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令和6年能登半島地震の被災記録

忘れないうちに書いておく。長いです。


1月1日


令和6年、元旦の午後3時頃、輪島市の実家に帰省した。日帰り予定だった。
4時過ぎ。夕飯までしばらくのんびりしようと居間でお茶を飲みながらゴロゴロしていたら、ゴゴゴ…という地鳴りとともに大きな揺れ。
一旦収まったかに思えたけれど2回目がこれまでに体験したことのない、洗濯機の脱水みたいな揺れで、みるみるうちに家中の棚やタンスが倒れていく。
必死で別の部屋にいた次男を呼びに行き外に出る。その間も緊急地震速報が鳴りっぱなし、防災無線もずっと呼びかけているがなんと言っているかは難聴の自分には聞き取れない。
たまたまメッセンジャーでやり取りしていた友達から「大津波警報が出たよ!逃げて!」と知らせてもらい、その頃には家の裏手の山に大勢の人達が登り始めていた。

その時、私の母と娘はよりによって「海を見に」散歩に出ていて私達とはバラバラだった。
「ばあちゃんと一緒にいる」「山に行く」とLINEが繋がったので少しホッとして、こちらも山へ向かおう、と思ったら夫が「家にスマホを置いてきたから取りに戻る」と言う。
いや早く高台に逃げるべきでしょ!と口論になるけど言い出したら聞かない人なので夫だけ取りに戻り、私は息子と山を登る道で待機、そして家から逃げ出していた姉の家の犬も夫と一緒に戻ってきた。
犬が震えて歩かないので次男が抱えて、改めて姉の家のある山の方へ。
この時点でかなり多数の人が山をめざして登っていて、裸足で逃げてきた女の子のために、途中の家の人が家から靴を出してあげたりしていた。

姉の家の傍で外に出ていた姉一家と合流、母と娘もそこに居た!良かった…
みんなで空き地に避難。
絶え間なく緊急地震速報が鳴り、地鳴りと共に大地が揺れる。津波は来ているんだろうか、どこまで来ているんだろうか、何も分からないまま時間が経つ。寒い。姉が家からダウンコートを取ってきてくれたので借りて羽織る。
日がだんだん暮れていく。
どこへ行けばいいのか。下に降りても大丈夫なのか。何も情報がない。
少し下に集会所のような建物があり、入れそうか覗いてみるも、お年寄りでいっぱいで入れそうもない。17時になり、街灯が灯り始める。
良かった、電気は来ている…と少しだけホッとする。

山にこのまま待機し続けられないのと、津波のすぐの到達はなさそうなので、実家横の体育館へ避難することに。
ダンボールや、前転や倒立をする時の体育マットが敷かれ、大勢の人達が座ったり横になったりしている。とりあえず場所を確保し、実家から徒歩で布団と毛布を抱えて持ち込む。
家に備蓄していた缶詰のパンとペットボトルの水を分け合って飲む。
この時点では公的なアナウンスやガイド、物資の支援は無く住民たちめいめいで毛布や食べ物を家から持ち出して寒さを凌いでいた。
すぐ隣に座っていた中学生くらいの子供二人とおばあちゃんが寒そうで、毛布を1枚貸す。
家族が家に物を取りに戻っているらしい。

外に出るとグラウンド向こうの空が赤い。煙も見える。火事だ…!
ただただ何も出来ず、時間が過ぎるのを待つしかない。その間も絶え間なく余震が続く。
(気象庁によると、1日から3日午後4時までに震度1以上を観測した地震回数は521回との事)
体育館のトイレは水が出ないまま人が行列していたが、そのうち使えなくなったようだ。
暗くなっても炎の勢いは衰えず、川向うが燃えているらしいということくらいしか分からない。

グラウンド向こうに炎と煙が見える

マットが狭いので姉一家も入れると横になるスペースが足りないのとなんの暖房もない体育館よりもまだ暖かいからと、夫と娘と車に移動して車中泊することになる。
揺れと不安で、眠れないけれど無理やり目を閉じる。エコノミー症候群が怖いので足を上げてみるが体勢が辛くて眠れない。下ろしても眠れない。
ウトウトしても速報が鳴るたび怖くて飛び起きる。

1月2日


明るくなってきて、火事の方を見るとようやく炎は収まってきたようだ。

ぐちゃぐちゃの実家に戻り、倒れているものを起こしたり、落ちた電子レンジを戻したり。
こんな状況でも電気は来ているようで、ありがたい…!電気ポットでお湯を沸かし、カップ麺と、炊飯器に残っていたご飯でおにぎりを食べる。

町の様子を歩ける範囲で少し見たい、と夫が言い、こんな時に1人にするのは不安なのでついて行く。

生まれ育った街が、あまりにも痛ましい姿になっていて、言葉にならない。

毎年お参りに行っている住吉神社の鳥居がボキボキに…

そこら中で古めの建物が倒壊、半壊している。
比較的新しそうでも1階が車庫になっていたものはそのまま2階が残って1階がペシャンと潰れているところが多かったように思う。

そしていろは橋の向こうは、戦火の後のようだった。

その日も余震に怯えながら、家の中をできる範囲で片付けていく。母は生け花が趣味であちこちにいけてあったお花が倒れてそこら中水浸しになっていたが、津波に比べたら全然マシ、と思いながら拭き、ビチャビチャの書類などを捨てる。
避難所にはほとんど情報が来ない。食料配布もまだ来ないようだ。
姉一家が自宅にストックしてあったペットボトルの水を持ってきてくれる。
幸い実家はネットが繋がるので情報が早いXを中心に道路状況などを調べるが、能登まで来る唯一の大動脈である里山海道が断裂や崩落が酷く通行止めが続いていて、下道も土砂崩れ等でまだ輪島から出られるルートがなさそうだった。
2日目は、何とか寝るスペース位は片付けた実家で布団で眠れた。それでも余震は容赦なく続き、またあの大きな揺れが来るかと揺れる度にヒヤヒヤして安眠できない。

1月3日

3日の朝、どうやら迂回路が繋がったようだとの情報をネットで見つけ、帰宅する事にした。
どれくらい時間がかかるのか、ガソリンは持つのか、そもそもほんとうに通れるのか分からない。
自宅の被害状況も分からない。(近所の人から「倒壊や大きな破損はしていないようだ」との連絡を受けてはいたけれど)

道路はひび割れなんていう可愛いものではなく大きく裂け、隆起している所ばかりで、そろそろとしか進めない。
途中の川と山に挟まれた所は思い切り土砂崩れしていて、通過中にも上からパラパラ石が落ちてきてめちゃくちゃ怖かった。よりによって雨が降っていたし。

トンネル上にも土砂と倒木が載っていて
重みでトンネルが崩落しないか怖かった

里山海道の入口付近の迂回路辺りで渋滞、進まなくなる。少し進んではストップ。
進まない時はガソリン節約のためエンジンを切って待つ。対向車線は救援車両の列に何回もすれ違う。向こうも渋滞している。

土砂崩れ多数


崩落多数。撮らなかったけれど車が裂け目にハマっているところもあった。

途中はネットがほぼ繋がらない。LINEもXも出来ない。
進まない間は本でも読もうかと息子に借りた本を開くが重い話(「三体」という本)なのでどんよりする。

進んでは止まり、亀の歩みでいつもならとっくに帰宅出来ている時間になっても1/3も進んでいない。実家で作ったおにぎりを1人1個と、水だけしか持ってこなかったのでお腹がすいてくる。
途中の道の駅でトイレのため立ち寄るが、男子トイレはともかく女子トイレは使えたものではなかった。水がないのに無理やり何人も使った跡。流せないから堆積しており、酷い。諦めて車に戻る。
7時間半かけて田鶴浜で開いているドラッグストアを発見、食べるもの、飲み物を購入。
トイレは鍵がかかっていて使えなかった。まだ水が出ないんだろう。商品が大量に落ちてお酒など割れたりした跡が残っていてまだ片付けきれていないままでも開けてくれたお店に感謝しかない。
もう少し進んだ先のコンビニは、トイレが使えた!久しぶりに水で手を洗える喜び。
そこからは渋滞もなく路面状況も良くスムーズに進めた。
朝10時半に出発、8時間かけてようやく我が家に帰宅した時は、ホッとしたのと、こんな状況か違うなら無理にでも母と姉一家を連れてくれば良かった、という後悔の入り交じったなんとも言えない気持ち。
思ったより物は倒れたり落ちたりしていなく、瓦が1部落ちているようだけど、輪島の被害を見てきたのでその程度なら被害のうちに入らないとすら思える。

振り返る

・本当は2日に宿にお客様が来るはずだったので、実家に行くのは3日になる予定だった。
(子供だけ年末から先に行っていた)もしそうしていたら、地震の時次男が実家に1人で居たかもしれず、もう高校生ではあるが犬を連れて1人で避難しつつ家族と合流出来ていたか不安しかない。
そして離れた場所で地震を知ったとしても、あの道路状況では直ぐに駆けつける事なんて出来なかったはずで、大変だったけど一緒に居る時で不幸中の幸いだったのだ。

・備蓄大事。避難所はとりあえず雨風はしのげても、水や食料は直ぐには配布されなかった。(これは場所によると思う)みな自宅から食べ物を持ち込んで食べていた。
女性は簡易トイレも用意した方が良い。

・ネット環境の差で状況把握できるかどうかが全く異なる。避難所に居ても何のアナウンスもなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけで、手持ち無沙汰にしている人多数だった。

・コンタクトの人は保存液とケース、メガネを常に携帯した方がいい。寝る時くらい外したかったがケースも保存液も無かったので3日ずっと付けっぱなしで目がカピカピになった。

・能登は道路が細く、少ないので今回のような状況では直ぐに大渋滞になってしまう。
色んな人がアナウンスされてますが、救援車の通行が最優先なので家族以外の人が今(1月4日現在)輪島に向かうのは控えた方が良いと思う。
復旧作業を頑張ってくださっているはずなので、そのうち通行がある程度スムーズになったら是非片付けのお手伝い等で手伝ってあげて欲しいです。

長文を読んでくださってありがとう。
能登の人達に、また穏やかな日が早く戻りますように。

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