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木下君

コロナの恩恵の一つは海外で開催されるクラスがオンラインで自宅で学べるようになったことだ。

去年の11月から、イギリスでカウンセラーをされている溝口あゆかさんの「インテグレイテッド心理学」を受け始め、先日最終講義を終えた。

私たちは「起こる事」を各々の眼鏡で見ている。「起こる事」は、育ってきた中で身につけた概念、感情、想念、トラウマなどを通して目の前に映し出されるため、人は往々にして生きることが苦しくしんどくなってしまうのだ。しかし、実はそれはただの「投影」でしかない。出来事を事実と解釈に切り離して観察してみると、「投影」が浮き彫りになる。

例えば、「お金」の話しが出るたびに「みじめな私」が現れ、なぜか木下君の顔がちらつく。公務員家庭だったので、決して裕福ではなかったが、お金に困る生活もしていなかったはずだ。

そこで、「みじめな私」と木下君を観察してみることにした。

木下君は、小学校5年生の時に東京から引っ越ししてきた。鹿児島特融の西郷どん顔が並ぶ中、シュッとした醤油顔で都会育ちの洗練された空気を身にまとっていた ​。東京の少年野球クラブのピッチャーで関東地区優勝という経歴まで持つスーパーボーイだった。そして、授業参観で見る木下君のお母さんはおしゃれでキラリと輝く存在だった。

私の母は、おしゃれなど無縁な完全昭和な母だ。頼まれてPTA副会長を務めていた母は学校に来る用事が普通より多かった。当時、私の母はカナブン色のおんぼろ軽自動車に乗っていて、車の音だけで母が学校に近づいてきているのが分かるのだ。

「みじめな私」を想うと浮かぶ映像。。。爆音を立てておんぼろ車でやってくる母、とそれを笑う男の子。

そう、そこにいたのは木下君だったのだ。イケてる都会男子に笑われた「と思った(解釈した)」この時から、私は「みじめな私」の眼鏡をかけながらこれまで生きてきたのだ。

木下君は、鹿児島で過ごした月日のことなど思い出すこともなく東京で楽しく過ごしていることだろう。同窓会があったら是非会ってみたい気もするが、そもそも同窓会に呼ばれたこともないため、二度と会うことも、今後近況を知ることもないだろう。

木下君元気ですか?




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