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恋愛小説、書けません。/Lesson5:「初恋、まだです」

 気が付けば、和室には西日が射し込んでいた。もうそんな時間なのか、と耀介は手早く座卓の上に広げていた「作業道具一式」、絢乃からの「ファイル」をきちんと鞄に仕舞う。そして茅乃が洗濯しアイロンもかけてくれていたワイシャツに袖を通す。

「おばさん、俺そろそろ帰ります。長居してすみませんでした」
「いいのよ。またいつでもいらっしゃい」
 丁寧に茅乃にお礼を述べて、耀介はそのまま隣にある実家へ足を運ぶ。
 父親は和を好んでいたので、平屋の日本邸宅だ。相変わらず庭師が小まめに手入れを施している庭は、生まれ育った家なのだが妙に美しく輝いて見えた。
 実家のスペアキーを取り出し、引き戸を開ける。
「ただいま……って誰もいないよな」
 耀介の言う通り、家には誰もいなかった。そのまま廊下を歩いて、この家を出るまで使っていた自分の部屋のドアを開ける。
 男家庭なので、週に二度家政婦のおばさんが来て、掃除や洗濯などをやってくれていた。今もそのおばさんが掃除をしに来ているようなので部屋はいつも綺麗に片されていた。
「文集はどこだったかな」
 耀介は本が沢山詰め込まれている書棚から、文集を探す。ある程度の本は今の住まいにも持ち込んでいるが、幼い頃に読んでいた書物や教科書類は全て実家に置いたままだった。
「あった」
 卒業アルバムと一緒に『卒業文集』を見つけ、ほっとする耀介。何故だか分からないが、卒業アルバムも鞄に放り込み、早々に実家を後にする。鞄がやたら重たく「どうしてこんなものまで持って帰って来たのだろう?」と帰りの電車で一人考え込む耀介の姿があった。

 自宅に戻り、まずは卒業アルバムを開く。写真で見る今よりもずっと幼い「小学生の耀介」は、何だかひ弱そうで活発な印象ではなかった。
「皆と外で遊んだ記憶、ないからなあ」
 いつもの独り言が飛び出す。他のクラスメイトの顔写真を見ては「ああ、こいつはあの時ドッジボールで俺をひたすら狙っていた奴だな」「そう言えば日直が一緒だったよなあ」と逐一独り言が出る。耀介の癖だ。持って帰って来た時はどうして? と思っていたがノスタルジーな気分に浸るには丁度良いものだった。恋愛とは全く無縁の代物だが。そして文集を開くと「自分の夢コーナー」というページがあった。何ページかに渡りクラスメイト全員の「夢」が載せてあり、与えられた枠内に自分の夢を書くのだが、少年・耀介はハッキリとこう書いていた。

『僕は本が好きなので、将来は本にかかわる仕事がしたいです』

 もうあれから二十年近くが経つ。夢は叶った。そして夢を生業にしている。しかし、自分が「恋愛未経験」で恋愛小説に躓いているなんて想像だにしていなかっただろう。少年・耀介は「本そのものが好きな子」だったが、まさか29歳まで「その類に疎い」とは思っていなかっただろうな、と肩を落とす。
 少年・耀介は口を真一文字に閉じた顔で、耀介を見つめていた。

「菅原くん、どうだい?」
「はあ……それが設定段階からつまづいています」
 文華社の第二応接室、二人の男が次回作についての打ち合わせ中だ。普段は担当編集が付くものだが、今回は青木賞受賞後第一作と言うこともあり、木下曰く「普段の仕事は放り投げてでも」と耀介についてくれている。育ててくれた恩を仇で返す訳にはいかない。ここは耀介も慎重になる。「書きたいもの」だけではない「売れる作品」を編集と二人三脚で創り上げていかねばならないのだ。

「菅原くんなら彼女ぐらいいても可笑しくないだろう?」
「……そう、見えますか?」
 耀介は内心「この展開はまずい」と思っていた。木下とは幾度か恋愛話になったことはあるが、木下の『青春トーク』を耀介が聞き手に回って、となるべく自分の話はしないようにしていたからだ。自分の話は十秒もかからずに終わってしまう。
「そりゃあそうだろう、身長も私より高いし、顔だって整っている。女性が放って置く訳ないじゃないか」
「そんなものでしょうか」
「身分を隠していても、君は女性に不自由しなさそうだよ?」
 そんな事ないです、寧ろ興味が無いんです。構ってくる異性は幼馴染一人だけです、とも言い辛く引き攣り笑いを浮かべながらコーヒーを飲む。

「最近の若い世代は、恋愛すらもコンビニ感覚だ」
「……と申しますと?」
 木下の発言が妙に引っ掛かり、耀介は思わず身を乗り出す。時々木下の口から零れる一言が作品のアイディアに繋がることもあるので、聞く姿勢を取った。
「ウチの会社だって、ライトノベルも手掛けている。正直文華社ウチの編集部は作品を否定こそしないものの、恋愛を軽んじているストーリーが多いのではと危機感を抱いているよ。女子中高生の性描写も多いからね。但しこれが売れるから仕方がない。それを読んだ若い世代が手軽に恋愛やセックスを考えるのは如何なものかと思ってね。その手軽さを『コンビニ』と表したまでだよ」
 確かに木下の言う通り、絢乃がスクラップしてくれたファイルにも、初体験の年齢がいくつだ、どこでどうHをしたか――という、耀介からは到底考えられない世界が読者の本音として語られていたので、これは木下に同意する形で頷く。
「本と言うのは社会的影響も与えかねない存在だからね。もっとも今じゃ異世界ものや悪役令嬢ものが増えたけれど、過去にヒットした携帯小説やウェブ小説には性描写が多い傾向がある。純文学の性描写それとはまた違うものだ。端的に言うと『安直』だと私は思うわけだよ」
「そうですね。ただ僕が性描写を書くとしても……受けは良くないでしょうね」
 経験がないので書きようがない。純文学の性描写すらなるべく避けてきた人間だ。大切な表現であることは分かるが、筆が乗らないだろう。想像で書いたとしても、正直学生時代の性教育の時間は居眠りをしていた位だ。いっそ保健体育の教科書を参考文献にするか? と耀介は自虐的な笑いを心の中で噛み殺していた。
「でも菅原くんなら女性を大切にしそうだし、作品の繊細さから考えても性描写が出てきても、嫌悪の対象にはならないと思うよ。それでプロットはどのくらい進んでいるのかな?」

 ――本題が来た。耀介は小声で答えた。

「書けていません……」
「謙遜しなくてもいいんだよ。いつも通りのスタンスでやっていけばいいんだから」
 木下は耀介が受賞しても「変わらない人物」だと思っている。現に天狗になる事もなければ、常に低姿勢だ。色んな作家がいる中で耀介の存在は「若い世代の光」だとも思っている。
「いえ、本当に書けていないんです……」
 耀介の声は弱々しい。木下はそこで地雷を踏んだ。
「今までの彼女とのエピソードぐらいは書いたりしているんだろう?」

 その言葉で耀介の心の何かが弾け飛び、思わず叫んでいた。

「僕、初恋すらまだなんです! 彼女なんて今まで一度もいたことがありません! 恋愛が分からないんです!」

 応接室に、妙な空気が漂う。
 木下は唖然とした表情でただただ耀介を見つめるばかりだった。


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