学歴ロンダリング、と言われて

僕は成城大学で文学を学んだ。師匠からは後に、「君は文学が好きなんじゃなくて、文学を通じて社会を考えるのが好きなんだよな」と言われたのだけれど、いずれにしてもゼミでの研究は楽しかった。もっと研究を続けたいな。そう思っていた僕は、大学3年の後半にはすでに、大学院に行きたいと考えていた。

とはいえ、親の勤めていた会社が破産するなどして、決して暮らしが豊かではなかった僕は、大学進学の時点ですでに数百万円の奨学金(という名の借金)を抱えていた。「早く働いてお金を返さなくては」という思いと、「自分は研究職には向いていないな」という思いもあって、博士課程にまで行くという道は考えず、「あと2年だけ、修士課程だけ、大学院に行こう」と心に決めていた。

院に行きたい。修士課程だけ行くつもりだ。そういうと、友人たちの反応はまちまちだった。

「文系の院に行って、何になるの?」というものから、「今は就職が厳しいから、モラトリアムもいいんじゃない」というものまで。かくいう僕も、強い目的意識があって、修士課程に進んだわけではない。実際に、就職氷河期中のモラトリアムでもあったし、それが何かのキャリアになるとも思っていなかった。

「大学院に行くことを、入院って言うんだよ、はは」なんて自虐的に返したりしながらも、自分としては、もう少しだけ、思索の世界を手探りで歩きたいと言う気持ちが強かったため、ネガティブな意味づけはしていなかった。

僕は成城大学という所に通っていたので、そのまま、成城の大学院に進むつもりだった。ところが、予想もしていなかったことが起きた。師匠であるゼミの先生が、僕らが卒業するタイミングと共に、他の大学に移るというのだ。まじかよ。

その大学では、新任の教授はゼミを持たないらしい。他方で師匠が抜けたその大学院では、次の教授が定着するまで、ゼミへの新規加入がストップとなる。つまり、成城大学大学院に進もうが、師匠の大学についていこうが、そのままゼミを続けることができないのである。まじかよ。

どうしようか。実は師匠の研究手法は、文学研究の世界でもマイナーなもので、他の大学でもほとんど学ぶことができないものだった。では、メジャーな実証研究のスタイルにシフトするか。いや、いくら研究分野が同じでも、研究手法が変わってしまえば、院では通じない。基礎から学び直すしかない。

しばらく悩んだ末に、隣接領域の他大大学院を受験しようと決めた。文学部では記号論やメディア論も学ぶ。当時は「成城トランスカレッジ!」というニュースサイトを運営していたので、情報系の研究ができるところがいい。可能なら、大学からディシプリン(専門性)の継続がなされなくても、ネガティブに取られないところ。そうやっていくつかの条件で調べていた中で、東京大学の情報学環というところが選択肢に上がった。

この大学院には、同じく成城大学から教育コースに進んだ先輩がいたため、OB訪問をして、院の特徴や勉強法などを教わった。また、大学院の説明会にも2度参加して、教授たちの研究分野についても調べたりした。

そこで教わったことで印象的だったこと。情報学環というところは、社会人入学や留学生の誘致に力を入れていること。「社会学部」や「教育学部」などと違って、「大学からディシプリンを引き継いでくる」という形式にはなりにくいこと。学際性(インターディシプリン)を重視しているため、異なる分野から人がやってくることを推奨していること。実践を重視するがゆえに、研究職を目指すよりも、社会で活用することを考えてやってくる人が多いこと。

ユニークな機関だな、でも自分のニーズには合うかもしれない。研究者になるのではない自分にとっては、幅広いジャンルのことをさらに学べる環境というのは、とてもありがたかった。

その後、なんとか情報学環に入り(多分、試験は謙遜なく、最下位だったと思う)、院の中でも抜群に出来が悪く(これも事実だ)、研究仲間も作れなかった僕だけれど、そこで学んだ時間というのは、確実に僕のためになったと感じている。とりわけ、メディア研究や流言論に触れられたこと、大学や院の図書館、資料館にアクセスできたのは、本当に幸いだった。

他方で、商業媒体で物を書くようになってから、いやその前くらいからか、しばしば「学歴ロンダリング」という言葉を投げかけられるようになった。ロンダリングは、字義的には「洗浄する」という意味だが、「マネーロンダリング」と同様、「低い学歴を高く見せるズルい行為」といった意味で用いられる。

大学院の試験は、大学の試験と比べて、試験問題そのものは「簡単だ」とよく言われる。そんな仕方で大学院に行った者は、本当の●●大学生ではない、ニセモノ・まがい物なのだ、ということらしい。そして僕に「学歴ロンダリング」という言葉を投げかける人も、僕は恥ずかしいフェイク野郎なのだというニュアンスを込めていたように思う。

僕は最初の著作以降、プロフィールに「学歴」を載せないようにしている。どんな本を執筆してきたのか、という「著作歴」に割くのが、物書きのキャリアとしては重要だろうと考えたためだ。ただ、「学歴ロンダリング」という揶揄がしばしば投げかけられたことも、その判断に影響してもいる。「めんどくさいな」と思ったので、なるべく書かないことにしたのだ。



さて、最近になって、そんな卒業校の教員が、ツイッター上で差別発言を行ったことが話題となった。その件については、明戸隆浩氏が簡潔にまとめている。

この一件は、他人を属性で排除することを正当化する教員の発言に対し、批判が殺到したものだ。教員による差別発言で、大学院が声明を出すまでに至ったのは、異例の事態も言えるだろう。

ただ、このリリースが、教員の立場(特定短時間勤務有期雇用教職員)が強調されたかのようにも見え、それはそれで反発を招いてもいた。

そんな中、これまでも繰り返し「学歴ロンダリング」にしばしば批判的な言及をしてきた、東京大学大学院情報学環准教授の伊東乾氏が、その教員は「ホンモノの東大准教授ではないのだ」と言わんばかりの言及をしていた。

伊東氏はこの記事で、当該教員が有期雇用であることを強調しつつ、寄付講座で作られたポストであるがゆえに、「通常の意味での教員ではありません」と記述。また、博士課程からの編入生であることなどについて触れ、「この青年の『学力不足』」「少なくとも東京大学教養学部で必修「情報」のカリキュラムを修めたなら(……)ここまで酷い無教養を晒すことはなかったと思います」と書いた。

念の為。世の中には、高学歴の、あるいは東大卒の「勤勉な差別主義者」だっている。「無教養ゆえに差別をする」という「欠如モデル」では、差別の実態を浮かび上がらせることはできない。むしろ、差別主義に至った理由を、学歴の欠如という観点で語ってしまう伊東氏の発言にこそ、「ホンモノの東大生なら差別しない」式の権威主義的な差別を感じさえする。当該教員の発言内容は、キャリアや雇用形態に結びつけなくても可能なはずだ。

伊東氏は、この情報学環の教員だ。先に触れたように、情報学環はその特性にもあう形で、他大からの入学(入院)者を多く受け入れている。過去も今も、多くの他大組がいる。そのことの問題点や構造的課題はもちろんあろうが(実際、情報学環には、山ほどの課題があると思う)、そうした特徴を売りにしてきたのがこの機関でもある。当該教員を批判するために振りかざした大雑把な理屈は、自身の所属機関で学ぶ(学んだ)多くの学生をもDisっていることになるのだが、多分、伊東氏は気にしなそう。


学歴ロンダリング批判は、何のためになされるのだろうか。学部で学問に目覚めて、別の院を目指すのは恥ずべきことなのか。他国の院に留学することや社会人院生はどうなのか。試験を受けてキャリアを積むという意識の人もいるだろうが、「身分相応」に振る舞えということか。あまりピンとこない。

こんなことをわざわざ書いたのは、最近、「学歴ロンダリング」という言葉を使ったパワハラを繰り返された男性が、自殺にまで追い込まれたという記事を読んだから。自己擁護のようで恥ずかしいから、今までわざわざ応答をしてこなかったのだけど、やはりこの手の揶揄は不必要ではないかと思う。



なんか暗い話なので、最後に言わせて。

今年、奨学金、全額、返したぜ!いえーい!



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評論家、ラジオパーソナリティ、NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事

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コメント7件

私も修士の奨学金を9月に完済しました!
いぇーい!
奨学金の返済おめでとうございます!
伊東氏の記事を見てきましたが、"学歴の欠如という観点で語って"はいなかったですね。教養の欠如とずっと言っていて、「差別をしない、思っても言わない書かない」ようなグローバルルール・メディアリテラシーを身に着けるチャンスはその人の人生で少なくとも3回あったはずなのに何故か全部スルーしてしまって…と読み取れました。
文章読ませて頂いて、嬉しくなりました。
詳しくは話せませんが、正に我が子が地方の相応と言われる大学から国立大学の文系大学院に入院しております。
合格した時の嬉しさ、現在もしっかりと学んでいるようで親としては夢の様です。
本人はまだ大学以前の学歴についてどちらかと言えば話題にしたくないようですが、いづれは平気で話せるようになると思います。
このNoteに出会えてよかったとおもいました。
大澤昇平の場合、小さい失敗を経験していないがゆえ、かと。
「大澤昇平という害悪を再発させないための関門、としての教養教育・一般常識獲得機会。」https://note.com/online_cheker/n/ndd2cb3daacf7

高専や大学の研究室は、メンバーの多様性も、入れ替わりも乏しい。その点も、小さい失敗を経験できなかった一因かもしれません。
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