ありがとうの歌を唄いましょう

「随分と古いCDなんだね」
 
 彼が差し出したそれは、随分と埃が被っていた。
 プラスチックが変色している。それだけ時間が経っていたのだ。

 もうすぐこの街ともお別れ。
 私たちは次の住処(すみか)に旅立つための準備をしているところだった。
 夫となる彼が私に渡してくれたCDは、十数年前によく聴いていたもの。

「そうだね」

 私は、何とも言えない気持ちでその藍色のジャケットとパッケージを見つめる。
 あの日、何度も何度も繰り返し聴いた曲が入っている、とあるアーティストのベストアルバム。女性ヴォーカルの声が柔らかくて、切なくて、幾度となく涙した。
 思い出す、あの辛かった日々――。



「さよなら」

 別れは唐突に、突然に。
 大好きな彼氏に別れを告げられた。
 些細な喧嘩が増えて、ちりも積もればなんとやら。
 お互いに時限爆弾を抱えていたのかもしれない。
 先に爆発したのは、あなたの方だった。

 もう後戻りできないと、その言葉で分かった。
 私はその「さよなら」を受け入れるだけでしか、いい彼女を演じられなかった。

 ねえ、聞いて。
 まだ私はあなたが大好きで、大切で、離れたくないんだよ。
 なのに、どうして突き放すの?
 私を置いて行っちゃうの? さよならしたあと、あなたは何処へ行ってしまうの?

 嫌だ、いやだ、イヤダ。
 ねえ、置いて行かないで。私はまだここにいるのに、ひとりぼっちにしないで。

 三日三晩、何も食べられなかった。何も飲めなかった。
 ベッドの中で散々泣き明かした。
 全ての想い出が、私の掌からこぼれていってしまった。
 初めて手を繋いだぬくもりも、初めてキスをした唇の感覚も、まだ私の身体から消えていないのに。
 ねえ、あなたは淋しくないの? 私は淋しいよ。

 四日目の朝。
 何気なく流していたFMラジオから、突然耳に届いた音色。
 まるで今の私を代弁してくれているかのような、そんな歌詞に、私はまた涙していた。
 この別れは、きっと私たちの未来にとって必要なものだったんだ。
 
 FMラジオのDJが曲名を告げた時、即座にメモをした。

 前を向いて、歩くしかない。
 その日から、私は少しずつ立ち直ろうと頑張った。
 それでも心がポッキリと折れてしまいそうになる度、この曲を何度も聴いて、明るい未来のためだと気持ちを奮い立たせた。



 あなたは今、どこで何をしていますか。
 もう私はこの曲に寄り掛かるようには生きていません。
 時間が解決する、という言葉は大嫌いです。
 私が時間を利用して、この曲と共に解決してきました。
 本当にあなたが大好きでした。でも、あなたとの未来はありませんでしたね。
 それが正解だったのか、不正解だったのかは分かりません。
 それでも、あなたと出逢えたことで私は成長できました。

 あなたを忘れることはありませんが、あの頃のあなたのことは忘れてしまいました。
 それはきっと、この曲が寄り添ってくれたから。
 私があなたを忘れるためには、あなたとの想い出を唄うような歌詞が必要だったみたいです。
 そう、想い出を形にしたら、心にとどめておく必要性はないから。

「ちょっと聴いてみたいな」
 明るい笑顔で、彼が言う。
「そう? じゃあパソコンで聴いてみる?」
「うん、そうだね」
 私は笑顔で、再生ボタンをクリックした。

 ――ありがとう、そして、さよなら。