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2020年 クソガキが抱く故郷への思い

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はじめのごあいさつ

こんばんは。長野大学温泉同好会・現部長の小川です。いつもツイッターではお世話になっております。

この記事は、この1年に私が得たもの、失ったものをただ書き残しておこうとしたものです。うまく書けているかは分かりませんが、何か書かなければならないという衝動に駆られたため、書きます。

文章を書くのにあまり時間がかけられなかったり、表現を練ることが出来ていませんが、あくまでも私のままで、直情的に書きました。

死ぬほど暇な人と、私のことを知っている人はぜひ読んで下さったら嬉しいです。

2020年、得たもの 故郷への思い

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※わたしの故郷、大町市の写真です。

・今年は間違いなく、約20年間生きてて一番「故郷と生で関わる時間が少ない年」だった。コロっちゃんのせいで、みんな故郷に帰らなかった。帰りたくても帰れなかった。ふざけるな。お前のせいでこれから就職氷河期だし、旅館が何個潰れたと思ってるんだ。

・とはいえ、コロっちゃんに感謝したいこともある。それは、「地元への思い」が、より強くなったことである。

・私が育った、大町市。だいたい「大町出身です」と言っても、県内の人すらも「ポカン」とした顔をされることが多い大町市。

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・駅から続く商店街は、シャッターだらけ。誰か活性化させようとしてるかも分からん。たぶんいないんじゃないか、そんなことやろうとしてる奴。人口減少も止まらない。大町温泉郷は大して特徴もないし、泊まりに行きたいとは思わない。ただひたすらにショボい。思い出がある訳でもない。ミネラルウォーターでも作っとけ。この市は、いつかもうやっていけなくなって、安曇野市と合併したりするんじゃないのか。小学校も、どうせ少なくなる。

この市に、未来はあるのか。

・私の故郷にはもう、未来なんてないのかもしれない。

それでもわたしはまだ、故郷を、地元を、完全に捨てることは、できないかもしれない。

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・大町には私の育った、大好きな家族と暮らしてきた実家がある。暗くても楽しい中学時代を送った中学校もある。ぜんぜん楽しくなかった高校時代を過ごした、高校もある。部活帰りにめちゃくちゃ死にたい気持ちになっていた観音橋がある。部活の片付けが終わった後に毎回寄っていたセブイレがある。そんな部活を辞めることを決意させてくれ、自分の人生に大きく影響を与えてくれた先生の塾もある。先生は、まだ元気にやっているだろうか。あの人はいつ、塾の先生を辞めて次のステージに進むのだろうか。わたしはいつか、あの人のスピードに追い付くことはできるのだろうか。


・6年間練習した和太鼓の練習場がある。歌を歌ったり太鼓をブチ叩いた文化会館がある。最初はぜんぜん面白くなかったが、最後の年は本当に楽しかった。和太鼓をやっていたおかげでリズム感には自信がある。わたしが卒業する年に入ってきたような子が、もう卒業コンサートに出る時期らしい。

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・シャッターだらけでも、歩いているとなんとなく懐かしさがあって、あったかい気持ちになる商店街がある。「フローズンどらやき」が美味しい和菓子屋もある。名店街とかいう、洋食屋から花屋居酒屋カレー屋までいろいろ揃っている場所もある。湧いている水は飲めるし、冷たくておいしい。いつの間にか、知らないうちに新しい喫茶店・雑貨屋が出来ていることも、この前気づいた。今度行ってみよっかな。

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・いろんな温泉を巡って、やっぱり「ショボいな」と思ってしまう大町温泉郷でも、父親と入る風呂は楽しい。ツッコミどころが多すぎて、休んでいる暇もない。初めて「薬師の湯」に部員たちを連れてきたときは、いろんなところを案内したっけ。温泉博物館で、温泉講義を講釈垂れたなー。

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・市内なら、だいたいどこでも見上げれば、北アルプスがある。全部は見えないけれど。小学校の通学ルートからは、蓮華岳がよく見えた。車ですぐ行ける大町公園の展望台からは、北アルプスがぜ~んぶ見える。晴れた日はあそこでひたすらとボーっとしていたい。山岳博物館、最近は行かないけれど、何か変わっているのかな。私たちの課題研究プランにボロクソ言った佐藤さんは、今何してるんだろう。

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・でも、ボロクソ言われたあとに友達と帰る時に見えたあの北アルプスは、ほんとうに綺麗だったなぁ。初夏だから暑かったけど、まだ雪は残っていたみたいだった。高校を卒業する前にそいつと登った鷹狩山の展望台から見た山も、きれいだった。

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・故郷は、わたしたちが見ないうちに少しずつ変わっていく。

通い詰めたあの店はもうない。

あの思い出の場所も、再整備されていく。デカいホテルだったり家が建って、景観が悪くなる。商店街に、シャッターが降りた店が増える。人口は減って、小学校の統廃合も進む。ロードサイドの大型店舗がますます増えて、中心市街地の衰退化は止まらない。

バイトの同僚が、「もう二度と青森には戻らん」と言っていた。同級生でも、「大町なんて帰るわけないじゃん、なんもねーしあんなとこ」と言っていた。

やっぱりわたしはまだ、故郷を、地元を捨てる気にはなれない。

だって、故郷って、「なんかいい」じゃん。

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「なかったこと」に、しない

わたしたちはみんな、故郷を「知った気」になっている。18年暮らしてたからというだけの理由で、そこにある全てを理解した気になっている。

故郷に、今まで何があったのか。何が変わってきたのか。何がなくなったのか、新しくできたのか。そして、これからも変わらないものは何か。変わってはいけないものは何か。

そんなこと、いままで考えたこともないくせに。

考えたことも無かったのに、世間一般のイメージ、メディアからのイメージから、「故郷」に、勝手に期待して、勝手に幻滅してきたくせに。

わたしたちは、いまいちど故郷について考えなければならない。まなざしを向けなければいけない。故郷に背中を向けるのはもうやめなければならない。


故郷では、辛いこともたくさんあったけれど。

楽しいことがたくさんあったはずなのに。

「不満」のピースだけを拾い上げて、故郷に対する悪いイメージのジクソーパズルを完成させている。

楽しいことがあったのに、いや、今もあるのに。それを全部なかったことのようにして、不満だけで出来上がったパズルを持っている。

わたしは絶対に、それを「なかったこと」のようには扱わない。故郷には、楽しかったことがあった。今でも、楽しいことがある。ワクワクするものがある。

だからどうか、若い人たちに伝えたい。

みんなの故郷であった楽しいことも、辛いことも、ぜんぶ、それを「なかったこと」にしないでほしい。どんなに小さなことでも、「ステキだな」とか「なんかいいな」と思ったことを、見なかったことにしないでほしい。大切にしてほしい。

そこには、きっと故郷の無限の可能性が秘められている。そんな気がする。

あなたの「なんかいいな」を、どうか、大切にして欲しい。

わたしも、大切にするから。






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