理想的に生きたいという感情の低下3

「理想的に生きたい」と思うということは、裏を返せば、現状では満足できていないということでもある。つまり、そういう理想的な生に思いを馳せることがないという状態こそが、満ち足りた理想的な生き方なのかもしれない

それはさておき、私は「感情の低下」という言葉を使ったが、それは一体どういうことなのだろうか。感情というものは、そもそもが上昇下降の激しいものなのではないか。そして、そもそも「感情」とは一体なにであると考えているのか。思い出は感情だろうか。空腹感とは、感情なのか感覚なのか。だが「感情」とは何かと定義することは難しい。ここではそれをまだ置いておこう。

そして、そもそも理想的に生きたくないという事が原理的に可能なのだろうか。つまり、私が現在の生活に疲れ切って、自殺をしようとするとき、それはある意味で自殺をすることの方がより善いと言えるのであるから、より理想的にもなってしまう。そのように、理想的に生きることをやめようと思うこと自体が、その人にとっての理想的な生き方であるのかもしれない。

問いそのものを深く掘り下げていく必要があるだろう。

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