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恋愛小説、書けません。/Lesson7:「恋愛小説を読んでみた」

 図書館は好きだ。沢山の本に囲まれている静かな空間。耀介の29年の人生の中でも1、2を争うぐらい好きな場所だ。
 本屋も好きだ。大型書店も好きだが、小学生の頃から通い詰めた古本屋には実家に帰る機会があれば顔を出す。まさに文学少年の王道を歩いて来たと言っても過言ではない。

 しかし、今日ほど本屋に行く事が憂鬱になったことはあるだろうか? いや、ない。
 この書店には各出版社の営業が出入りしている。文華社や他の出版社に出入りしている手前、普段から外出用に使用している伊達眼鏡をかけマスクを着用し、パーカにデニム、髪型も適当に仕上げて書店へと向かった。

 一階には新書がずらりと揃えられている。流石は老舗の大型書店。ベストセラーコーナーに自作品があると妙にむず痒い。店内POPには『青木賞受賞作家、伊田滝登コーナー』まで設置されていた。
 そんな青木賞受賞作家が、次回作で躓いているどころか「恋愛小説を買おうとして躊躇している」なんて誰も想像しないだろう。後ろめたい気持ちはさておき、とにかく恋愛小説だ。

 平日の本屋。田舎では人っ子一人いないこともザラだが、ここは都心。駅からも近く、ある程度の人が出入りをしている。耀介は一旦雑誌コーナーで呼吸を整えながら興味もない車の雑誌を立ち読みする振りをする。目的地まで目測で5メートル。近くて遠い場所。いつ行くか……そしてどんな顔で買えばいいのかも分からない。思考回路がどんどん混乱していき、耀介を飲み込もうとしている。

 きっと思春期の少年が成人向けの雑誌を手に取る感覚と同じなのだろう、そんな気がした。さっきから鼓動がやけに大きく耳の奥で聞こえて来たり、額に汗をかいているのも、気のせいではない。
 俺は思春期の子供じゃない! と心の中で叫ぶも、今手に取っているのは若者向けの音楽雑誌だ。これでは思春期の子供よりも意気地無しだ。
 今この場に絢乃がいたら、確実に「間抜け過ぎ!」と笑われる。というよりも、その笑い声が聞こえる気がする。嗚呼俺、女性だったら良かったのにな、などと到底無理なことまで考えてしまう。

 絢乃が言っていたベストセラーの恋愛小説を、数人の女性が立ち読みをしていく。そして殆どの女性がその本を手に取り、レジへ向かっている。それほどまでにあの本は女性に訴える「何か」があるようだ。今度はバイク雑誌を立ち読みする振りをしていた耀介が20分程観察して出した結論だった。

 いつ行くか決心がつかない。かれこれ一時間ぐらい観察していただろうか。早く行けよお前! 馬鹿野郎! いい加減不審者扱いされるぞ俺! と耀介は自分に檄を飛ばして、ようやく腹を括った。
 足が震える。いかにもなPOPにハートマークが直ぐそこまで迫って来ている。
 あと2メートル……頑張れ俺、頑張れ俺、と一生懸命自分を励ましながら、ようやく目的地に辿り着く。着いた、という安堵の感情と、これからこの恋愛小説を手に取らねばというミッションが耀介自身に重くのしかかる。
 ずらりと平積みされたそれは、女性が喜びそうな淡いピンクのカバーが施されていた。既に手が汗でびっしょりなので、デニムで掌をこすってから、恐る恐る手に取る。隣にいた社会人風の女性が一瞬こちらを見た。うわ俺不審者じゃないです! そして貴女に何も危害を加えません! それと店員さんに通報はしないで下さい! 決して怪しい者ではないんです! と完全に被害妄想な心の叫びを雰囲気だけで訴える。
 手の震えはまだ収まらない。しかし手に取らねば意味が無い。何とか手に取ったのはベストセラーコーナーに辿り着いてから5分後。既に不審者だ。早く立ち去りたい一心で、申し訳ないが最初のくだりを流し読みをする。

 ――絢乃! お前は何で俺にこれを勧めたんだ!? と耀介が本気で絶叫しそうになった。いきなりの、いや「お約束」と言ってもいいであろう濃厚なラブシーンから始まっていたのだ。
 駄目だ、眩暈がする。そうこうしている間にも、数人の女性が耀介の手の中にある本と同じものをレジへと持って行く。それだけ女性を惹き付ける「何か」――つまりその部分が耀介に足りない、と絢乃は判断したのだろう。

 作家は知っている。面識は無いが、とても有名な作家だった。確かに彼女の書く世界は女性にウケがいいと聞いたことがある。キャリアも長い。しかし恋愛小説ってこんなに凄いのか、と耀介自身カルチャーショックを受けていた。世間の女性はこういう世界を望んでいる? それとも自身を主人公に投影して? 色んな憶測はあるが、読み進めてみようと決意した。
 ベストセラーコーナーにはあと2冊、違う作家の恋愛小説が置かれていた。それは読まずに手に取る。その横には自分の作品。何とも言えない気分だ。
「すみません……これ下さい」
 この台詞を言うまでの時間、約2時間。「カバーおつけしましょうか?」の店員の声に「お願いします!」と力説したのは言うまでもない。

 たった2時間の「書店への冒険」で耀介の疲労はピークに達していた。伊達眼鏡を外し、自室のベッドに倒れ込む。
「何なんだ、あの世界は……」
 それだけ呟いて、耀介は眠りの世界へと落ちていった。
 どれだけ眠っていたのだろう? けたたましいスマートフォンの呼び出し音で目が覚める。
「もしもし……」
 耀介は普段寝起きは悪くないが、疲れのせいか非常に不機嫌な声になっていた。
『何その不機嫌な声! 私が電話して来たら迷惑なワケ!? あ、それと今日本屋行ったの?』
 絢乃だ。
 不機嫌なのはお前のせいじゃないと言いたいのだが、何分寝起きの為に頭の回転が鈍くなっている。
「お節介だな、お前。ちゃんと行ってきたし、買ってきたからそう騒ぐな」
『読んでみてどう?』
「まだ冒頭部分しか読めていな」
『何で読み終えてないの!』
 携帯越しに吠える絢乃の声が響く。頭が割れそうに痛くなったので文句が出た。
「うるさいだろう、本当に」
『はいはい、分かりました。売れ行き、凄かったでしょ?』
「ああ、2時間程観察していたが、あれは凄いな。何かの魔法かと思ったぞ」
『……2時間? あんた2時間も本屋にいたの?』
 恐らくこの幼馴染の事だ、俺が恋愛小説を買うのに躊躇した事ぐらいお見通しだろう。敢えて耀介は正直に答えてみる。
「普段ならもっと長い。今日は入手するだけで2時間だ……」
『あ、そ』
「何だ、その軽い返答は……可愛くないぞお前」
 耀介は段々苛々して来た。こういう所が可愛くないんだ昔から、と思って出た言葉がまずかった。
『……そうですか、分かりました。では可愛くない私の要望。イタリアンプラス……』

 その後の絢乃の衝撃発言に、耀介は飛び起きた。

「お前なあ! 別に俺は金持ちではないんだぞ!?」
『この間の青木賞の賞金で♪ ね!』
「絶対に買わんぞ! 今から読む!」

 耀介は半ば怒りながら電話を切った。
 冗談じゃない! 何で俺が絢乃に一流ブランドのバッグを買わねばならないのだ! 耀介はムシャクシャした気持ちで書店の紙袋を漁り、ベストセラーコーナーで大勢の女性が買って行った恋愛小説を手にした。

 ――内容は、不倫で悩む女性が生きていく様を書いたものだった。
 まず耀介の中で「不倫」が有り得ない。しかし世間にはそのような選択をする人もいるだろう。そこは否定しない。耀介自身がしないだけだ。いやその前に初恋をクリアしないと不倫もへったくれもない。初めて好きになる人に夫が居ないことを祈るばかりだ。
 描写は細かい。冒頭は濃厚なラブシーンだが、何故不倫に至ってしまったのか、そして主人公の葛藤……。追い詰めて、追い詰められてを繰り返す主人公と、不倫相手、その妻。更には主人公の過去とリンクしていて、かなり面白いと耀介は思った。ラストはハッピーエンドとは程遠かったが、読後感は悪くない。寧ろ「良い」と言える。肯定は出来なくとも、この作家の「読ませる力」は素晴らしいと拍手を送りたくなった。成程、道理で沢山の女性が購入していくはずだ。男性は敬遠しそうだが、不倫というテーマをとっぱらえは十分男性でも読み応えのある内容だ。
 しかし、耀介が必要としているものは「女性心理」や「恋愛そのもの」であって、この作品は耀介が求めている情報の二歩三歩前に進んでしまっている。

 次に手にしたのは高校生の恋愛を書いた作品。耀介にとっては「これは何か掴めるかもしれない!」と期待したのだが……。
「何でだ!?」
 耀介が叫びながら持っていた本を放り投げた。ここの所叫びっ放しの耀介なので、このマンションの防音設備に感謝するべきだろう。それ位驚き、そしておぞましいと思った。
 木下の言葉がふと蘇る。
『女子中高生の性描写も多いからね。但しこれが売れるから仕方がない』
 まさに木下の言葉に当てはまる作品だったのだ。男子校育ちの耀介にとって共学校の楽しさなどが知れたら幸いだったのだが、理解の範疇を超えていた。文法もなっていない所は大目に見たとしても……どうして簡単に「愛してる」と言えるのだ!? 何ですぐに性交渉なのだ!? 気が付けば耀介の額から首筋へと冷や汗が流れていた。
 男子校時代、クラスで目立つ連中はやれ有名女子校の子と合コンだ、などと騒いでいた。それぐらい男子校は異性と関わる機会が皆無だ。顔が整っている耀介は良く「菅原も来いよ!」と誘われたりもしたのだが「悪い、図書館に行くんだ」とお決まりのパターンで断っていた。そんな「異性と知り合うきっかけの場所にすら出向かない」男に、この小説ははっきり言って『毒』だ。それも『猛毒』。
「本当に、売れているのか……これが」
 どんな作品でも、本は粗雑に扱わない。耀介のマイルールを無視してまで放り投げて部屋の片隅に飛んで行った本を拾いながら呟く。これは読み進められない。作者には申し訳ないが、ここまでだ。捨てるのは忍びないので、古本屋にでも売ろうと思ったが、この本を古本屋で売るというのも微妙な気がした。何より恥じらいの気持ちに負けそうだが、止むを得ない。

 最後の一冊に一縷の望みを賭ける。
 帯には『片思いって楽しい! あなたに届け、純粋な恋愛ストーリー!!』と大きなフォントで書かれている。耀介も好きな作家だ。細かい文字で『発売から13年、色褪せない思い出はここにある』とも書かれている。13年前と言えば丁度耀介が高校生の頃だ。これならば読めるだろうか。
 主人公の男子高校生が他のクラスの女子生徒に片思いをした所から物語は始まっていた。文芸書と言うよりはライトノベルに近いものだろう。耀介は真剣に読み進め、気が付けば、またしても眠っていた。


Lesson8はこちらから↓

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