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この前撮った写真の話

こんにちは。前回のnote投稿から少し間が空いてしまいました。

その間、久々に写真を作品展に出しまして。

愛知県の栄にあるセントラルギャラリーで、今もやってるつくし賞という作品展です。

(2020.10.11までの開催です。名古屋にお住まいの方、よろしければご覧くださいませ。)


写真は撮っていましたが、作品展に出すのは大学を卒業して以来なので5年以上・・・もしくは10年近く経っているかもしれません。

でもここのところ作りたいものが出てきたので、また作品製作を始めたという訳です。

何年経とうが、何歳だろうが、やりたいと思ったものが出てきた時にやり始めることが大事だと思っていますよ!


今回の作品を製作中、ずっと忘れられなかったある子の言葉がありまして。

わたしは大学を卒業してから就職をしたくなくて、カナダにワーキングホリデーをしていました。

そこで出会った子に言われた言葉です。


わたしは大学卒業の頃には自分のセクシュアリティも分かっていて、同性の恋人がいたこともあったし、近しい友人には同性愛をカミングアウトしていました。

大学が芸大であったことも大きいのか、同性を好きになったことをカミングアウトしたとして、だからなんなの?という空気の中で生きてきていました。

そういう環境だったから、わたしは”二丁目”的なものを必要としなかったのかもしれません。たまに女性限定バーに行くこともありましたが、それよりも”普通”の居酒屋だったりバーに行くことが多かったです。

そんな生きやすい環境で生きてきたわたしが、初めてできたセクシュアルマイノリティの友達との出会いが、ワーキングホリデーで行ったカナダでした。

その子とは最初セクシュアリティなど関係なく、アニメの趣味で友達になり、楽しい思い出を作っていた訳です。

が、わたしの帰国するほんの一日前、二人で飲みに行った先で同性愛者だとカミングアウトされました。

その子からのカミングアウトは嬉しくて、君も同性愛者なの?わたしも!と言ったやりとりで盛り上がったことを覚えています。

けれどその子は厳格な家庭で育ち、同性愛者だなんて言えないから、自分のセクシュアリティについては家族には伝えず墓場まで持っていくと言っていました。

今までセクシュアルマイノリティの友人もおらず、”二丁目”的なところにも馴染みのないわたしにはそんな生き方をしなければいけない人たちがいることについて考えたこともなく、衝撃を受けたことを覚えています。

その子には「同性愛者って透明だよね。存在を認めてもらえない。」と言われたことも覚えています。

その言葉は自分の生きる環境さえ良ければいいという、わたしの狭い視野を広げ、同時にセクシュアルマイノリティについて勉強不足だと感じた一言でした。

わたしがフリーペーパーを作り始めたこと、

写真で同性同士のカップルフォトを撮影し拡散すること、

そしてアート作品でセクシュアルマイノリティをテーマに作品を作ること。


その全てに、あの時の、その言葉が忘れられなくて、何かをかたちに残したいと思って、行動しています。


透明な存在の、社会に認められていないわたしたち。


自分の、"ただ"のセクシュアリティを墓場まで持っていかなければいけないと思わせてしまうこの社会が、早く変わるよう願う日々です。


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(ギャラリーの写真は名古屋在住の友達に撮ってもらいました。ありがとう!)

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