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ショートショート「洞窟とペンライトの夢」


僕はよくジメジメとして真っ暗な洞窟の夢を見る。僕はその中でペンライトを持って、振り続けて歩いている。どこかに出口があるのか探すためだ。

僕はジメジメとした雰囲気に息苦しさを感じている。呼吸を定期的に整えないといけないほどだ。ペンライトを地面に向けるとそこにはか弱い花が咲いていた。何科のどんな名前かも分からない花だ。咲くことはできたが、茎の辺りが折れかけていた。欲しかったライブのチケットに落選して凹む少女のように。

僕はペンライトを振りながら方向性もなく歩き続けた。そこには音というものがない。足音も聞こえない。地面を掴んでいる感覚だけがあるのだ。もちろん声も響かない。喉から息が吐き出ている感覚しか得られない。

不思議にも歩き疲れた疲労感はない。お腹が空くことはないのだ。自分にできるとこはただペンライトを振り続け、歩くき、出口を探すことだけだ。唯一の目的のある行動。

そうしているうちに段々と自分と環境の境目がぼんやりとしてきた。超自我が自我を侵食してきた。


そのことに気づくたびに、過去の記憶を振り返ろうとする。なんでも大丈夫だ。

そういえば夏の日に潮干狩りに行ったな。あれはたしかテレビでマテ貝の取り方を特集していたのを観て、母に頼んで連れて行ってもらったのだ。砂浜にはランダムに小さな穴があって、そこに持ってきた塩を振りかける。そうするとマテ貝がニョキって顔を出してくる。なんて単純なのだろう。

僕はそれを手で掴み眺める。不気味にうごめいているマテ貝は、なんだか制限された環境にもがくため、外に飛び出したがっている。さっきまで砂の奥にこっそり隠れていたにも関わらず。もしかすると外という環境を初めて体験し、戸惑っているのだろうか。井の中の蛙大海を知らず。

ふと自分に返った。辺りは一向に真っ暗のままだ。僕はマテ貝のように見知らぬ環境の中で、もがくように飛びたしたい感情を抑えられずにいた。無我夢中でペンライトを振り回していた。ああ、出口はどこなのだ。いつ入り口からここに入り、ここまでたどり着いたのだ。そもそも入り口からこの場所には入ったのか?ふとここに突き落とされたのだろうか?それすら思い出せない。とにかく無我夢中で振り回し、走った。

そうしているうちに、自分という意識が薄れていくことに気付き始めた。再度、自分と環境の境目が希薄になってきた。過去を振りかえる意識すら遠のいている。ペンライトを振っている事だけは認識できる。

自分を保持しなくては。まずは呼吸を整えよう。そこから始めるんだ。呼吸を繰り返すたびにそう意識づける。しかし長くは保てない。自分の中の魂と呼ぶべきところから何も発せずにいる。気力が低下している。

やがて、ペンライトの光が点滅していることに気付いた。チカチカと真夜中の路地の死にかけの街灯のように。やめてくれ、これがなければ本当に迷ってしまう。本当に真っ暗になってしまう。僕は焦って、再度走り出した。

ペンライトの点滅が遅くなり始めていた。光が消えるたびに恐怖を覚えた。光がついたとたんに消えるものだから、僕はついに立ちすくんでしまった。ここが最後なのだ。僕はその場にしゃがみ、身体を丸めた。確かに感じるのは自分の体の匂いと温かさだけだった。これだけは確かなものだと、ただそれにしがみつき、安心するしかなかった。

ペンライトの光はついに途切れてしまった。本当の意味で周りは真っ暗になった。

未だ丸くうずくまったままの僕は、どうすることもできなかった。このままここにいたいという安心感だけにしか寄り縋れなくなった。もうこのままでいいのだ。別に僕のせいでもないのだ。誰だってこういった結末になるはずだ。能力とか遺伝とか血統とかそういったことが原因じゃないのだ。ここは脱出不可能なゲームだったのだ。自分なりによく出口を探したじゃないか。

どれくらいその場にいたのだろう。時間の感覚なんてまともに感じることはできなかった。何時間、いや何日。そもそもここには、時間という考えはないのだろう。

そろそろ動き出さなければ。僕は自分に問いかけた。問いかけ続けた。ここにいてはいけない。うずくまってちゃいけないのだ。このままだと本当に死んでしまう。死ぬ以上に消えてしまう。

僕は何とか立ち上がろうとした。足の動かし方さえ思い出せないから、うまく思い出しながら立ち上がった。まずは左足からだ。左足の関節を曲げるのだ。そうして地面を足の裏にうまく置く。そして「立つ」という意識を取り戻せた。そうして右足も同様に動かしてみた。何とか立つという行動をすることができた。よしこれでいいのだ。僕は体のバランスを取ろうと努めた。よろめきながら左右の腕を交互に動かして。まるで歩き始めた赤ちゃんのように。

何とか僕は立ち上がり、自分という感覚を取り戻した。意識はまだ朦朧としている。目の前が霧がかかったようにぼやけている。光のつかないペンライトを捨て、歩き始めた。左右も前後も上下もわからないままに。

どれくらい歩いたのかわからないほど、歩いた。地球を何十周もまわるほどに。

やがて、突如と目の前に出口が見えた。

それはただのドアだった。ドアノブがついていて、引くと開くことができる普通の木製のドアだった。

ただ歩くことだけを行っていたから、僕はドアの存在に気付くことができず、頭からぶつかってしまった。何かにぶつかったという感覚に気付き、少し離れ、その存在を見つめた。ぼんやりとした存在は徐々に確かな形となって、輪郭を帯び、それがドアだと気づくのにずいぶん時間がかかった。

僕は自然と手がドアノブを掴んだ。僕はレバーを引き、ドアを開ける。

そこで夢は終わる。

僕は真夜中のベットで目覚めた。身体は汗でびっしょりと濡れていた。部屋はしんと静まり返っていた。窓の向こうから、大型トラックが国道に向かって走り続ける騒音が聞こえた。その音が僕を夢から現実に戻してくれた。

手にはいまだにドアノブを引いた感覚が残っていた。そして右腕だけが妙に重く感じられた。僕はベットから出て、階段を降り、リビングの台所へ向かい、一杯の水を飲んだ。異様にのどが渇いていたのだ。水が喉を通ると、自然と安心することができた。

この定期的にやってくる夢は何なのだろう。この夢だけはいつもはっきりと思い出すことができるのだ。信じられないかもしれないが、もう一つの現実がどこかにあって、もう一人の自分があの洞窟のなかで彷徨いつづけているのではないのかと考えてしまう。馬鹿げた話だ。

もう眠ろう。そう思いリビングから階段を上り、寝室に戻った。ドアを開けようとドアノブに手をかざした。

何か異様な気配を感じた。背中から異様な寒気を感じた。小さな小さな虫が僕の背中に貼り着き、うごめいているような感覚。

ドアを開いた、そこは真っ暗な場所だった。確かに電気を消してリビングへ向かったが、異様に暗いのだ。そこにはベットもなく、デスクのない。お気に入りのポスターも、最近買ったレコードもなかった。

ああ、あの洞窟だ。

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