見出し画像

【No.2】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語

小学校生活

俺にとって学校は遊びに行く場所に過ぎなかった。
勉強はできない人。
落ちこぼれ中の落ちこぼれ。
テストで30点行けば良い方の本当の落ちこぼれだった。
故に、クラスでもそんなに目立つわけでもなく、かといって人気者でもない、ごくごく普通の小学生だった。

好きな子?
いたけど、こんな落ちこぼれにとっては雲の上の存在だった。
とにかく毎日が同じことの繰り返しで、これが後何年続くんだろうと毎日毎日どこかで何かが変わることを期待していた。

2学期が始まって、クラスで最初に持ち上がった話題は以外にも俺のことだった。
そう。水泳の検定試験の事だったのだ。
あの日以来、俺は水泳ができるやつだと言うことが学校中に知れ渡り、それは職員室でも話題になっていたらしい。
悪仲間が俺に言った。
友人『小川、お前水泳部ぶッちぎって勝ったらしいじゃんかよ。水泳部、お前の事何かと目の敵に話してたぞ…』
俺『あっそ。興味ねぇよ。』
友人『水泳部に入るのか?』
俺『興味ねぇ。』
友人『だろうな。今日ゲーセンに遊びに行かねぇか』
俺『お、いいな。行くか』

この小学生時代からこんな感じの馬鹿だった訳である。
2学期の初日は午前中で終わる。
夏休みボケがあるこの時期にゲーセンはもってこいの遊びだった。

しかし、この日の帰る間際、水泳部顧問が俺を放送で呼び出した。
『4年6組 小川純 今すぐ職員室に来なさい』
逃げようと思ったが、俺はしぶしぶ職員室に行った。
不良小学生にとって、職員室ほど行きたくない場所はない。それは小・中・高、どの年代でも同じだろう。
ってか、呼び出すんじゃなくてお前が来いよな…と思いながら、行きたくもない職員室に行った。

水泳部顧問、渡部敦(わたなべあつし)。
その名の如く、水泳に関して暑苦しい熱い男であるが、とにかく厳しい教師だった。
その為か、俺の通う小学校は水泳は本当に強かった。
東北大会に毎年出ているようなある意味では本物の『強豪チーム』の一つで、新聞にも出るほどだった。

渡部『おお、小川、帰る所すまんな』
俺『はぁ…』
渡部『お前どこで水泳習った? スイミングスクールとか行ってるのか?』
俺『んなとこ通える程裕福な家じゃないですから…』
渡部『んじゃ、どこで学んだ?』
俺『…この学校』
渡部『そうか…あのな、水泳部入れ』

やっぱりそうだと思っていた。
俺『嫌だ』

俺は本当に嫌だと思った。
元々集団行動は嫌だし、あの時の天狗になってる水泳部連中の心無い言葉が俺には嫌でたまらなかった。

渡部『なんでだ? お前ほどの実力ならすぐに選手だぞ』

俺はそんなものになど一切興味がなかった。
何より、それに時間を費やす事が嫌だった。
普通に考えれば選手になれるからなどといわれれば、そのまま入部するのだろう。
だが、俺はそこに時間を費やすのなら、友人達と馬鹿やって『今』しかできないことをしたかった。
俺には愛すべき仲間がいた。
いわゆる親友というものだ。

俺は逆に聞き返した
俺『あの、水の声って聞こえます?』
渡部『それは何だ?』
俺『そうですよね。わからないですよね…』
渡部『…何の話だ?』

少し間が開いて、少し沈黙が続いた。
俺『帰ります』
渡部『いや、ちょっと待て』
俺『水泳は好きだけど、選手とかそういうもの興味ないですから』
職員室を出る際、渡部が言った。

渡部『小川! お前、自分の力信じてみろよ。』

一瞬俺は立ち止まったが返事をせず、そのまま職員室を出た。
教師が偉そうにと思っていた。
俺は渡部の言葉が少し心に残ったまま、家路に着いた。

家に着いたその瞬間、友人から電話が鳴った。
友人『小川、悪ぃ。今日遊びいけなくなっちまった。家の仕事の手伝い入っちまってよ…』

この友人、名前は中田勇次。
酒屋の一人息子で、帰れば家の手伝いがあるのが日常茶飯事の忙しいやつだった。

俺『いいよ、また今度行こうな』
中田『悪ぃな、また明日学校でな』
俺『おう。ガンバレや』
中田『へぃへぃ』
…大変だな。

………

さっきの渡部が言ってた言葉、何でこんなにも心に残るんだ?

その時に親父がちょうど帰ってきた。
俺の親父も中田と同じように自営業でハチミツを売っていた。
いわゆる養蜂業というヤツだった。
外国物が輸入されるまでは家も良い暮らしができるほどだったが、輸入物に対抗すべく、親父も必死になって働いていた。

俺は親父に相談した。
俺『親父、水泳部に入れって言われた』
親父『…お前がか?』
俺『うん。』
親父『やれよ』
俺『え?』
親父『何もしねぇでいるよりは良いだろうが』

それだけ言って、また仕事に出てしまった。


俺はどうしていいか分からなくなっていた。
小学生の分際で不良を気取り、教師にも見放されていた自分が、その教師から誘われたわけである。
今考えても、正直に信じられないでいる過去の出来事だ。

それと、そういった団体に所属する『勇気』がいまいちなかったのも事実だ。

俺はこの日、色んな事を考えた。


次の日、学校の授業で今年最後のプールの授業があった。
最後という事もあり、自由行動の時間だった。

俺はその自由行動の最中、友人達とプールサイドで遊んでいた。
授業時間が残り半分となった頃、俺は最後に一泳ぎしようと思い、プールに入った。

友人達は何故か、俺に注目していた。
当たり前である。『検定』のバッジをしている帰宅部員だったからだ。
皆、俺が一体どんな泳ぎをするのか興味深々だったのだろう。

少し周りがざわつく。
俺は泳ぐ事がこんなにも辛い事だと感じたことはなかった。
人に期待され、注目されながら泳ぐ事は、それまでに感じたことのない過酷に長い時間に思えた。
どうしていいか分からない時、まさにその瞬間だった。

『早く泳げよ』
誰かが言った。
『そうだ、早く泳いでみろよ、水泳部に勝ったんだろ?』
周りはやんややんや騒ぐ。

俺はとんでもない場所にいてしまった事をこの時初めて知った。
そうだ。俺は水泳部を負かしてしまった帰宅部員。
何の取り柄もなければ、それまでクラスにいるかいなか…どうでもいいような存在だった俺が、今皆の目に映っているのだ。

友人の中田は俺に目で『やめとけ』とサインを送ってくれた。
中田の目だけが俺にとっての救いだった。

中田のサインを見た瞬間に俺はニコッと笑みを浮かべ、そのままプールに潜り、壁を蹴って、最下位部を真っ直ぐに泳ぎ出した。

やはり、水の中は静寂に包まれていた。
本当に綺麗な静寂で、上のやんややっていた声がまるでなかったかのように、それは俺を包み込んでくれた。
俺は水の声を待っていた。

しかし、いつまで待っても水の声は聞こえてこない。
夏休み中にあれだけ聞こえていた水の声は俺に語りかけてくれないのだ。

俺はそのまま水面に出て夏休み中に改良したクロールをやった。
自分でも分かる速いスピードであっという間に25メートルを泳ぎ、そのまま水中ターンでまた泳ぎ出した。
その間も水の声を探る。
しかし、いつになっても聞こえてこない。

『何故だ? なんで聞こえてこないんだ?』

50メートル地点で水中ターン。

75メートル地点で水中ターン。

…俺はあっという間に100メートルを泳ぎきり、そのまま水面に顔を出した。

周りなんかどうでもよかった。

もう一度水中に潜る。
泳がないで、そのままじっとしていた。
100メートルを泳ぎきった後の疲れた体と酸素を欲しがる肺を無視し、そのままじっと水中に潜り水の声を待った。

自分から語りかけもしていた。

しかし、水の声は一切聞こえることはなかった。


再度水面に顔を出した時、周りは呆気にとられていた。
当時の小学4年生で一気に100メートルを泳ぐやつなど稀だったからだ。

そして、泳ぎきった後でもう一度潜った事が何とも奇妙に思えたのであろう。
誰一人、俺に何も言うやつはいなかった。そのまま、何もなかったかのように俺から目をそむけた。

俺はといえば、水の声が聞こえないことに愕然としていた。
『あの声が聞こえない…』

言いようのない気持ちが俺を包み込む。
それは絶望にも似た感覚だった。
今まで自分を見守っていて、応援してくれたあの『水の声』が聞こえない、聞けないのだ。
小学生の自分には、その寂しさだけが残った…
小学校4年の夏はこうして幕を閉じた。

水の声が聞こえなくなった俺は、水泳に対し良い印象を持たなくなってしまった。
当たり前だ。泳いで好成績を残すためではなく、あの天女のような声を聞くために泳いでいたからだ。

俺は水泳をする目的を失ったのだ。
水に入る事に何の意味もなくなってしまった。

自分がわからなくなったのもこの頃だった。
俺が聞いていたあの声は一体なんだったのか?
俺にしか聞こえない水の神様の声だと思っていたその声が一切聞こえなくなった事を素直に受け入れる事ができなかった。
どう理解して良いのか、誰にも相談する事もできずにいた。


月日は流れ、次の年の夏もその次の年の夏もプールに入っても水の声は俺には聞こえなかった。
その間、水泳部顧問が何度も俺を水泳部に誘った。
しかし俺は断り続けた。
挙句の果てには家にまで来た。
親は俺の意見を尊重し、丁重に断ってくれた。
親に対し何か申し訳ない思いもあったが、俺は結局小学校で水泳部には入らなかった。

水泳から身を引こうと思っていたのだ。
別に選手でもなんでもない俺がこういう思いになること事態おかしな話だが…


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?