてその訪問者を出迎えていた。

子どもの私から見たら、長身で細身の男が、玄関からその姿を覗かせた。

「たかくん!」

と母がその男を呼ぶ。

はっ、と瞬間的に私の意識がはっきりしたのを感じた。

その長身で細身の男は、もう会うことがないと思っていた父のたかし(仮名)だった。

「お父さん!」

その予期せぬ訪問者に対して、条件反射で声を上げる。

父たかし(仮名)の姿を見るのは、約2年振りとなる。

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アパートで少し父と母は、話をしていた。子どもには分からない大人の話しをしていたのだろうと想像する。

そのあとに、久しぶりに父と母と子どもたちとで、おもちゃ屋へ行き、最初で最後のクリスマスプレゼントを父から買ってもらった。

買ってもらったのは、スーパーファミコンのソフト「らんま1/2 爆烈乱闘篇」だ。

私が生まれた時から、仕事と学業で、ほとんど家にいなかった父との貴重な思い出は、これが最後となる。

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買い物を終えて帰ってきた後の、父たかしと母のぎこちない会話切なさ漂う雰囲気が、以前の夫婦にはない関係であることを、私は幼いながら敏感に察知した。

私は父から買ってもらった「らんま1/2 爆烈乱闘篇」に夢中になっているその横で、父は母に腕枕で添い寝をしている。

時間が経つにつれ、その父の腕の中で、すすり泣く母。

「たかくん、寂しいよぉ。」

と震えた声で父たかしにつぶやく。

次第にすすり泣く声は、嗚咽に近い泣き声に変わっていく。

母の想いや感情は、父を引き留めるまでに至らず、そのまま時間だけがむなしく過ぎていった。

「としえ(仮名)、もう行くね。・・・元気でな。」

父たかしからの言葉に、母としえ(仮名)は声を上げて泣いた。

「・・・たかくんもね。」

と母も鼻をすすりながら返す。

「私(マルチ人。)、元気でな。」

クリスマスの寒い時期に父たかしは、最後の別れを言いにきたのだ。

以来約30年、父たかしとの接触はいまだにない。

・・・最後の別れだ。

こうして、母にとっての1つ目の”幸せだった家庭生活が完全に幕を下ろした。

To Be Continue…

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