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八芳園(知識編)

 東京・白金台にある「八芳園」は、ウエディング施設や宴会施設として有名な場所だが、実は庭園ファン必見の場でもあるのだ。都心に突如として現れる広大な日本庭園。木・池・石・花・滝、あらゆる自然の要素が散りばめられている。どこを見ても自然がある。「八芳園」の名は「どこから見ても(八方から見ても)美しい」ことから付けられた。

 「都会のオアシス」とのキャッチフレーズをもつ八芳園の歴史は江戸時代初期に遡る。最初は旗本・大久保彦左衛門(1560~1639)の屋敷だった。彦左衛門は「天下のご意見番」との異名を持ち、家康の遺言で後の将軍たちに諫言することを許された人物。将軍にもの言うことができたことから後世庶民の人気が高まり、講談の主人公にもなっている。『大久保彦左衛門』という名前がそのままタイトルになった講談ネタは、現在も寄席に行けば聞くことができる。また今月(6月)歌舞伎座で上演されている新作歌舞伎『信康』にも脇役として登場している。
 以後いろいろと所有者が代わって、明治時代に渋沢喜作(1838~1912)の邸宅となる。あの渋沢栄一のいとこで、昨年の大河ドラマ『青天を衝け』では高良健吾が演じている。
 1915年、実業家の久原房之助(1869~1965)が渋沢の邸宅を購入した。1本の松を見て即購入を決意したという。久原は日立、日産、ジャパンエナジーなどの久原財閥の総帥。この久原こそが今の八芳園の礎を築いた人物。敷地を拡大、全国から広大な名木・名石を集めるなどして、庭園を整備した。庭園の形式は池泉回遊式庭園。錦鯉が泳ぐ池の周りに2つの茶室と4つのあずまや(休憩所)がある。2つの茶室のうちの1つ「夢庵」は明治の貿易商・田中平八(1834~38)の茶室を移築してきたものだが、この田中平八は高田真由子(葉加瀬太郎の妻)の曽祖父である。
 1950年、久原は邸宅として使っていた敷地の一部を、実業家の友人・長谷敏司(1903~91)と共同経営で料亭として使うことに。その際、長谷には庭園について「一木一草たりとも勝手に動かしたり切ったりしないこと」と忠告している。1954年に久原が手を引いて以降、株式会社八芳園は長谷家が代々社長を務めている。
 そしてもう1つ、八芳園の正門をくぐってすぐ、目の前に現れる料亭「壺中庵」。ここは久原の邸宅だったところ。1994年にあの遠藤周作(1923~96)が中国故事「壺中の天」から命名した。
 現在、八芳園は主にウエディング施設として親しまれている。建物としては6階建ての本館、3つの結婚式場(白鳳館、オリエンタルチャペル、ガーデンチャペル)、ウエディングサロンが建っている。庭園の見学は無料。行けばたいてい披露宴前後の新郎新婦と家族・友人が中庭で記念撮影をしている。関係のないこちらまで幸せな気分になるだけでなく、あの、小・中・高校で何度も見た、合唱発表などで使う3段ほどのシルバーの即席階段、あれを久々に見ることができ、懐かしさも感じることができるのだ。
 
参考
・八芳園 公式サイト(https://www.happo-en.com/)
・日鉱記念館 公式サイト(https://www.nmm.jx-group.co.jp/museum/index.html)
・ニッポニカ:「久原房之助」の項

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