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書籍【クリティカル・ビジネス・パラダイム】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/B0CZCYF62N

◎タイトル:クリティカル・ビジネス・パラダイム:社会運動とビジネスの交わるところ
◎著者:山口周
◎出版社:プレジデント社


独立研究家である山口周氏の著作は数冊読んでいるが、それぞれの書で思考が確実に進化しているのが面白い。
当然時代が変化しているのだから、各年代を追うごとに、考え方が変化しているのは納得だ。
考え方が変化していく度に「なるほどな」と感じるものが多い。
本書は「クリティカル・ビジネス」が主題であるが、これだけでは言葉の意味が分かりづらい。
儲け主義ではなく、社会的に意味がある事業という意味では「ソーシャル・ビジネス」でよいと思うのだが、それではなぜ敢えて「クリティカル・ビジネス」と区別するのか。
解説は本書内に出てくるのだが、スタート時点の考え方が異なるから、ということらしい。
「ソーシャル・ビジネス」も「クリティカル・ビジネス」社会批判・社会運動としての側面を強く持つビジネスのことを指しているのは同様だ。
しかし「クリティカル・ビジネス」については、事業開始時点では必ずしもコンセンサスの取れていない事象について「これは大きな課題ではないか?」という問題提起を行うことからスタートする点が大きな違いだということになっている。
確かに「ソーシャル・ビジネス」については、利益至上主義とは逆になるかもしれないが、「これは社会にとって必要なことだよね」という共通概念が最初から成立している。
「クリティカル・ビジネス」については、その共通概念が実は成立していない。
分かりやすく言えば、そこにはそもそも「顧客のニーズ」が存在していない。
需要がないのに、供給しようとするのだから、そこは一歩間違うと企業側の傲慢さに見える訳だし、過剰な在庫を抱えてしまって、結果的に社会的にも無駄なことを行ってしまったということにもなりかねない。
ニーズが存在しないにも関わらず、社会にとって絶対に必要だろうと言い切れるかどうか。
創業者のどうにも止められない情熱や使命感が、周囲の反対を押し切って「やるしかない」と言って突き進んでいるようなイメージだ。
一歩間違うと、ただの独りよがりになってしまうかもしれないが、実際に世界を変える出来事というのは、実はたった1人の思い込みから始まることがほとんどだと言える。
どうしようもない使命感に駆られて突き進んだ結果が「クリティカル・ビジネス」になっていた、ということかと思うが、今の時代は、決してそのやり方が少数派ではなく、全体もそれらの方向に「パラダイムシフト」していることが特長だということが言えるのはないだろうか。
この流れも、著者がいきなり主張している話ではなく、実は前々から布石があったように感じられる。
文脈的に考えれば、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?が根底にある気がするし、著者は数年前から、「役に立つ」から「意味がある」に価値がシフトしていると説いていたが、その延長線上の考え方が「クリティカル・ビジネス」であるとも言える。
まず間違いないのは、今の社会に溢れている製品群は、すでにそれぞれ高品質であるし、機能的には十分であるということだ。
スマホは、2〜3世代前のものを使用していても、日常生活で不便になることはほとんどないだろう。
家にある家電製品は、メーカーによる機能差はほとんど感じられないし、これ以上の高機能を求める必要性もないと言える。
電子レンジだって湯沸し器だってガスコンロだって、これ以上高機能になることで、大きく生活が変化するとは到底思えない。
そういう機能や品質などで差がなくなったコモディティ化した状態で、消費者は何を「差」と感じて購入に踏み切るのか。
一体、何を価値と感じ取って、そこにお金を支払うのか。
企業の側はこの状況を受け止めて、相当真剣に考える必要があると思うのだ。
「役に立つより意味がある」の話の時には、「なぜ不便な薪暖炉がブームなのか?」や「公道を爆走できない数億円するフェラーリがなぜ売れるのか?」について、事例として紹介されていた。
「寒いから暖かくする」という目的であれば、わざわざ薪暖炉にする必要がない。
そこには「部屋を暖かくする」という目的以外の目的が明確に存在している。
フェラーリをわざわざ購入する理由も同様だ。
今後はその「意味」についても、さらに洗練されていくだろう。
個人的な欲求を満たすだけではなく、社会にとって、地球にとって本当に意味があるのか。
そんな壮大な思考を、各個人が持つようになっていく社会の流れがある中で、企業はどんな意味を消費者に提供していけるのか。
IKEA社の「ThisAbles」活動についても取り上げられていたが、これこそが「役に立つより意味がある」の考え方から、「クリティカル・ビジネス」に発展している文脈の話だと感じた。
IKEA社自体がどこまで意識をして活動しているのかは不明だが、こういう思考が各企業ともに間違いなく必要になっている。
今まで「社会を変えよう」と思った時は、国会前でデモ行進したり、それこそ政治参画しようとした。
その活動を否定する訳ではないが、今後はビジネスの側面から社会を変えようという力が牽引していく時代なのかもしれない。
課題が複雑化して、さらに国家をまたがって影響し合う状況の中では、国民国家の単位での活動だけではなく、企業がグローバルな活動の中で実行した方が影響力が大きくなるからに他ならない。
社会を変えるために、その活動を掲げている政治家に投票していたのだが、「クリティカル・ビジネス」の時代は、「購入」という行為がまさに「投票」そのものになる。
この考え方には非常に共感できる。
つまり、企業の経営理念、ミッション、バリューが、顧客の賛同を得るものでなければ、その企業の製品が購入(=投票)されなくなるということなのだ。
本書内で「The Body Shop」(1976年創業)の事例が出ていたが、非常に考えさせられた。
当時「当社の製品は動物実験を行いません」ということを掲げて自社製品の品質をアピールしたのだが、結果的に消費者に対して「他社製品は動物実験をしているのか?」という印象を植え付けることに繋がったのだという。
当然、他社は「動物実験を行っている」なんて、わざわざ明言しているはずがない。
しかし、「当社はしていない」ということが、結果的に「他社は行っている」という印象を植え付けた。
このしたたかな戦略は大きな意味があると、本当に考えさせられた。
相手を貶める意図はなかったかもしれないが、The Body Shopの製品を購入する消費者は、少なくともThe Body Shopの理念に賛同して、その考え方に一票を投票していることに他ならない。
今後の企業活動は「共感」をどう作っていくのかが重要と言うが、これこそまさに企業の活動に賛同して一票を投じることに繋がっている。
利益が出るかどうかは見えていなくても、社会にとって大切なことを誠実に行っていく。
そうすると逆説的ではあるが、利益は後から確実についてくる、ということなのだ。
ビジネスの発想を根本的に変える必要性がある。
それをできるかどうかで、今後の企業の生き残り戦略は大きく変わってくる。
「クリティカル・ビジネス・パラダイム」はかなり深い話だ。
社会は間違いなくこの方向に向かっている。
社内でも色々と議論していきたいと思った。
(2024/5/26日)


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