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人生がダメになる本当の理由【プロ奢voicy書き起こしvol.34】

この無料noteは、プロ奢ラレヤーのvoicy「人生がダメになる本当の理由」(2021年2月26日公開)の内容をもとに作成したものです。

はいどうも、プロの奢られ屋やってます。

ということで、累計3千人ぐらいに池袋の西口で飯を奢られてきた浮浪者が、よくわからない独り言を、ここで垂れ流していく。という配信になっております。

物好きな人はね、ぜひ聞いていってください。物好きじゃない人は帰ってください。

ってことで、スポンサー募集してます。よかったらリンク先見てください。

今日のテーマ「人生がダメになる本当の理由」

ほんで今日は、えー何だっけ。そうそう、ダメな人生。

「本当に私の人生はダメだ」と言う人は結構いると思うんですけれども、

どうして、どういう理由でダメな人生というものになっていくのか?

ということを考えていきたいと思っております。

ダメだから悲観的に…?

ダメな人生についてね。で、まぁこれはね、よく僕も言ってることなんですけども「悲観的な人」って多いじゃないですか。

悲観的な人っていうかね、「私の人生、本当に恵まれてなくて悲しいことばっかで、面白いことが何もなくて…」みたいな、

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そういう風に言ってる人、結構多いんですけども、

ま、そういう人が、どうしてそうなっていくのか?ということを考えていくと、

ぼくはね、決め込んでるところがあるのかなと思っていて、

「決め込んでる」っていうのは何かって言うと、「前提にしてしまっている」わけなんですよね。

前提にしている、何を前提にしているかっていうと

「私の人生はだめ『なので』、だから悲観的になっているんだ」と。

この『論理』ってのは結構大事で、何かを前提におくとですね、それは前提なので、どうしようもなくなってしまうんですよ。

つまり今の考え方だと

①私の人生は、まずダメな人生である

そして

②そこから考えるに、だから私は悲観的である

となってしまう。なので、やっぱり問題を解決しようと思ったら、前提をまずひっくり返してみるってことが大事かと思ってるんですね。

つまり、今の考え方だとまず不幸なんですよ(笑)

①私の人生は、まずダメな人生である

でも、そうじゃないかもしれないじゃないですか。

「悲観的」で「人生がダメ」という、ダメポイントが2つあるわけですけど、

因果関係っていうのはわかんないわけですよ。つまり、鶏が先か卵が先かみたいな話なんだけれども、

もしかしたら、

①私がすごく悲観的である
②悲観的であるから、人生が駄目になっているんじゃないか?

という考え方もできるわけですよね。

つまり、鶏と卵をひっくり返すわけですよ。

そうすると「あれ?もしかして私の人生が今ダメっぽく見えるのは、私が悲観的な人間だからではないか?」こうなってくる。

「ということは、私が悲観的でなければ、人生そんなにもしかしたらダメじゃないんじゃないの?」っていう風につながっていくわけですよね。

最初の考え方だと「私の人生はまず駄目です」なので「私は仕方なく悲観的になっています」これってもう、どうしようもないじゃないですか(笑)

たしかに人間、なんていうのかな。「親ガチャ」とかさ、「出生地ガチャ」とか色々あるので、大変さとかは人によって違いますよ。

どれだけ自動的に楽しい事が起きるかとか、経済的な余裕があるかとか、能力的にどれだけ初期値が高いかとか、

そういうのはもちろん違いはあるんだけれども、まず前提の置き方っていうのは同じなわけですよね。『論理』ってのは誰しも同じなわけですから。

そう考えたときに、まず「人生はダメである」って置いちゃうと、もう「はい、じゃあ終わり」ってなってしまうわけですよ。

それはどんな人であれ、平等に終わってしまうので。

そう考えたときには、まず前提として「いや、これもしかしたら逆なのかもしれないな」「前提と結果が逆なんじゃないか?」っていうのを、ちゃんと視点として持ったほうがよくて、

で、それこそ「ダメである」ってことを前提にするメリットは一つもないので、

とりあえず「私は悲観的である」これも事実ですよね。「悲観的な状態である。『だから』全てがダメに見えるんだ」っていう風に考えると、もうちょっと、やりようがあるわけですよ。

ということで「なんで私は今悲観的になっているんだろう?」に繋がるわけで…。分かりますか?

前提を疑えなくする前提

今「悲観的な状態」であることは、事実かもしれないけれども、何で今、悲観的に全て見てしまう状態にいるんだろう?っていう風に考えると、

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例えば「仕事がめちゃくちゃ辛い」とか「単純に寝不足だ」とか「栄養が足りてないんじゃないか?栄養バランスが偏ってるんじゃないか?」とか、

「運動が最近できてないな」とか「友人関係が最近ちょっとうまくいってないな」とか、

そういう細かくて解決可能な問題に、視点が動かせるわけですよね。

そうなってくると「あれれ、なんか悲観的じゃなくなってきたなあ」

悲観的じゃなくなってきたら「あれ?別に私の人生って、そんなダメじゃないんじゃない?」っていう風になっていくわけなので、

こういう、前提をちゃんと考えなおすっていうのは結構大事で、

あんまりね、前提になっているものを決め込んでしまうと、それをひっくり返す機会は失われていって

で、結果的に全部変えられなくて、全部最悪のまんま長い時間過ごすことになってしまうのかな。と思っていて。

だから「ダメな人生だから悲観的になっている」という風に決め込んでいること自体が「悲観的だからダメな人生になっているんだ」と気づく機会を奪い続けている。と捉えてみる。

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そうすると、何かぼんやりと解決の糸口が出てくんじゃないかな?と、僕は思ってるんですよね。

まぁそれはもちろんね、さっきも言ったとおり、問題の大きさっていうのが人によって違うので、もちろん一概には言えないんだけれども、

そっちのほうが希望はあるかな、という風に思っています。

「人生」っていう括りがデカすぎる

まあ、ダメな人生ってのは、なかなか無くてですね、

ダメな人生と言うと、ちょっと大きすぎるじゃん(笑)

たしかにダメな瞬間ってのはあるし、なんかダメになりやすい人生、あるいは、病気があるとかさ、僕も結構、あのADHDとASDとか言われますけど、

そういう傾向がある人は、まあ比較的ダメになりやすいわけですよ。ぼくも気圧が低いとかで駄目になったりするので。

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だけれども、それは別にダメな「人生」ではないわけですよね?ダメな「瞬間」が多いだけであって。

で、瞬間が多いってことは復帰できる。ダメな瞬間から復帰することも可能だし、「復帰する」っていうのはある意味能力なんですよ。

どれだけ自分の知恵があるかとか、復帰の方法を知ってるかどうかとか。

そう考えると、そんなにこう、悲観することもないのかな?というか決まったわけじゃないのでね。

「ダメな人生だ」っていう風に決まったわけじゃないので。できるだけね、楽しく生きていきたいでしょ?(笑)

そう考えるとね、「私の人生はダメである」と決め込むことには万に一つもメリットがないので、そこを外してみるといいんじゃないかな?

という風に思った次第です。

ということで、今日はこんな話でした。他の配信もぜひ見てください。

スポンサー募集してます、よかったらね。バイバイ

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