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#いいパパってなんだろう

先ほど、鎌倉の我が家から車を走らせ静岡県富士市の実家に向かって親父が帰っていった。

父の日のプレゼント、今年は妻がセレクトした、Patagoniaのビールとビールグラスだった。とても喜んでいた。もったいなくて飲めない、飾っておこう、なんていってスマホで写真撮って、Instagramに投稿していた。本人よくわかってなかったがそれはストーリーズという機能だよ親父。多分明日には忘れてるだろうけど。

親父は昔柔道やっててガタイがよいがとても健康と言えるタイプではない、肥満体型。未だによく飲みよく食うし、ダイエットとリバウンドを繰り返し、先日は頚椎なんちゃらという病気で倒れた。腹膜炎で倒れたこともある。周りがこんなに心配してるのにいまいち自覚がない。こないだも飲みすぎてフラフラしてた。今日は白米をセーブしていたが。

僕は36歳になったが、親父の背丈は越せなかったし、生まれてから一度も腕相撲で勝ったことはない。今やっても多分勝てない。

よくよく考えると怒られた記憶がない、ましてや殴られたことなんて。高校2年生の時に、家の近くの中華屋で飯を食っていた時、当時毎日毎日同じことを聞いてくる親父に腹が立ち、「だから!それはこないだ言っただろ?!」と持っていた割り箸で親父を指差しながら答えた僕に対し、僕より2まわりくらいでかい拳で顔面に寸止めをした。多分実際はそんなことはなかったはずだが風圧で髪の毛が揺れた気がした。

親父は言った「お前なんか拳一発で殺せるからな、覚えとけよ」
僕の反抗期はそこで終わった。

学校の面談では小学校の頃から「生意気言ったら腕の2〜3本折ってやってください、先生」が決まり文句だった。「いや、腕3本あったら大変ですよ」なんてきり返す先生はいるはずもなく、ただただ苦笑いだった。たまに「小串、いい親父さん持ったな」という先生もいた。嬉しかった。

家庭科の調理実習で使う米を忘れた。電話をして持ってきてもらおうとした。「は?砂利でも拾って食ってろ!」本当に持ってきてくれなかった。

ゴールデンレトリバーを飼っていた。小学四年生のときにやってきた。スターウォーズに家族でハマっていて、名前はルークに落ち着いた。親父は最後まで「オグリキャップ」「ナリタブライアン」を候補にあげていた。
一時期ルークを連れてよく2人+1匹でルアーフィッシングに出かけた。広い浜辺で釣りをする親父と僕、そのまわりをルークが好きに走り回っていた。
親父がルアーを投げようとしたその時、何かに引っかかった。振り向いたらルークの耳にルアーが刺さっていた。
その日は10分くらいですぐに家に帰った。
「おい見てみろ!今日は犬が釣れたぞ!」
お袋に激怒されたあとすぐに動物病院に駆け込んだ。あの場でよくそんな冗談がいえたな、凄すぎた。病院でルアーの針を外してもらい、消毒してもらって帰ってきた。犬の耳にはそこまで神経は通ってないから痛みはないんだ、と。いや、自分の記憶では当時ルークは親父のことを睨んでいた。

雨の日は「めんどくせえな」といいながら常に送り迎えをしてくれた。高校卒業まで世話になった。大学になって帰省する際、荷物が多いんだとメールしたら静岡から東京まで車で迎えにきてくれた。

高校の時に、高校の近くにあったハンバーガー屋が親父の取引先だった。
ツケで食っとけ、支払いは月末にやっとくからと言われ部活の仲間におごりまくった。月末に「てめえいい加減にしろばかたれ」と言われた。10万を超えていたらしい。

いつぞやの、年末の徹子の部屋スペシャルで爆笑した親父が、そのまま椅子の脚が折れてひっくり返ったことがある。マジ尊敬した。

僕がRPGをやってるのを眺めるのが好きだった。よく眠れるらしく、ゲームを禁じたいお袋とは反対に、夕食後に「おい良輔、スーファミやれ」と言われ僕の部屋で僕がひたすら一人でプレイするナイトガンダム物語やFF、クロノトリガーやロマサガをよく見ていた。だいたい開始5分くらいでいびきをかいていた。全然起きないから僕は父のベッドで寝たこともある。

部活のバスケの試合は全部観に来た。「てめえはシュート入んねえんだから甲田(エースの名前)に回せ!」と大声で怒鳴ってくる。
ふざけんな、一応これでも地区選抜だったんだ。というかシュート入らねえとかいうな、多感な高校生にはトラウマになるわ。それにせめて親は息子を信じろよ。その日はマジで入らなかった。

将来は一緒に暮らせたらいいな、一人暮らしはどうなんだ、新しい会社ではうまくやってるのか、家族をちゃんと養えてるのか、ランニングを始めたらしいな、最近はサーフィンもやってるらしい、また海外出張に行くらしいけどどうなんだ。常にお袋に聞いているらしい。社会人になってしばらくしてから知った。結構びっくりした。

うちは一般的な父親像と母親像が逆転しているという表現が正しい。
親父は過保護で、なんでもしてやりたいタイプで、お袋の方がある意味ドライ、好きにやればいいというタイプ。なにせ僕自身がそれに気づいたのが社会人になってからだったことが不思議でならないが、いろいろ思い返すとたしかにそうだった。不思議だ。

ただなにせ親父はそんな面は一度も僕には見せない。だから周りの友達はみんな「小串の親父は怖い、でかい、豪快、めちゃくちゃ」という。実は恐ろしいほどに過保護で僕のことが好きでたまらないんだ。恥ずかしくなるくらいに。

僕の息子、つまり孫がしばらく懐かなかった時は正直僕の方が焦った。彼の性格上あれは相当ショックだったはずだ。今は「まこじ」(名前はマコト)と呼んで「まこじこれ見て!」とおもちゃなどを見せる。そんな時決まって親父はスマホで写真をFBに投稿しようとして聞いていない。「ちゃんと聞いてなさいよ!」とお袋に怒られる。つい数時間前もそうだった。間が悪いんだ、なぜか。

義理の両親は親父のことを「マコティー」と呼ぶ。
由来は、ハワイで我々が結婚式を挙げた際、親父が証明人?だかの欄に名前を書く時に緊張しすぎて「MAKOT」で終わっていたからだ。

僕が転職をすると、そこのサービスを使ってくれる。ただ全く使い方がピンとこなくて説明にえらく時間がかかる。毎回イラつくんだが嬉しい。

・・・

とまあ親父の話はおそらくぶっ続けで何日も話せる。こんな話があと100万個くらいある。



今回お声がけをいただき、もう当日の夕方だが父の日ということで
#いいパパってなんだろう
という投稿をさせていただくことになった。

実は新卒1社目のADK時代にしんちゃんの番組提供のセールスを担当していた。感慨深い。井上さん、素敵な企画、そしてお声がけありがとうございます。ご縁を感じざるを得ません。


いいパパとは。
こんな風に息子が何年経っても忘れない、思い出を残せるパパじゃないかと思う。

しんちゃんのパパ、ひろしだってそうだろう。

息子が僕と同じ歳になった時、果たしてどれだけ思い出を語らせられるか。
これが僕の戦いである。
できれば僕にとっての親父を超えてみせたいがそう考えると途端に自信がなくなるから、やっぱり親父はすごいんだなと思う。

ただ僕は絶対、息子の話は一度聞いたら忘れないし、健康上で迷惑をかけないように不摂生はしない、妻がいないと行きていけないほど全てを頼らない、、と思ったがもうすでにそうなってるじゃないか。


いいパパってなんだろう。
それは絶対、家族のみぞ知るものだろう。
だったらパパにできることはシンプルで、
一緒に泣いたり笑ったり、山を越え谷を超え、苦楽を共にし思い出を積み重ねるだけだ。



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