有機のまちで「有機」という言葉の意味をかんがえる
先日、小川小学校5年生のおがわ学の授業で、地産地消についてお話させて頂く機会があり、児童から「有機農業の有機ってどういう意味ですか?」という質問を受けました。
有機って有機物だから、炭素を含んでいて…いやこれは回答にならないな…有機は農薬や化学肥料を使っていなくて…いやこれは栽培のことであって、有機という言葉の回答にはなってないよなぁ…。
普段使っているけれども改めて聞かれると意外に答えられなかった「有機」という言葉。質問に答えるために持ち帰ったことから言葉の意味、さらには小川町における「有機」の捉え方について考えることになりました。
まず「有機」という言葉がどこから生まれたのでしょうか?
なるほど!普段農家さんのところで見ている色んな取り組みが頭に浮かびます。踏込温床、バンカープランツなど。
踏込温床を作って、自然の発酵熱で育苗する農家さんを小川町ではよく見かけます。非常に沢山の落ち葉を必要とするため労力がかかるため、一般的には電熱線を使って育苗することが多いですが、地元にある資材を使うことで、お金とエネルギーをできるだけかけず、そしてこの温床が3年後に良質な土となることに大きな価値があると考えているとおっしゃっていました。
バンカープランツとは、野菜を育てる時に発生する害虫の天敵を引き寄せる植物のこと。「バンカープランツ」の「バンカー」とは、「銀行家(Banker)」で、天敵をバンカープランツに預けておいて必要な時にその効果を引き出す(=害虫を食べてもらう)という意味です。うまく自然の仕組みを使っているなぁ!とはじめて見た時に感動したのを覚えています…!
自然の摂理に従って里山の落ち葉を取ると、農家さんが堆肥や踏込温床にするだけでなく、森を管理する人が居て、もりに入って里山を楽しむ、活用する人が居て、そうして里山がきれいになると川に栄養分が流れ出て、海の健康にもつながる。自分が手をかけられる範囲で畜産を行うと、ごみになるはずの残さや雑草が動物の餌となり、糞尿が堆肥に変わり、動物と人間の交流も生まれ、最後は食物として頂くことができる。こんなふうに、有機的な営みとしての農業はただ「有機農産物」を作るだけじゃなく、生産活動の周りにも「有機的なつながり」を作り出すのだなぁ…
久松達央さんは著書「キレイゴトぬきの農業論」の中で、有機農業について下記のように話しています。
それぞれの生き物が持つ機能、それが全体で回るシステム、これを積極的に生かそうというのが有機農業の考え方という説明が、なるほど!腑に落ちます。
それでは、生き物が持つ機能やシステムを生かす、有機的なつながりの上で行う生産活動に対して、1箇所で集中的に、大量に、効率よく行う「食料工場」のような生産の場では、もったいないが沢山生まれるのではないか、という考えが浮かんできました。農薬によって土壌微生物が死滅して、自然の原理を活用できなくなってしまったり、本来循環して活用できるはずの家畜の糞尿が溢れ、河川の環境汚染の原因となることも。
生産〜廃棄が直線的に繋がり、余白のない生産活動と、生産活動をすることで有機的なつながりが同時多発的に生まれ、影響しあっていくもの。どちらが良い悪いというのは見る視点によって異なりますが、自然も人も、全ての関わるものが笑顔で幸せなイメージを持つのは後者だなぁと思います。
そして、小川町は先代から有機的な営みの文化と人のつながりが今に至るまで受け継がれています。そんな町だからこそ居心地が良くて、私もちゃっかり住み着いてしまったのではないかと(笑)
小川町に暮らす人が「有機」という言葉をどう捉えているのか、お話を聞いて、またまとめようと思います!「有機的な人間関係」という観点で面白い話が聞けそうな予感が☺
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?