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父は他人だから

学生時代のことだ。
自分の大好きな人から
「自分の親を尊敬できない人は、人としてどうかと思う」
と言われた時、どんな表情をしていたのか思い出せない。

私には要介護2の父がいる。
私は父が嫌いだ。昔から嫌いだ。
The・昭和の頑固親父で、一人っ子だった私を可愛がるのではなく、暴力で支配していた。彼はそれを「しつけ」だと思い込んでいた。
「一人っ子だからって甘ったれだというレッテルを貼られないように」とは父の弁だが、何をおっしゃるうさぎさんだ。
幼い頃、全裸で何時間も放り出されたり、何度も何度もぶたれて2時間動けなかったりしたことがある。母は一度も私の味方になることはなかった。
親戚から「お義兄にいさんやめてください」と言われてもやめなかった父のことが、嫌いだった。
黒い感情をずっと持ち続け、夜中に包丁を握ったこともある。
もしかすると親殺しをしていたかもしれない。
私の理性は限界に近かった。

私は二十代で精神的な病にかかった。今もまだ薬を飲む生活を送っている。
主治医は「お父さんとの関係が大きい」と告げた。そこで父が主治医に呼び出された。父の言い分を聞いた主治医は、大変困り果てた様子で私に「親子の歯車が噛み合っていない」と言った。

私は何故かホッとした。
ここまで育ててもらった恩はある。でも割り切れない思いを抱いて生きてきた。その違和感の正体がちゃんと証明されたからだ。
それでも、苦しい。つらい。悪夢にうなされる。何故なんだと毎晩泣いていた。

その何故はきっと「褒められた事実」があったからだと思う。
小学校低学年の頃、漢字の書き取りの宿題が出された。「歩」を習い、書き取りをしていたら、机を覗いてきた父が「めちゃくちゃ綺麗な文字やな」と褒めた。
そのたった一回の「褒められた事実」がなければ、私は間違いなく犯罪者になっていただろう。

逆上がりができない。
登り棒が登れない。
足は遅い。

父はよく言っていた。
「なんで俺の子なのに出来へんねん」

今ならば「知らんがな」と言えるけれど、自尊心、自己肯定感はずっと低いままだった。
父は神童と呼ばれていたらしく、勉強もスポーツもでき、某国立大に現役合格してその後国家公務員(とある事情ですぐ辞めたのだが)になったエリートだ。そんな人と比べられても困る。
中学校が体育教育に力を入れている学校だったので、逆上がりができるようになったのも、跳び箱が跳べるようになったのも、足が速くなったのも全部自分の努力だ。父の期待に応えたいからなんて思ったことは一度もない。

私が父との関係にずっと悩んでいた時、主治医に言われた台詞がある。

「親子でも、他人だからね」

それは、血縁関係の否定ではなく、個々の人間であると教えられた瞬間だった。
言葉を額面通り受け取れば、主治医に批判が殺到するだろう。でも私はこの言葉で救われたのだ。
それ以降は父を「他人」だと思うようにした。

そして時が流れ、年老いた父はアルコール摂取過剰で脳の萎縮が激しいと病院で言われた。まだまだ働ける、とプライドの塊だった父だが、ある日倒れた。

私は夫と結婚して東京で暮らしていたが、夫婦で色々考え、実家のある奈良に帰ってきた。
一人っ子で、母との関係がある程度改善されていたので、母を助けるためだ。
正直に言えば戻りたくなかったが、家のローンがあと2年で終わるからという事情もあったので夫は転勤願いを出した。
私はいち早く奈良に戻っていて、その頃の父は自分が思うように動けないことに苛立ちを感じ、自殺企図。それを止める母と私。

「もう俺はあかんねん」

ひとの人生めちゃくちゃにしておいて、なにがあかんのじゃ!
そう言いたかったが、ぐっと堪えた。

その後、父は二度倒れた。
一回目は大腿骨骨折で片足は人工関節になり、リハビリに積極的ではなく、二度目はそのリハビリ不足から足に血栓が沢山できて手術した。
もうあの頃の血気盛んな父は、いなくなった。

トイレが間に合わないことが多くなった。
オムツを穿いていて、それでも漏らすことが増えた。
母はヒステリックに父を責めながら処理をする。この口論を聞くのが私にはストレスだ。
しかし私は「他人」なので、淡々と父にできることを指示し処理する。未だに現役の4.5キログラム二槽式洗濯機でハイター漂白をしながら洗い、トイレに飛び散った父の残骸を綺麗に拭き取る。

私がもし、ちゃんと愛されて育っていたらと考えることは少なくなった。
父は父で不器用な人だったと自分の中で結論づけたから。

本当は愛されたかったけれど。
本当は味方でいて欲しかったけれど。
その言葉を今伝えたとしても、認知機能が低下している父には伝わることはない。

介護疲れの殺人事件を見かけるたびに思う。
きっと距離が近すぎたから、お世話される方が甘えてしまったのだと。
でもお世話をしているのは愛情以外の何物でもないと私は思っている。

今なら、あの時大好きだった人に笑顔で言える気がする。
「私と父は、いい意味で他人だから、好きとか嫌いとかないんだ」と。

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