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【No.4】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語

翌日、学校で授業が始まる前に俺は新木の席に向った。
新木は女子にも人気で、新木の席の周りには女友達が数名囲んで楽しく喋っていた。
そのうちの一人が俺を見るなり怖がり、次の瞬間、周りにいた女子はサーっとそこから立ち去って少し離れた場所から新木と俺を見ていた。

新木『おはよう、小川君』
笑顔の、そしていきなりの素晴らしい挨拶をされる事など俺にとっては経験のない事で、一瞬戸惑ってしまった。
コイツは本当に育ちのいいやつだ。
俺『…あ、あ、あ?』
俺『ああ、そうか。うん。おはよう』
新木はクスクスと笑っていた。
俺『何がおかしいんだよ?』
新木『ごめんごめん。なんか、一瞬昔の小川君みたいだったから』
俺『なんだそれ?』
新木『別になんでもないけど』
俺『けど?』
新木『ん~ん。で、何の用?』

しまった!!
今のこのやり取りで俺は新木にいう事をど忘れしてしまったのだ。
本当は選手に選んでくれた事に対して礼を言いたかったのに…
俺『あ、いや…なんだっけな?』
新木『練習時間のこと?』
練習時間って何よと思いながら俺は何を話すかを思い出そうと必死でこう言ってしまった。
俺『…ああ』
新木『練習出てくれるんだ! よかったぁ。』
内心、いや、違う、そうじゃないと思っていたが…
新木『今日の放課後から毎日ね』
俺『毎日!?』
新木『名簿に入れておくね』
俺『お、お、おい、いや、あのな…』

♪キーンコーンカーンコーン♪
授業開始のベルが鳴った。
新木『早く席に付かないとまた先生に怒られるよ』


どうしようもないわけの分からない会話だった。
練習? はぁ? めんどくせぇことになってしまった。

俺の席は一番右端の窓側で、一番後ろの席だった。
教師から見放されていた俺は、こんな席にいた。
毎日毎日、来る日も来るも、外の景色を眺めては色々と考える時間が授業時間だった。

だが、その日は外を見ないで何故か一日中新木めぐみを見ていた。
新木は俺と反対側の左端の前から2番目の席にいた。
距離があったし、見ててもだれもわからんだろうと思い、ず~っと見ていた。
何と言っても、俺の初恋の子である。
見てたって別に良いじゃないか。
見ていて思ったことはいっぱいあった。

○あいつは一体何を考えているんだ?
○横から見てもかわいいな。
○しかし、授業態度真面目だな。
○授業中鉛筆持ったままだな。
○黒板に出て答え書いてるよ、X=2y…それ意味分かって書いてるんだろうな?
○正解かよ!

休み時間もボーっと新木を見ていた。
彼女の周りにはすぐに女子が集まって楽しく話をしている。その笑顔を見てると、なんだか俺まで心が洗われる様な気がしていた。

その時だった。
俺を自分のチームに入れたい不良グループの頭、茂野がいきなり俺の胸座を掴んでこういった。
茂野『小川、おめぇ、新木好きなんだろ?』
一瞬カチンときて答え返す。
俺『だとしたら、何?』
茂野『おめぇ新木から選手を推薦されたからって調子に乗ってんじゃねぇぞ』
俺『誰に対して調子に乗ってんだ? おめぇか?』
茂野『てめぇ…』

俺の視野に新木が入った。
新木は怖そうにしていたが、俺のことを見ていた。
茂野『まぁ、おめぇの惨敗を笑ってやるよ。この学校に来れなくなる位にな』
俺『あっそ。適当に笑っとけよ』

茂野一派はその場から消えていった。

俺は席に座り、一瞬新木と目が合ったが、逆を向き、外の景色を見ていた。
その日の放課後、水泳の練習に向った。

練習?
いや、違う。
俺は『水の声』が聞こえることを願い、プールに来たのだ。

練習は既に始まっていた。
新木もいた。俺を見るなり近寄ってきて俺にこういった。
新木『さっきは大丈夫だった?何言われたの?』
俺『おめぇには関係ねぇよ』
新木『本当?』
俺『ああ。』
新木『あたしが小川君を推薦したせい?』
俺『だから、おめぇは関係ねぇんだよ!』
よくわからなかったけど、ある種の不安と恐怖が俺をいきり立たせていた。

そのままシャワーを浴び、消毒液に入り、プールに入る為に軽い準備体操をしていた。

実に3年ぶりに本格的に泳ぐ。
プールには夏の日差しが移り、他の選手達が泳いで練習をしていた。
俺の姿を見るなり、さっと目を合わせないようにと逃げるやつと俺を見続けるヤツと2種類いた。

前者は、俺の学校での不良三昧を知っているだけの俺の過去を知らない連中。
後者は、俺の水泳の過去を知っているヤツ。
わかっていた事だが、小学校時代の俺を知っているやつがいた。

この時、俺は既に飛び込みはできる様になっていた。
小学6年の時の水泳の授業で教わっていたからだ。
検定試験を受けた時のように馬鹿にされる事はなくなっていた。

だが、最初に俺は飛び込まずにそのまま水に入った。
そう。『水の声』が聞こえるだろうかという心配があったからだ。
それを確認したかったのだ。

水を入れたばかりだったのだろう。
暑い日差しにもかかわらず、震えそうなくらいに冷たい新しい水だった。

次の瞬間、一旦潜ってみた。
懐かしい静寂だ。
最高の静寂。
そうだ、俺の今にはこの静寂がないのだ。
いつもせわしなく突き進む時間と空間の間に静寂は存在しないのだ。
時にその静寂を求めていた自分をこの時はっきりと確信した。
静寂があるのは、水の中のみ。
俺は静寂を欲しがっている。
この静寂に包まれていたい。


その時だ!!
『水冷たいよね』
水の声だ!
『新しい水だからね』
あの頃よりはっきりと聞こえるあの水の声だ。
懐かしくもあり、嬉しくもあり、それは心の中に聞こえてくる天女の声だった。
だが俺は言ってやった。
俺『なんで今の今まで語りかけてくれなかったんだ?』
水の声は俺の言葉を無視するように言う。
『ね、泳いでよ』
俺『…。』

俺は従う事にした。
また聞こえなくなるのが嫌だったからだ。
すぐさま上に上がり、酸素を肺に注ぎ、直後、すぐさま潜り、あの時と同じように泳ぎ出した。


後ろの壁を蹴り、最下位部を泳ぎ、そのまま静寂に身を包み、水の声が聞こえてくるのを待つようにした。
しかし、3年のブランクとタバコのせいで俺は息がもたなくなり、水の声が聞こえる前に水面に顔を出してしまった。

だが、クロールだけは健在だった。
体が覚えていた。水しぶきを抑えた俺流のクロールをした。その瞬間
『あ、タバコ吸ってたな』
水の声だ。
俺『昨日やめたよ』
『右の人が泳いだ後の波が来るよ、少しだけ体を左に傾けて』
指示だ!
俺はこれを欲しがっていた。
水の声に従い、ほんの少し左に体を傾け、波を避けた。
『もうすぐ25メートル 水中ターンのタイミング』
『…今よ』
そのまま水中ターンをして、思い切り壁を蹴れる場所にいた事を知った。
自分ひとりではこのタイミングと場所を判別できないでいたから、最高に前へと突き進めた。

『隣の人の波があるからまだ上に出てはダメ』
『もう少し…』
『大丈夫? 苦しくない?』

『…手のひらを少し上に向けてゆっくり上がって』
俺は水の声を信じ、水面に出た。
『左か…』
水の声が聞こえた瞬間だった。
『小川君頑張って!』という声が聞こえた。
あれは多分、新木の声だっただろう。
普通に考えればありがたい事なのだが、そのおかげで水の声が聞き取りにくくなってしまった。
次の瞬間、左側から波が来て体にぶつかり、一瞬体勢を崩し、速度を落としてしまった。
『大丈夫 そのまま』
それでも尚、水の声は指示してきた。
『一気に進んで』
そのまま突き進んだ。
俺は嬉しくて嬉しくてたまらなく、そして3年ぶりの泳ぎに自分でも少し納得をしながら50メートルを泳ぎきった。
水面から顔を出した瞬間、息が持たなくなり、ゼーゼー言ってしまった。
やはり3年のブランクとタバコはそう簡単には消せないものだった。
息苦しかったが、俺はもう一度その場で潜った。
水の声にありがとうを言いたかった。

俺『ありがとうな』
『いえいえ どういたしまして』

水の声が初めて俺の言葉に答えてくれた瞬間だった。
水面に顔を出し、またゼーゼー言いながらも、嬉しくてたまらない俺はその場で笑顔でガッツポーズをしてしまう。
恥じらいも何もない、恐らくは小さな子供が喜ぶようにしていただろうと思う。


どのくらいの秒数で50メートルを泳いだのかなど、俺には知る由もなかった。
過去の俺を知らない人たちは呆気にとられていた。
過去の俺を知っている水泳部員やその他の人たちは腕を組み少し睨む様に俺を見ていた。

荒木『やっぱり小川君凄い!』
新木が俺に言ってきた。
新木『小川君、凄く綺麗な泳ぎだよね。よかった。』
俺『…そうか』
新木『また最後に潜って、その後凄く喜んでいたけど、あれ何?』
俺『…』
新木『4年の時は悲しそうな顔で、今日は喜んで…』
俺『別に…じゃ、俺帰るから』
新木『え?』

俺にとって練習などどうでも良かった。
そうだ。俺にはまたあの『水の声』が聞こえるようになっていたからだ。
昔以上に、それははっきり聞こえていた。

俺は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
笑顔でいたい気持ちもあったが、学校での俺のある意味どうでもいい不良のイメージを大切にして、俺はクールにプールから出てから喜ぼうと思った。
帰ろうとした俺に声を掛けてきた男がいた。
鈴木龍平。小学校の時の水泳部のエースだった。
鈴木は小学6年の時に自由形の選手で東北大会に出て小学6年の部で1位で優勝。そのまま全国大会にまで行ったが、惜しくも4位だった。
そう、去年の全国の小学6年生で4番目に自由形が早いヤツだった。
地元新聞にも載った鈴木は学校では有名人だった。

鈴木『小川…』
俺『ん?』
鈴木『なんであんなに早く泳げるんだ?』
俺『お前の方が早いよ、有名人』
鈴木『どうかな?』
俺『ま、大会当日』
鈴木『今は?』
俺『は?』
鈴木『お前が検定を受けたとき、俺はお前よりタイムは遅いんだ』
俺『嘘付け』
鈴木『あの時のお前が俺の目標だった』
俺『あのぉ、目標が小さくないですかぁ?』
鈴木『俺と勝負してくれないかな?』
俺『…』

全国4位の男からのいきなりの申し込み。
正直面倒くさいと思った。
一回泳いでゼーゼー言ってたし。

でも、少し心のどこかで思っていた。
俺は本当に早いのか?
どれほどの実力なのか?
全国で4番目に早いヤツと何の経歴も無い俺…

俺『いいよ。』
そう思ったら、自分を試したくなった。
ただし、このタバコで汚れた肺の収まりを落ち着いてからという条件と、鈴木が泳いだ後の波を避けたいために1コースの間をおいて…という条件をつけた。
鈴木は快く了承してくれた。

つづく

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