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恋愛小説、書けません。/Lesson2:「レセプション後の酔いは突如醒める」

 時は数時間前に遡る。 
 都内でも高級と謳われるホテルの最上階のスイートルームで耀介は一人眠っていた。外から射し込む光に照らされて、ようやく彼は目を覚ます。

「水、飲みてえ……」

 独り言を呟くと耀介は気だるそうに起き上がり、はだけたガウンを整えて冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターを取り出して、キャップは――ああ、そうだ最近このボトルキャップのプラスチックはワクチン寄付になるんだっけとキャップだけ残し、そのまま一気飲みする。

「五臓六腑に染み渡るな……流石にハメを外しすぎたか?」

 元々耀介はそこまで酒に強くない。しかしレセプションパーティの席での酒を断るわけにはいかず、勧められるまま飲んだ。アルコール分解酵素が足りていない。今も実際頭痛と吐き気が彼を襲う。耀介は『伊田滝登いただきのぼるの代理人』としてレセプションパーティの席に出た。

「ちっ、参った」

 時計を見ると既に昼の12時を回っていた。この部屋を取ってくれた出版社の担当が気を利かせて起こさないでくれたのだろう。
 耀介の今日の予定は大手出版社との打ち合わせが一件。風呂に入ってはいるが、昨日のスーツは代理人と言えども、正直「見世物用」だ。これでコートを羽織ったとしても、編集部で浮くのは目に見えている。自宅へ戻るかと耀介は寝癖を直すべくバスルームへ向かい、アメニティグッズがきっちりと揃えられた中から整髪料を取り「いつもの髪型」へ戻す。

 とりあえずホテルをチェックアウトして、自宅へ戻る。
 耀介の自宅は、自慢ではないがこのホテルからさほど遠くない贅沢な場所にあるデザイナーズマンション。29歳の独身男が住むには広すぎる感があるのだが、各出版社との打ち合わせを考えると、ここが一番良かったので清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入した。
 5LDKの内、書斎が一部屋。仕事場に一室。漫画家ではないので泊まりこみのアシスタントがいるわけではないが、編集用に一室。そして耀介のプライベートルームと分けている。残り一室は空き部屋だ。

「このダークグリーンのスーツでいいか。シャツはどうするか……」

 それなりに「彼流のお洒落」をして、大手出版社へ向かう。出版社は自宅から徒歩圏内なのでアポの時間までには間に合った。やはりこのマンションを買って正解だったと心の中で耀介は思う。

「菅原さん!」
「あ、高見さん。お疲れ様です」
 耀介は身元が割れることを避けている。「謎の新進気鋭作家」が見事に購買欲を掻き立てたのは事実。だから本名呼びで宜しくと編集には頼んである。高見と呼んだ女性は、この出版社が出している情報雑誌、彼の隔週連載の担当編集者だ。勿論伊田滝登が菅原耀介であることは知っている。
「大丈夫でしたか? 昨日随分と酔ってらっしゃいましたけど……」
「大したことないですよ」
 身体の中は大したことだらけなんだが……これは後で胃薬コースだな、と耀介は心の中でぼやく。
「菅原さん、いつもお洒落ですよね。スーツの色も珍しいけど嫌味じゃないし」
「パーソナルカラーってご存知ですか? 僕の場合はこの色なんです」
「そうなんですね。私も自分のパーソナルカラー調べてもらおうかな。あ、今編集長を呼んで来ますのでそちらの第二応接室のソファでお待ち下さい!」
 第二応接室にノックして入ると、年季の入った革張りのソファに座り一呼吸。
 しばらくして第二応接室に入ってきたのは、白髪交じりのにこやかな紳士だった。
「菅原くん、大丈夫かい?」
「木下さん、ゆうべはお世話になりました」
 耀介を育ててくれたこの紳士――木下が、立ち上がった耀介へソファに座るよう促す。そのタイミングで、女性社員がいい薫りのするコーヒーを持って来た。
「すみません、本当に酒は弱くて」
「長い付き合いだから、それは重々承知しているよ」
 木下は人の良さそうな笑顔で耀介に話す。
「改めて、この度は『失った朝』の青木賞受賞、本当におめでとう」
「有難うございます。正直僕も夢見心地な部分があるんです。こう、まだ実感が湧いていないのが本音でして、次回作の結果次第で分かるのではないかと……」

 その言葉に木下が飛び付いた。木下はこの出版社の中でも長い歴史を持つ文芸雑誌の編集長、元は耀介の担当でもあった人物だ。

「菅原くん、そこで君に提案がある」
「何でしょう?」
「菅原くんの作品は今まで繊細な人間の内面を扱ったものがとても多かった。私はその菅原くんの繊細さを是非、恋愛小説として生かしてみてはどうかと思っているんだよ」

 ……え? 今何て?
 耀介のコーヒーカップを持っていた手が止まった。

「次回作、初の恋愛小説で進めて行きたいんだが」
「おっ、おれ……いや僕が、恋愛小説ですか!?」

 耀介の声は思った以上に大きく、更に裏返り、目の前の木下は口を開けて耀介を見つめていた。


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