ありがとうの歌を唄いましょう
「随分と古いCDなんだね」
彼が差し出したそれは、随分と埃が被っていた。
プラスチックが変色している。それだけ時間が経っていたのだ。
もうすぐこの街ともお別れ。
私たちは次の住処(すみか)に旅立つための準備をしているところだった。
夫となる彼が私に渡してくれたCDは、十数年前によく聴いていたもの。
「そうだね」
私は、何とも言えない気持ちでその藍色のジャケットとパッケージを見つめる。
あの日、何度も何度も繰り返し聴いた曲が入っている、とあるアーティストのベストアルバム。女性ヴォーカルの声が柔らかくて、切なくて、幾度となく涙した。
思い出す、あの辛かった日々――。
*
「さよなら」
別れは唐突に、突然に。
大好きな彼氏に別れを告げられた。
些細な喧嘩が増えて、ちりも積もればなんとやら。
お互いに時限爆弾を抱えていたのかもしれない。
先に爆発したのは、あなたの方だった。
もう後戻りできないと、その言葉で分かった。
私はその「さよなら」を受け入れるだけでしか、いい彼女を演じられなかった。
ねえ、聞いて。
まだ私はあなたが大好きで、大切で、離れたくないんだよ。
なのに、どうして突き放すの?
私を置いて行っちゃうの? さよならしたあと、あなたは何処へ行ってしまうの?
嫌だ、いやだ、イヤダ。
ねえ、置いて行かないで。私はまだここにいるのに、ひとりぼっちにしないで。
三日三晩、何も食べられなかった。何も飲めなかった。
ベッドの中で散々泣き明かした。
全ての想い出が、私の掌からこぼれていってしまった。
初めて手を繋いだぬくもりも、初めてキスをした唇の感覚も、まだ私の身体から消えていないのに。
ねえ、あなたは淋しくないの? 私は淋しいよ。
四日目の朝。
何気なく流していたFMラジオから、突然耳に届いた音色。
まるで今の私を代弁してくれているかのような、そんな歌詞に、私はまた涙していた。
この別れは、きっと私たちの未来にとって必要なものだったんだ。
FMラジオのDJが曲名を告げた時、即座にメモをした。
前を向いて、歩くしかない。
その日から、私は少しずつ立ち直ろうと頑張った。
それでも心がポッキリと折れてしまいそうになる度、この曲を何度も聴いて、明るい未来のためだと気持ちを奮い立たせた。
*
あなたは今、どこで何をしていますか。
もう私はこの曲に寄り掛かるようには生きていません。
時間が解決する、という言葉は大嫌いです。
私が時間を利用して、この曲と共に解決してきました。
本当にあなたが大好きでした。でも、あなたとの未来はありませんでしたね。
それが正解だったのか、不正解だったのかは分かりません。
それでも、あなたと出逢えたことで私は成長できました。
あなたを忘れることはありませんが、あの頃のあなたのことは忘れてしまいました。
それはきっと、この曲が寄り添ってくれたから。
私があなたを忘れるためには、あなたとの想い出を唄うような歌詞が必要だったみたいです。
そう、想い出を形にしたら、心にとどめておく必要性はないから。
「ちょっと聴いてみたいな」
明るい笑顔で、彼が言う。
「そう? じゃあパソコンで聴いてみる?」
「うん、そうだね」
私は笑顔で、再生ボタンをクリックした。
――ありがとう、そして、さよなら。
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