「救いたい」と思ってるのは救われてない人【ぷろおごvoicy文字起こしvol.52】
この記事はプロ奢ラレヤーのvoicy「救いたい」と思ってるのは救われてない人(2021年4月1日公開)を元に作成したものです。
はい、どうも。
過去累計3000人以上にメシを奢られてきた、ただの浮浪者が意味不明な独り言を垂れ流すだけのラジオです。
物好きな人だけ聞いていってくれればと思います。
「救いたい」と言う人
「救いたい」と言う人、いますよね。
「あの人を救いたい」、「人々を救いたい」、「困ってる人を救いたいんだ」、こういう言葉ってわりとよく聞きますね。
「救いたい」という志を持っている人は多いと思うんですけど、これの良し悪しではなく、そういう志を持つ人はどんな人なのか、という話をしていきたいと思います。
「救いたい」の正体
「救いたい」と思っている人って、その人自身が救われてないことが多いですよね。救われてないからこそ、誰かを救うことで救われようとしてるんですよね。
とはいえ、「救いはない」なんてそんなことはなくって、自分でも知らない内に人を救っているっていうのはあると思うんです。精神的に健康な人が、意図せずに結果として人を救っていることはあると思いますよ。
ただ誰かを救いたいという気持ちを抱えている人は、自分が誰かを救うことでしか自分自身の価値であったり、精神衛生みたいなものを正常に維持できないことが多いんじゃないかと僕は考えますね。
本人は「誰かを救っている」「誰かのためになるんだ」と思っているかもしれないけど、例えば、被災地にお花送ってしまったりなんかして、「いや、むしろ邪魔だわ!」となってしまうことがあるじゃないですか。
救われてない人が自分のエゴで他人を救おうとすると、お節介、おこがましい、そう思われてしまうことが多いんですよ。
人間誰しも、しんどい時というのが一度はあると思うんですが、「救われてない」というのはしんどい時でもありますよね。
そもそもしんどい時に、誰かのために何かをしようとするっていうのは難しい。それなのに、「自分という存在は誰かのためになっているんだ」と感じることで、満たされようとしているんですよね。
そういう人の行動は誰かを利用して自分のために為されるもので、それが結果として相手のためになればなんの問題もないんですけど、それで自身が本当に救われているの?誰かを救えているの?という疑問が僕にはあります。
しんどい時って相手が見る余裕がないじゃないですか。「相手のためになるだろう」という自分の思い込みで行動するんですよね。ただでさえ、自分がしんどい時に、誰かと向き合って誰かのためになることをする、考えるというのはとても難しい。
救われたいというエゴを善意で包んで、「あなたのためにやりました」と、自分が気持ち良くなるために、相手を利用している。
そんな現状しんどい人が誰かを救おうとすると、大体、お互い駄目になってしまうんですよ。
思い当たることあるかな?
だって、本当はしんどいから、余力がないんですよ。本来、自分のためにその力を使うべきなのに、身を削って誰かのためにやっても、「誰かのためになるだろう」という判断は頼りないし、続けられないじゃないですか。
健康で力の有り余っている人が「へぇ〜、そうなんだ」と他人事のように接している時の方が、かえって人が勝手に救われていくんじゃないですかね。
これは僕自身の経験に基づく考えなんですけど、そう思いませんか?
それなら、健康な人はどんな人なのか?
健康な人はアンパンマンみたいなひとです。
キミに人が救えるか
自分の頭ガシッてもぎ取って、飢えた子供とか渡せる。
自分の頭をもぎ取る、身を削って求めている人にそれを渡す。自己犠牲でかっこよく見えるんですけど、実はあの顔、アンパンの在庫って無限にあるんですよ。
「アンパンマン、新しい顔よ〜!」って無限に替えがきくんですよ。なので、アンパンマンは余っているもの、なくなっても困らないものをあげているだけですよね。
なくなったら困るものをあげているんじゃなくて、あげられるもの、余っているものを適切な場所に分け与える。それを繰り返しているからこそ、彼はヒーローで、人を救うことができるんですよね。
余剰こそ
自分にないものを他人に渡すっていうのはできないし、身を削って人に何かをあげるのも難しい。「あの時、自己犠牲までして、〜してあげたのに!」ってどうしても見返りを求めてしまうのが人間じゃないですかね。
身を削って何かをするっていうのは、お互いにとってよくないことですね。何も増えていかないし、ただお互いに呪い合って、食い合うだけになってしまう。破滅してしまいますよね。
自分が無くなったら困るもの、余っていないもの、時にそれは気力であったり、そういったものを誰かにあげようとすると、大体うまくいかないと思っています。
アンパンマンは実家が太いじゃないですか。新たな事業がコケても実家に行けばお金くれるような、そういう世界線でヒーローをやっているんですよ。
そうでない人は、むやみやたらに自分の頭をもぎ取って子供に食べさせない方がいいんじゃないかと思いますね。
自分の頭があるうちにいろんな活動して、その中で余ってきたものを、あげればいい。そうすれば、継続的に人にあげられるようになるんですよ。
資金の運用みたいなもので、元本に手をつけずに、発生した利子を人にあげる。元本が減らないから、継続性があって繰り返せるんですよね。
元本を食うと、得られる利益は減っていってしまうから、長期的に見た時の他者に与えられる全体量は減っていってしまいますよね。
自分の顔を分け与えることが全ての人にとっての最善ではないですね。持っているものの内、余っているものをあげる。余っているものがないなら、自分を消耗させることはせずに、自分のしんどさをなんとかしてやる。
そうしていくうちに、人にあげられるだけの余りが生まれるんじゃないですかね。
はい、「救いたい」という人は救われてない人という話でした。
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今日はこれでおしまい。
バイバイ
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