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恋愛小説、書けません。/Lesson3:「文学青年の過去」

 耀介たちの母親は耀介が生まれた直後に他界している。
 そんな菅原家兄弟の世話をしてくれたのは、菅原家の隣に住む絢乃の母親、茅乃だ。男手一つで育てた父親も尊敬しているが、茅乃にも尊敬の念を抱いている。しかし本当の母親ではない。父親がどういう風に母と愛し合っていたのか、耀介は全く知らない。そのせいか余計に「男女の関係」には人一倍疎い部分もある。
 耀介には兄が一人いる。この兄は耀介とは違い「研究者」として父親の製薬会社の研究所で日々研究中だ。こちらも耀介以上に女っ気がない。研究所で女性がいるのは極僅かだという話を就職して暫くして兄が話してくれた。実際、兄より耀介に女っ気があるかと言われると、ないに等しいのだが。
 耀介の職業柄、女性と出逢う機会は「多少」ある。実際に雑誌社のインタビュアーは二十代後半の女性だったりする。綺麗な女性もいる。しかし耀介は「恋愛の世界」よりは「本の世界」にいる方がずっと幸せだったりするのだ。

 ――その日の夜、耀介は久し振りに篠塚家で夕食をとることになった。茅乃が「青木賞祝いよ」と用意した料理は、篠塚家で食べてきた食事の中でもとびきり豪勢で、耀介は嬉しさで胸が一杯になった。実際に母が生きていたらこんな風に祝って貰えたのだろうか、とも考えた。あくまでも想像の域を出ない「知らない母」に対してだが。

「耀介くん、おめでとう。まあ一杯」
 絢乃の父がビールを耀介に勧める。耀介は内心「やばい、俺の肝臓!」と叫びながらも厚意には感謝してグラス持って少し傾ける。
「有難うございます。ただ、昨日飲み過ぎてしまいまして……一杯だけで勘弁して下さい」
「相変わらずよーすけちゃんはお酒弱いのね。お父さん、控え目にしてあげてよ?」
「分かっとる。ただ目出度い事なんだから」

 耀介は『篠塚家には隠し事をしない』と決めていて、自分が作家の「伊田滝登」という事も話していた。そして身分を隠して作家活動をしていることも教えているので、篠塚家は決して誰にも耀介が作家であることを言わなかった。
 菅原家と篠塚家、二つの家族だが、一つの「家庭」だと幼い頃から耀介は思っている。そんな思いを言葉に込めて出版したものが昨年ベストセラーになった。

「よーすけちゃん、お父さんは?」
「親父は今日もいませんね。多分忙しいんだと思います」
「息子の方が忙しそうだけどねー」
 絢乃がビールを飲みながら茶々を入れる。
「企業の社長さんだ、そりゃ忙しいだろう」
「このご時世ですし、忙しいのは有難いことだと思いますよ」
 自慢ではないが、耀介の父親は製薬会社の社長だ。規模はさほど大きくないが、そこそこ知名度はある方だ。そんな忙しい父親でも、大きな愛情で耀介たち兄弟を育ててくれたことに、耀介は感謝している。

『おとうさん、ぼく、おおきくなったらおとうさんをらくさせてあげたい』
 母親の顔を知らずに育った耀介は、父親が大好きだった。いつも色んな本を読み聞かせしてくれた父親は、耀介に沢山の「本の世界」を教えてくれた。兄は本に興味がなく、虫やその辺に生えている草などに興味を示していて、兄弟でもこんなに違うんだなと父親が大笑いしたことも覚えている。
『そうか耀介。ありがとうな。お母さんも喜ぶぞ』
『あのね、おとうさん』
『ん? 何だ?』
 幼い耀介は精一杯の勇気を振り絞って、父親に尋ねる。
『……おかあさんがいなくなったのは、ぼくのせいなの?』
『そんなことはない』
 父親は即答し、耀介を見る眼差しは真剣だった。母親は耀介を産んで10日で天国へ旅立った。体力的に厳しいと産科の医師に言われていたが、母親の意思は「それでも産みたい」。そう言い切って耀介を産んだと知ったのは、随分と後だった。
『お母さんは、耀介が好きだから産んだんだ』

「おとうさん……」
 その耀介の言葉を、茅乃は聞き逃さなかった。
「あら、よーすけちゃん……」
 前日からのアルコール漬けで、耀介はグラス一杯のビールでノックアウト。畳に倒れ込んで眠ってしまった。
「夢でも見ているのかしらね……辛い夢じゃないといいんだけど」
 茅乃の言葉に、絢乃は黙ってティッシュで耀介の頬に伝う涙を拭う。
「耀介も侑介ゆうすけお兄ちゃんも、きっと淋しかっただろうしね……」
 耀介が恋愛経験がないのをからかった絢乃だが、耀介の潜在意識の中に「もしかしたら耀介は母親を犠牲にして産まれた事が引っ掛かっているのかも?」と思っていた。実際、耀介は茅乃に弱い。そして茅乃を頼る耀介の姿を見て安心するのは、昔からだ。
「お母さん。お母さんが侑介お兄ちゃんも耀介も大切にしてくれたこと、ずっと耀介は感謝してると思うよ」
「そうだと嬉しいわね」
 まるで本物の母親のように、茅乃は眠っている耀介を見て微笑んだ。


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