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いわゆる「レギュラー」ではない選手に思いを馳せる。


熱い熱い甲子園が始まって

それこそ
「熱戦」を
毎日
楽しませてもらってる。


グラウンドで
打って投げて守って走って

選手の皆さんの汗、笑顔、涙。

眩しい。
輝きまくってる。


しかし

私が
どうしても
想いを馳せるのは



試合に出られない
部員の皆さん。



ベンチ入りしてるが
スタメンではなく
大声で声援を送る選手たち。


ベンチ入りできるなら
よいが


スタンドで応援する
ユニフォーム姿の野球部員の皆さん。

怪我をしてしまった選手もいるだろうし


そもそも
ユニフォームを着れない選手だって
沢山いらっしゃるだろう。





今年が
最後の夏であっても。



彼らは
スタンドから
声援を送る。




どんなにか
試合に出たかっただろう
ベンチに入りたかっただろう。





マネージャーとして
記録員として
ベンチに入ってる人たちもだ。




故郷福井の代表
敦賀気比高校の1回戦。


対戦校の高岡商業。
記録員から
選手への手紙を
実況のアナウンサーが
代読していた。

その手紙に

「甲子園でスコアをつける
 という夢を叶えてくれてありがとう」
という
一文があった。




その記録員は
今年の春
「選手」としてではなく
「記録員」としてやっていこう

野球のプレイヤーを「やめる」
決断をしたそうだ。




「甲子園でスコアをつける夢」


「甲子園で 
 「スコアをつける」夢」




「甲子園で
「スコアをつける」夢」…


この一言が
私の
頭の中
何度も何度もリフレインして。



なんという
健気さ…。

そして
自分の夢を
そこに切り替えるまで
どんなに悔しい思いをしはったのか。


その一言が
言えるまで

どれほど枕を
濡らしたのか。



勝手にではあるが
想像し

記録員の彼の
強さ
尊さに
泣かずにはいられなかった。



とてもとても切なかった。






いわゆる
「控え」の選手に
いつもいつも
強い
共感を覚えるのには


私の
中学時代の部活動。


切ない
苦しい思い出が非常に関係している。


ズバリ。

私も
レギュラーはおろか

ユニフォームも
もらえなかった。


バレーボールは
ご存知
六人がスタメン。

Aチームがスタメン。
Bチームがベンチスタート。
両チームあわせて
12人。

ユニフォームは
きっかり
12番まで。


私は
13番目の選手だった。



甲子園を見るたび
試合の感動とは
また別に


キラキラのスター達の影で
歯を食いしばる
控えと呼ばれる
選手たちを思い


チクッとその切なさが
蘇る。






ていうかさー


今思っても
中2の
バレーボール部の私

ほんまに
可哀想やったんですわ〜😭



なぜか!!!!!


可哀想すぎる
ユニフォームをめぐる
悲劇が
次々と!!!

イタイケな
中2女子をおそい💦



ていうかさー

ユニフォーム
もう一着くらい
作ってくれてもええんちゃう??😭


「背番号13番のユニフォーム」

なんか
ノンフィクションの
小見出しみたいなさ。



とにかく
ユニフォーム
着たかったわ〜〜〜〜!!!涙




13番目の部員になるまで。

なった後の辛さ。

それでも
三年生が引退するまで
やめずに頑張った。


そんなことを
また
書きたいな……


泥まみれの
高校球児のユニフォームを
見ながら
そう思っております。












#甲子園
#ユニフォーム
#控え選手
#バレーボール
#部活
#エッセイ








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