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非正規模様 ②「余波」

退職金で家のローンを返済し、残金はすべて妻に渡した。
そして妻は家を出ていった。
こんな六十歳を迎えるとは思いもしなかった。
これじゃ、熟年離婚の典型的なパターンだ。
三十年も連れ添い、六十歳にもなって情けないばかりだが、熟年離婚なんて言葉があるくらいだから、きっと私たちのような夫婦はたくさんいるのだろう。いや、案外、普通なのかもしれない。特別なことではないのだ。うん、そうに違いない。
と、自分に言い聞かせても、今の自分の状態が改善されるわけでもない。
それどころか妻から離婚を切り出されたあの日、妻が発した言葉が、夜になると頭のなかをかけ巡り、眠れない日々が続くようになった。
「あなたが私にとってどういう夫だったかちゃんと考えてほしい」
どういう夫って、どういうことだ? それになんだ、その上から目線。
いろいろ不満はあるけれど、それはお互い様だし、そこをぐっと我慢するのが夫婦というものではないのか。それが大人の態度というものだろう。
花屋でアルバイトというお気楽な身分じゃ分からないかもしれないが、会社員としてあの濃密な人間関係のなかで仕事をする苦労をお前は知らないのだ。理不尽や無理難題が襲いかかるのは毎日のことだ。それが三十七年間、続くのだ。メンタルをやられてしまう者もいる。能力はあるのに人間関係がこじれて会社から去っていかざるを得なくなる者もいる。
それほどに過酷な現場で、三十七年間も仕事をしてきたのだ。家で仕事の話をすることは殆どなかったが、妻であればそこらへんを察してくれるのは当然じゃないのか。
「あなたの子どもを授からなくて本当によかった。いま、本当にそう思う」
この年になって、子どもができなかったことをあんなに恨めしそうに言うか? そもそも私が一度だって、子どもができないことで妻を責めたことがあったか? いや、ない。そんなことは、断じてない。
そんなことを言った覚えもないし、子どもが欲しいだなんて思ったことすらない。なのに妻はなぜ、あんなに私を貶めるようなことを言ったのか?
私はそんなに忌み嫌われる存在なのか?

妻は昔からどこか世間とずれたところがあった。
スピリチュアルなことにすぐに惹かれるし、新たな趣味を見つけると、あと先考えずにのめりこむ。音楽、アニメ、韓流ドラマ、数えあげたらキリがない。主婦のくせに、趣味のあう友人たちと女学生のようにコンサートや映画、韓国旅行にいきまくった。私から見れば、なんの生産性もないことになぜそんなにカネを費やせるのか不思議でならなかった。もともとそのカネは毎日、わたしが会社に通って仕事をすることで得たものじゃないか。
なぜ、それを妻が浪費しまくるのか?
きっと妻は現実の世界というものをそのまま受け入れられないのだ。
普通という感覚がない。
だから、男と女が夫婦になったらどうなるかということに理解が及ぶこともない。真面目に会社勤めをしている私を単なるカネを運んでくる者としか思えなかったのだろう。
そうだ。そうなのだ。
夜の営みだって妻は常に仕方なくやってあげている感がみえみえだった。
私はなにもわるくない。
そもそも夫婦生活に向かない妻の性格がこんな事態を招き入れたのだ。

だが、そんなことを考えても事態が好転するわけではない。
それどころか毎日、夜、家の中が暗くなると、あのときの妻の言葉がフラッシュバックするように甦る。そして出口のみえない堂々巡りが始まるのだ。
感情は激しく何度も大きくのたうち、自尊心は感情の渦に巻き込まれ、すべては闇に埋もれて息もできない真空地帯に放り込まれる。
なんとか空気を送り込もうと本を読んだり音楽を聴いたり、映画のDVDを見たりするが、どれも記号のようにしか感じられない。白い膜が張られた向こう側でモコモコとしたものが蠢いているようにしか感じられない。
時限の異なる空間にまぎれ込んでしまったような感覚と言おうか、何かに触ってもその感覚がないように感じ、心電図が止まったように心は何も感じなくなる。
そのくせ、なぜか涙だけはとめどなく流れていく。
自分はおかしくなってしまったのか?
やがて、一睡もできぬまま夜は明けはじめる。家の中も外も白み始める。
一人では広すぎる3LDKの一軒家が太陽の光に満たされる。
朝が来たのは認識できるが、時間の感覚が失われてしまっている。
だが、三十七年間の習性とは恐ろしいもので、朝7時を迎えると体も頭も動き始める。テレビをつけ、ニュースを見ながら、トーストと目玉焼きとハムを焼き、コーヒーを淹れる。
朝食を食べながら、新聞に目を通す。
するとニュースはニュースとして聞こえ、新聞の文字は意味をもったものとして目の前に現れてくる。
結局、闇に陥った自分を救うのは、三十七年間、会社勤めのために行っていたルーチンだった。なにものかに従ったときに発生する行動、それが私を救うのだ。私は自からの力で自らを助くことはできず、外部の命令が私を救う。しかし、その会社も私には無くなった。家庭も無くなった。私が私であることを明らかにできるものが、もう何もなくなってしまったのだ。

そんな朝、私の携帯に一本のメールが届いた。
もしかしたら、妻からのメールかと、ほのかに期待する自分がいた。
はやる心を抑えるようにスマホを手にすると、それは退職した会社の人事部の女性社員からのメールだった。
そこには短くこう書かれていた。
「健康保険証がいまだに返却されておりません。至急、郵送で送っていただくか、会社までご持参ください」
そうだ。思いだした。会社に返却することになっていた健康保険証を、私はまだ返していなかった。
郵送で問題ないのだが、会社に行きたい、私は強くそう思った。
いや、それどころか、出社できることに感謝したいほどだった。
そんな心持ちに私はなっていたのである。

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