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清澄庭園(知識編)

 その名の通り清澄白河にある「清澄庭園」は東京都が運営する都立9庭園の1つ。他の9庭園に比べて若者の来訪客が多いこの庭園の歴史は18世紀に遡る。
 最初は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門(1669~1734)の屋敷だったといわれている。数々の伝説を持つこの男の物語は、例によって講談『紀伊國屋文左衛門』というネタになっており、今も寄席に行けば聞くことができる。
 その後いろいろあって、1878年に岩崎彌太郎(1835~85)が同地を購入する。言わずもがな三菱財閥の創業者だ。NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010)では準主役として登場し香川照之が演じた。また昨年の大河ドラマ『青天を衝け』(2021)では中村芝翫が演じている。彌太郎並びに岩崎家は日本の経済史・ビジネス史に名を残しただけでなく、美術史にも大いに関与する。丸の内の三菱一号館美術館、二子玉川の静嘉堂文庫美術館、駒込の東洋文庫、さらに上野の旧岩崎邸庭園(都立9庭園の1つ)など、都内だけでも5つのアート・スポットの礎をつくっている。そんな人物はちょっと他に見当たらない。
そんな彌太郎が1880年に三菱の社員の慰安や来賓用の施設として同地を「深川親睦園」として開園。隅田川から水を引き(現在は雨水)、全国から名石を取り寄せ、ジョサイア・コンドル(1852~1920)に洋館をつくらせ(焼失)、広大な庭園を整備していく。
1923年に関東大震災が起こると建物などが焼失。翌24年に東半分を東京市に寄付することに。その東半分こそが現在の「清澄庭園」である。8年後の1932年にオープンした。では西半分はどうなったかというと、戦後1973年に東京都が「購入」(寄付ではなく)している。そしてその西半分は「清澄公園」(庭園ではなく)というマジの公園になっている(庭園らしさは1ミリもない)。
 庭園の様式は池泉回遊式庭園(公式サイト等では「回遊式林泉庭園」としている)。「大泉水」と名のついた大きな池には3つの中島が浮かぶ(中の島、輪島、松島)。そして南には「富士山」という山がそびえ立つ。堂々と嘘をついているかのように思えるが、これは他の庭園でもよく使われる手法。また「自由広場」という広場も付属している。菖蒲が美しいこの広場には「芭蕉の句碑」がある。あの「古池や~」の句の石碑である。もしかしてあの「古池」とは清澄庭園の池のことだったのかと思ってしまうが、実際にこの句が詠まれたのは同地から少し離れた芭蕉邸で、句碑の置き場所がなくなってこの地に置かれた。
 建築物は主に2つ。1つは「大正記念館」。これは大正天皇の葬式で使った建物を移築したもので、現在は集会所として使われている。もう1つは「涼亭」という数寄屋建築。設計者は保岡勝也(1877~1942)。辰野金吾の弟子で、埼玉の川越4部作が有名。1909年にイギリスの軍人ハーバート・キッチナー(1850~1916)を国賓として迎えるために建てられた。このキッチナーは昨年公開されたスパイアクション映画『キングスマン:ファースト・エージェント』で主人公の友人という立場で登場、名優チャールズ・ダンスが演じている。ネタバレすると、このキッチナーの部下が同作のヴィランだった。
 他にも「磯渡り」「枯滝」「石橋」など庭園の要素がたくさんある。心安らぐ名庭園の1つだ。
 


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