【シリーズ】街角をゆく Vol.9 新長田 (神戸市長田区)
こんにちは。エネルギー・文化研究所の山納洋(やまのう・ひろし)です。
僕は2014年から「Walkin'About」という、参加者の方々に自由にまちを歩いていただき、その後に見聞を共有するまちあるき企画を続けてきました。
その目的は「まちのリサーチ」です。そこがどういう街なのか、どんな歴史があり、今はどんな状態で、これからどうなりそうかを、まちを歩きながら、まちの人に話を聞きながら探っています。
この連載ではWalkin'Aboutを通じて見えてきた、関西のさまざまな地域のストーリーを紹介しつつ、地域の魅力を活かしたまちのデザインについて考えていきます。
今回ご紹介するのは、神戸市長田区の、JR神戸線新長田駅の周辺です。
新長田駅周辺は、ケミカルシューズ産業の中心地として知られています。この産業は戦後に長田から始まり、かつては全国のケミカルシューズ製造の中心地となっていましたが、1995年の阪神・淡路大震災の時の火災で、ケミカルシューズ産業は壊滅的な打撃を受けました。今日は新長田界隈の現状について紹介したいと思います。
現在の長田区の南西部にある「駒ヶ林」は、古くから海上交通の良港でした。漁港としても栄え、明治の開港以降には魚市場が開設され、神戸市内でも一、二を争う活況を呈していました。明治末期になると、兵庫区から長田区の海岸近くには工場が建ち並ぶようになり、明治後期から大正前期にはマッチの生産が、第1次世界大戦後にはゴム靴や長靴の生産が盛んになり、第2次世界大戦後にはケミカルシューズがここから生まれています。なぜそうなったのかを、詳しくお話ししていきたいと思います。
マッチが日本に入ってきたのは幕末ですが、明治10年代には国産化が始まり、そこからわずか数年でマッチの輸出が始まっています。港町である神戸は原料の輸入と製品の輸出に便利だったこと、神戸の中国人商人がマッチの輸出商として活躍したこと、鉄鋼所や造船所などの工場労働者や港湾労働者の家族がマッチ製造に従事したことから、国内のマッチ生産の中心地となったのです。
大正時代になると、第一次大戦後の不況とアジア諸国の自給化によりマッチ工業は衰退を始めましたが、ちょうどそのタイミングでゴム工業が興り、マッチ工業と置き換わりました。ゴム製品が入ってきたのも幕末の開港以降ですが、神戸がゴム工業の中心地となったきっかけは、イギリスのダンロップ社の神戸進出でした(明治40年代初め)。同社では自転車・人力車のタイヤ、チューブなど、それまで日本でほとんど製造されたことのない製品を製造していましたが、同社のゴム配合の技術と技術者が流出したことで、界隈にゴム工業地帯が生まれていきました。面白いのは、ダンロップ極東社の日本人重役に、技術の社外流出を積極的に支援した人物がいたという話です。タイヤとともにゴムベルトやゴム靴の製造も盛んになっていきましたが、特に現在の兵庫区から長田区ではゴム靴工場が密集し、その労働の担い手は、西日本各地や朝鮮半島から働きに来た労働者でした。
ゴム工業は第二次大戦の戦災により大きな被害を受け、その後朝鮮戦争の特需を受けましたが、戦後のゴム価格暴落を境に不況が深刻化しました。このタイミングで、昭和27年に長田区のゴム履物業者がケミカルシューズを考案しました。ゴム靴にビニールシートを張り合わせて作られた女性もののパンプスやヒールです。これが国内のファッションシューズの先駆けとなり、界隈ではケミカルシューズ製造が一気に広がりました。昭和40年には全国のケミカルシューズの8割は長田区で生産されていました。
もともとは海岸や運河の近くにあったケミカルシューズ産業の中心地はその後、JR新長田駅の東側に移りました。駅周辺には靴メーカーの社屋や工場が並び、国道2号線の南側には内職や下請け仕事をする多くの人々が暮らしていました。1980年代以降になると、戦前から居住していた在日コリアンの人たちとともに、ベトナムの人たちもこの街に住み、ケミカルシューズの仕事をするようになりました。
1995年1月17日、この街を阪神・淡路大震災が襲いました。特に新長田駅の東側一帯は火災により大きな被害を受けています。ケミカルシューズ産業に携わっていた業者の8割が操業不能に追い込まれ、そのことで靴の生産地は神戸から海外へとシフトしていきました。
新長田駅南地区ではその後市街地再開発事業が進められ、現在までに43棟の再開発ビルが建設されています。2001年には神戸市営地下鉄海岸線が新長田駅を起点に開業。2009年には復興のシンボルとして「鉄人28号」の巨大像が新長田1番街のすぐ前に設置されています。
神戸のケミカルシューズ業界は「神戸シューズ」という統一ブランドを立ち上げ、履き心地やデザイン、安全性や機能性にこだわった付加価値の高い靴づくりを進めています。2014年には特許庁の地域団体商標登録を受けています。神戸の7つの靴工房が提案する「神戸シューズ プレミアムライン」では、パンプスのサイズを0.25cm刻みにして、左右サイズ違いでも購入できるようにされています。
また神戸シューズの正規代理店である「シューズイン神戸」は、神戸の27の靴ブランドを集めてハーバーランド・モザイクと三宮センター街に実店舗を構え、また全国の百貨店でポップアップ出店もされています。ケミカルシューズだけでなく革靴やスニーカーなども含めて、神戸の靴をリ・ブランディングされています。
日本ケミカルシューズ工業組合の加盟企業は2022年末には74社と、震災前の3分の1となっていますが、1社平均の生産額はコロナ前には震災前を超えていたのだそうです。
新長田界隈では、近年はアジアタウンとして新たなまちづくりに取り組んでいます。国道2号線南側にある丸五市場では、2019年までアジア各国の料理を楽しめる「丸五アジア横丁ナイト屋台」を開催していました。コロナ禍でイベントは中止となっていましたが、2023年夏には「まるごいちばHello Market」という、手作り雑貨、古本、喫茶、Bar、縁日などのイベントが開催されていました。
新長田駅近くには、再開発によりマンションも多く建てられ、若い世代の住民も増えてきているようです。震災での大規模な火災と、その後のケミカルシューズ産業の不振がメディアで多く語られたことでマイナスイメージが定着してしまった感がありますが、まちを歩いてみると、新しい動きをいろいろと感じることができます。
神戸市では「食都神戸」推進の一環として、駒ヶ林漁港にある魚市場で「海と、魚と、」というマーケットを年に1回開催しています。駒ヶ林地区では約40人の漁師さんが毎朝船を出し、しらすや鯛、ナマコなどさまざまな海産物を出荷していますが、このマーケットの日には新鮮な魚介類を楽しめるスペシャルマーケットがオープン。神戸沖で獲れた海の幸が堪能できるそうです。
※【シリーズ】街角をゆくは、不定期で連載いたします。
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