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【最終回】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語【拡大版】

2008年 7月(最終章)

2008年7月。
俺が水泳から身を引いてから実に20年が経過しようとしていた。

7月21日
この日の新聞記事の地方版にある人が亡くなったことが記載されていた。
その人とは『清水永吉』。
そう。清水式泳法を編み出し、坂本久美子に教えたあの清水のオッサンの訃報の記事だった。
水泳に身を置いてオリンピックの選手を輩出したオッサンの記事が載せられていたが、そこに坂本久美子の文字はなかった。
水泳の普及活動の事が多く書いてあった。
記事を読み終えるなり、俺は深い悲しみと、清水式泳法を受け継いだ継承者としての、ある種の責任を感じていた。


7月22日
この日は娘の6歳の誕生日だった。
嫁は二人目をおなかに身ごもっていてつわりが酷く、しょうがないから娘と二人で遊びに行く事にした。
娘のリクエストは『プール』だった。
前日の清水のオッサンの訃報が一瞬思い浮かんでしまったが、プールに行く事にした。
夏休みという事もあり、子供が多く、娘と一緒に流れるプールで遊んでいた。

娘は大はしゃぎで楽しんでいた。
俺も水泳ではなく水遊びを思いっきり楽しんでいた。
プールの休憩時間があり、ついでに昼食を食べるために場内の軽食コーナーで娘と昼食を食べていた時、娘がこんな事を言ってきたのだ。

娘『バァバ(おばあちゃんの事)から聞いたんだけど、パパって昔水泳早かったんだって?』
俺『うん。良く知ってるね。そうだよ。早かったよ。』
娘『パパに泳ぎ教えてもらいたいなぁ』
俺『うん。いいよ。泳げるようになったらママに見せようね。でもその前にちゃんと食べないと』
娘『はい! 頑張ってるママの為に泳ぐ!』
俺『うん。ママもきっと喜ぶよ』

昼食後の休憩中に簡単に泳ぎ方を教える。
俺の教える泳ぎは、そう清水式泳法。
これしか知らないし、これしかできない。
故に、これしか教えられないのだ。
それでも娘は真剣になって教わってくれた。

休憩時間が終わり、いざ、幼児用プールへ(笑)
6歳の娘にはぴったりの深さなのだ。
水の中に入った娘は水上とは違う水の中の動きに少々戸惑いながらも、それまで出来なかった頭まで潜る事ができるようになった。
それとよく見ると水中で目も開けていた。
その姿にいつしか俺も真剣になって教えていた。

まだまだおぼつかないが、手の動きを教える。
そして、その動きを水中でやらせる。
15分くらいして、6歳児にしては大体の動きが良くなってきたので足のバタ足も教えようと娘に近づいていった時だった。

娘『パパ、なんか水の中で声が聞こえるよ?
俺は一瞬耳を疑った。まさか…そんな…?
俺はもう一度泳ぐように言う。
そしてまた俺に向って言うのだ。
娘『なんか、こっちだよって言ってる…

俺はこの瞬間に何故俺に水の声が聞こえたのか、そして何故聞こえないときがあるのかがわかった。
そして、何故俺なのかという本当の意味も。

清水式泳法の最も重要な根幹の部分は『誰かの為に泳ぐ』ことだったのだ。
その誰かがなければ絶対に聞こえてこない声なのだ。
そして、そこには愛がなければいけなかったのだ。

検定試験は500円を渡してくれた父親の為
4年の時の100メートルで聞こえなかったのはその誰かがいなかったからだ。
その後の水泳大会に向けての練習や大会当日は新木の為
新木がいなくなった学校で水泳部に入っても声は聞こえなかったのはこのためだったのだ。
一番最初に聞こえてきた意味はわからないが、きっと坂本久美子に好かれたか、試されていたか、そのどちらかだろう。挨拶みたいなものだったのかもしれない。


水泳大会の最後の100メートルの時、水の声は言っていた。
『誰かの為に一生懸命になるって素晴らしい事よ。』

そして意外にも俺は老人プールで水の声に言っていた。
『誰かのために真剣になっちゃいけないのか?』


そして、何故俺が水の声から清水式泳法を教わったのか?
それは、次の世代に受け継がせるためだったのだ。
賞とかではなく、この泳ぎを伝えるためだけに。
その伝える人間が、坂本久美子の考えと似ていた同じ会津に住む俺だった。
それだけだったのだ。


あの時、清水のオッサンはこの後はどうすると俺に聞いた。
俺は子供が出来たら教えるといった。
それでよかったのだ。清水のオッサンもそれで本望だったのだ。そこには深い愛があったのだ。

この泳法を娘に伝えるのが清水式泳法を継承した俺の役目なのかもしれない。
天国の清水のオッサンもきっとそれを望んでいると思った。

俺は娘に言う。
『その声の言う事を聞いていれば、とても早く泳げるようになるよ』
そういうと、6歳の娘は目を輝かせ、一生懸命に泳ぎをマスターしようとしていた。
まだまだおぼつかない泳ぎ。
だが、それも時間が経てば、しっかりとした泳ぎになるだろう。

パパも泳いでいいかな?
娘はその言葉に目を輝かせ、俺の泳ぎが見たいという。

20年ぶりに本気で泳ぐ。
娘に清水式泳法を見せる為に。
もしかしたら、水の声が聞こえるかもしれない。
確信と共に、その想いが次第に高まっていた。


25メートルプールの前に立った。
俺は娘にここを動かないようにといい、パパの泳ぎを見るように言った。
俺『あっちまで泳いで、戻ってくるから』
娘『そんなに泳げるの?』
俺『まぁ、見てなよ』

飛込みを禁止していたプールでは、飛び込む姿を見せることはできなかった。
しかし、その分、泳ぎを見せればいい。
監視員のお姉さんに事情を教え、娘を見ててもらうことにして貰い、いざ泳ぎだす。

一気にプールの最下位部に潜り、瞬間、足で壁を蹴り、前へと進む。
その中は20年前と何も変わらない静寂があった。

本当に懐かしい静寂。
あの頃と違い、社会に出た俺はいつしか水泳を忘れ、家族を持つ事の重大さと責任、そこには生活があった。
家族を守らなければいけない。
集団行動、団体行動のできない俺は就職をせず、自分で事業を始めたり、投資したり、ビジネスを買ったりして必死になっていた。
経済的におぼつかない俺には静寂なんてものは一切なかったのだ。

あるのは水の中だけだった。
何年経っても、この静寂だけは一切変わっていないことに嬉しさを感じて止まなかった。
やはり俺はこの静寂に包まれている時が欲しかったのかもしれない。

水面に出て清水式泳法の特徴あるクロールを始める。
水の声が聞こえるように、水の抵抗を抑えるための泳ぎ。
意外にも、20年のブランクがあるにもかかわらず、体は覚えていた。
すんなりと前に進める。
そして、俺は水になることを宣言し、水になる。
そこで少しだけ自己主張をさせてもらった。

25メートルのターン。
もう少しだ。
その時、20年ぶりに水の声が聞こえてきた。

『もう少し…3…2…1…』
そのタイミングを信じ、俺はターンをした。
声がなかったらターンなどできなかったかもしれない。
そのままもう一度水の中の静寂に入る。

俺『懐かしいなぁ。元気してた?』
坂本『こっちの世界はみんな元気なんだよ』
俺『そうなんだ。あのさ、清水のオッサンがそっちに行っちまったらしいよ…』
坂本『ええ。さっき挨拶してきたわ。』
俺『そっか。。。そうだ、あのさ、娘があんたの声が聞こえるって言ってるけど、俺の時みたいにあんまいじくらないでくれよな』
坂本『あれは私じゃないのよ』
俺『え?じゃ誰?』
坂本『清水先生』
俺『おいおい、マジかよ』
坂本『あなたと違って素直で優しい子だから、先生もお子さんも、そんなに苦労しないわよ』
俺『何をー? 悪かったな不真面目で!』
坂本『ふふふ。今私も泳ぐわ』

その時だった。隣のコースにうっすらと女性の姿が見えた。
白いワンピースのようなものを着た女性。
俺『坂本…久美子さん?』
坂本『そう。せっかくだから勝負しましょう』
俺『俺はもう32だぞ。おっさんだよ…』
坂本『年齢なんて関係ないわ。いくよ』

上に上がった坂本さんは今までに見たこともない速さで前へ突き進んでいく。
俺も負けられない。本気で泳ぎ出す。
しかし、坂本さんの泳ぎは信じられないほどのスピードだ。
同じ泳法のはずなのに、それはまさに神の泳ぎそのものに感じた。

俺『待ってくれ!』
坂本『大丈夫。私はあなたから離れない。』

その声を聞いた瞬間に50メートルを泳ぎきった。
坂本さんの姿は…
一度水にもぐり、振り返り、水の中を見た。

その遥か先には坂本さんと、小さな子供が2人水中で遊んでいる姿が見えた。
親子3人で楽しそうに泳ぎ、遊んでいる。
きっと母親の泳ぎに子供達二人が喜んでいたのだろう。
俺は、本当に嬉しい気持ちで一杯になっていた。

水面に出た俺は一瞬目を疑う。
新木がしゃがんでいた。
…が、それは監視員のお姉さんだった。
お姉さん『綺麗な泳ぎですね。昔選手だったんでしょう?』
俺『いや、そんなんじゃありませんよ…』
お姉さん『娘さん、見とれていましたよ。すごいって。』

俺は娘を見てくれていた監視員のお姉さんにお礼を言うとお姉さんはその場から離れていった。
一瞬だけだが、俺の意識は少年時代に戻り新木を思い出していた。
今はどうしてるんだろうか…?

娘が俺の泳ぎに関心を持っていた。
娘『パパ、すごい!』
俺『ありがと。さっき水の中で声が聞こえただろう?』
娘『うん。』
俺『パパにも水の中で声が聞こえるんだよ。その声の言うことを聞いていればパパみたいに泳げるようになるよ』
娘『本当に?』
俺『ああ。本当だよ。』

その後、幼児用プールに戻り、娘は声を頼りに必死になって泳いでいた。
声の主は清水のオッサン。
『ありがとうございます』
俺は夏の青空を見上げ、清水のオッサンに礼を言った。

そして、坂本さんは俺にまた語りかけてくれた。
そして、俺から離れていないこと、そして俺から離れないことを約束してくれた。

俺には、ひとつの思いができる。
それは、この歳になって水泳をもう一度再開しようという思いだった。

幸いにも、俺の住む会津には社会人水泳大会なるものがある。
今、俺のビジネスが軌道に乗りつつある。
来年、2009年にその社会人水泳大会に出てみようと思う。


妻と娘、そして、新しく生まれてくる命の為に。




おわりに

この物語は、一旦ここで終わりです。
最終章にもあったように、2009年の社会人水泳大会の出来事によっては、この続きがあるかもしれません。


私は、『はじめに』も書いたようにこの『水の声』に関しては今までほとんど話したことがありませんでした。
誰もこの話を信じてくれないと思ったからです。
しかし、この小説を書く前に実は一度だけ人様に公開したことがありました。

ネット上のソーシャルネットワークサービスmixiの日記にこの『水の声』の事を書いたのです。
その反応は、意外にも喜ばしいものでした。

そして、実はもうひとつ小説にするきっかけがありました。

最終章の続きになるかもしれませんが、ここに記載して終わりとさせていただければと思います。

そのきっかけとは、娘とプールに行った数日後に偶然にも新木と再会したことにあります。

私は仕事の商談を終え、一息つこうと街中のチェーン店の喫茶店で飲み物を選んでいるときでした。
私の腕を引く女性がいました。
それは新木めぐみでした。
すっかり大人の女性になった新木は見違えるような美しい女性になっていました。


そして、その後ろには背の高い青い瞳の人が立っていました。
新木のフィアンセのイギリス人男性でした。

新木とそのイギリス人男性のポールと3人でコーヒーを飲みながら色々と話しました。
今では新木は姓を『クランストン』と変わっていて正式な名前は『メグミ・A・クランストン』となっていた。
あの後彼女は横浜で過ごし、母親の洋服のビジネスが軌道に乗り海外進出を果たし、高校はイギリスのインターナショナルスクールに通い、そのままイギリスで過ごしていた。
なぜ会津にいたのかというと、あの時に離婚した父親の母親、いってみればおばあちゃんが亡くなったからだった。
別れた父親方のお婆さん葬式のために会津に戻っていたのだ。
父親も改心し、今では何とかという会社の専務になっているらしい。

ポールは実は俺の事を新木からよく聞かされていたらしく、英語で俺とポールの間を新木が通訳してくれて話し合った。
ポールは水の声の事を全面的に肯定していて、この事を多くの人に知ってもらえれば良いといっていた。
新木もその事には賛成していた。
ポールは過去に俺が新木を好きだった事も知っていた。
それなのに俺を応援してくれていた。
なんと心の広い人なんだろうと思った。
新木は本当にすばらしい男性とくっついたものだ。

そして、俺は数日前に娘とプールに行った時の話をし、そして、娘にも水の声が聞こえる事を伝え、俺にもまた水の声が聞こえだした事も、来年水泳復帰をする事も伝えた。

二人は驚きと喜びを体で表現してとても喜んでいてくれた。
その時はその大会をぜひ見に行きたいという新木の気持ちをポールは快く引き受けてくれ、またポールもとても見たがっていた。

その日、2008年8月6日の深夜…日付が変わって7日にmixiに水の声の事を書いたのだ。


水の声は私に多くのことを経験させてくれた。
もしかしたら、これからもより多くの特別な経験をさてくれるのかもしれない。

私は、このワクワクするような気持ちを今持っている。
そして、もしかしたら今からが本当の水の声との人生が始まるのかもしれない。
32歳と、少し遅咲き過ぎる感じもするが、私は、これからの人生に少しずつ水泳を入れていく事をこの場に誓い、この物語を一旦終了とさせて頂きたいと思います。

長々と呼んでくれた読者の皆様に心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。

著者:小川 純


尚、ここに出てくる人物名、団体名等は全て架空の名称です。



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