ショートショート『単純なボレーと複雑な世界の話。』
中学の時、同じテニス部だったA君がふと尋ねた。「お金が擦れるんなら、もっと擦ればいいじゃん」
僕たちはボレーの練習をしていた気がする。
めんどくさくなるような暑い夏で、お互いにその鬱憤から逃げたくなるような気分だったのだろう。
ただ向かってくる球を、ただラケットを構えて返す作業に飽き飽きしていたのだろう。
どうしてお金の話が出てきたのかは思い出せない。
中学生にありきたりな、たわいのない話から始まったのだろう。
その頃は、ある国の巨大な隠蔽がバレて、仲良くしようとした国たちはあたふたしてたし、また別の国の有名な兄弟は壊れてしまって、それが日本にまで波及していた頃だった。
経済という言葉を身近に感じることができた。だからそんな話が出てきても可笑しくなかった。
僕たちは中学生ながら、日本がお金を刷ってばら撒くことができることを知っていた。
けれど何故なのか、どういった仕様でお金を生み出しているのかは知らなかったから、「日本がお金を自由に刷れるなら、もっと作ったらいいじゃん」というA君の馬鹿らしい言葉に、納得できる回答を返せずにいた。
世界がそんな不安定な中でも、僕たちの世界は平穏そのものだった。
友達と一緒に時には狩りに出て、貴重な素材を集めたり、強い生き物を厳選して育成したりするほどの生活だった。
もちろんゲームの中の話。
日本の将来のことよりも、次のゲーム実況の更新がまだなのかにそわそわしていた時代。
まだ自分達の世界がどういう仕組みで、自分達がどういう大人になるのか気にしなかった時代。
そんな時代があっという間に過ぎ去っていった。
高校に上がる頃には、北の方で大きな地震があった。連日ニュースは悲惨な地震の被害を報告していて、CMは、その受けたダメージを癒すように、優しい道徳的なものばかり流していた。
僕はテレビを見ながら、その悲惨さを十分受け止めていたけれど、普段の生活は至って平穏だったから、どこか絵空事のようにも受け止めていた。
仕方がない、10代の餓鬼なのだから。
高校受験も終わって、新しい生活が始まった。
その頃は日本のリーダーが入れ替わりしていて、新しいお偉いさんが三本の矢を掲げて僕たちを鼓舞しようとした。
その矢の中には、A君の発言した「だったらお金をもっと擦ればいいじゃん」という馬鹿げた言葉が含まれていて、お偉いさんも中学生の考えることも、さして違いはないんだなと感じた。
僕の変わった大きな変化はカッコいい太刀から弓矢にジョブチェンジしたことくらいだった。
それ以外は平凡な生活で、平凡な恋愛をし、平凡な青春をおくる毎日だった。
一方、身の回りの技術はみるみる進化していた。
二つ折りの携帯がいつしか知能をつけて、僕らは寝る間も惜しんでその万能な携帯に没頭していた。
大人たちもそれに没頭していた。
しまいには電車の中にいても、街を歩いていも、誰かと食事をしている時でも、それは携わるようになった。
ゲームもコンテンツもほとんど現実と変わらないクオリティで、もう人間にとって不可能なことはないんじゃないかっていう万能感すらあった。
それと同時に、僕の視野が次第に狭まっていった。
世界の事なんて構わずに日常をバイパスして、画面の中の情報ばかり気にし始めた。
世間には大量のお金が流れて、大量の無駄な情報に溢れて、大量の嘘の知識が流れた。
それでも僕の生活は至って普通だった。
結局、残ったのは大量に保存された誰かとの写真だけだった。
そして大学に入ってもさして違いはなかった。
A君のお金の質問をまともに答えられるくらいの知識はつけていたけれど、まだまだあの頃のままだった。ただ弓矢から今度は銃に変わって、生き残りをかけたサバイバルな生活を営んでいた。
勿論ゲームの話。
至ってみんなは画面に夢中で、それはより深刻になっていた。僕もその被害者の一人だった。
その深刻さは生き残ることにも攻めてきた。
生きる中で誰かに褒められることが全てで、誰かとつながらなくてはいけなくて、誰かの評価だけが生き甲斐になる人が増えた。
世界の動きもそれに釣られるように変わっていった。
遠い先の強い国のお偉いさんはそれを上手く扱って、トップになった。
紳士の国はその誇りからか、周りの仲間と繋がれずにさよならした。
身の回りも次第に釣られるように変化していった。
例えば、つぶつぶ入りのミルクティーのお店が至る所で現れては大量に作られ、至る所で捨てられて、「いいね」の犠牲者となった。
例えば、好きな事で生きていく人が出てきて、あの頃好きだったくだらないゲーム実況も立派なお仕事になってしまった。
人も物も事も、みんな誰かに、お互いに認め合わないと、繋がり合わないと生き残れなくなってしまった。
目まぐるしく変わる世の中で、流石に僕も釣られるように変わるのかと期待したが、そんなことはなかった。
あの頃と同じだった。ただラケットを構えて、届くボールを受け止めるだけのボレーの作業。
それと何一つ変わらない。
たとえ高機能なラケットになったって、ボコボコの砂のコートが整えられたオムニコートになったって、ボレーはボレーなのだ。
届いた玉を受け止める事には変わらない。普遍的な作業。
そうして10代は過ぎた。
掲げた三本の矢はどこか遠くに、発射されたまま誰にも届かなかった。
大量に刷られたお金は、どこかに行方をくらませた。文句なしに僕の手元には届かなかった。
世界は、小さな生き物によって支配された。そして画面の中で僕らは交流を余儀なくされた。
画面の外では繋がりすぎた代償なのか、口を覆うことを強いられた。
現実の、人との距離を制御された。
すぐ近くの恐ろしい国は平穏だった隣国を理不尽に責めてしまった。そしてつぶつぶ入りのミルクティーを捨てるような理不尽さで人を殺めてしまった。
窮屈で、不安定な場所から逃れるためか、画面の中でみんなは繋がりの大切さ、命の尊さを呟いた。それは大量の情報になって、データになって取り残された。
ある日夢をみた。それは奇妙な夢だった。
僕は目まぐるしく変化する世界に立っている。
そこでは大量の何かか流れては捨て去られる。
目まぐるしく景色は変わって、現実と仮想の境目が限界まで薄められている。
そこに綺麗な人工芝のコートが設置している。唯一現実らしいのはそれだけだ。
その上で僕はボレーをしている。向かってくる球をただラケットで受け止める作業をしている。
ラケットの中心にうまく収まるように、正確に球を当てるよう心掛けている。
「お金が擦れるんなら、もっと擦ればいいだろう。そうだったじゃないか」
A君は繰り返し尋ねる。何度も何度も尋ねる。
それはラケットに球が当たる反射音に共鳴するように。僕はその問いに答える言葉を探せずにいる。
自分はどこに立っているのだ?
どこにいるのだ?
どこに行こうとしているのだ?
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