一年前のつぶやき。書店の必要性はわかるが、自分はどうなんだ?

一年くらい前に、Twitterにこんなことを書いていた。

書店の必要性を考える人がいる一方で、アマゾンあるから書店いらないじゃん、と考える人がいる。書店サイドの人は、いらないという人にその良さを語ろうとするが、書店がいらない人のいらない理由を置いてけぼりにしてないか?必要である理由だけを叫んでも、いらない人はいらないのだ

書店の世界にいる人は、書店についてそれを叫ぶが、そう叫んでいる人は別の業態に対して同じことしていないか?商店街の八百屋さんよりもイオンの野菜の方が安いから買うし、路線バスに乗るよりも自家用車の方が気兼ねなく移動できるし、近所の床屋よりも1000円カットの方が安いし楽だし。

自分がなぜその行動を取るのかを考えれば、なぜアマゾンで十分だと言うのかが想像できるかもしれない。きっとあなたに対して、商店街の八百屋さんは八百屋の存在意義を叫んでいるはず。でも、それを聞いているか?聞こえているか?書店の存在意義を叫ぶあなたの声は、届いているか?日々、それを考える

存在意義を叫ぶその声は「誰の都合」なのか?自分の都合なのか?街の都合なのか?ひたすら自分の都合でしか叫ばない人の声は、なかなか街には届かない。だって必要でしょ!と本当のことを訴えても、一方向の視座のみから語られる言葉は暴力的にもなる。「社会の都合」の中で、どれだけ自分でいられるか

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