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『きおいもん』 第五話

○居酒屋いせや・店の奥、お栄の占い屋
 頬杖をついてぼんやりしているお栄。  
 芳三郎、お栄の前に腰をおろす。
芳三郎「姐さん、また一つ頼むよ」
お栄「……もう治ってんじゃねえか?」
芳三郎「いやおれじゃねえ。ちょっと知り合いの婆さんがよ、洗濯もんも干すと、どうも腰が痛えって」   
お栄「もう。どいつもこいつも。あたしは占い屋だよ。医者じゃないっての」
芳三郎「ああ……じゃあよ。知り合いの妹がよ、絵師になりたいって言っててよ、女の 絵師は難しいって言ってんだが、どうしてもなりてえって言っててさあ……」
お栄「……」

○重右衛門の屋敷・庭(夕)
 縁側のお栄、お栄の隣に座る咲。
 お栄、咲の絵を黙ってみつめる。
 二人の後ろ、書斎で絵を描くフリをしつつ、
 様子を伺う芳三郎。
咲「下手ですか?」
お栄「下手だね」
 食い気味にお栄。
 顔をしかめる芳三郎。
 お咲、ふくれる。
お栄「……あんた、なんで絵師なんてなりたいんだい? 絵が描きたいだけなら、好きなだけ描けばいい」
咲「絵を描いて、ちゃんとお金を稼ぎたいのです。ちゃんと絵を学べば、女でも、絵師になれますよね?」
お栄「……絵師になるには、絵を、何から勉強すればいいと思う?」
咲「……本?」
お栄「ちがう」 
咲「……お師匠さま?」
お栄「惜しいけどちがう」
咲「……分かりません」
お栄「世間さまだ。絵師が描く錦絵は、世間から学んで描くんだ。浮世の絵っていうだろ?」
咲「……」
お栄「本みていくら描いたって、下手な師匠についたって、絵師には到底なれっこない。だからこんなところで絵描いてても無駄だよ」
 芳三郎にも聞こえるようにお栄。
 芳三郎、舌打ち。
 お栄、咲の顔をしっかりみて
お栄「手前の兄貴がきおってる仕事、邪魔しなさんな」
咲「……」
 芳三郎、感心した顔で二人を眺める。

○同・書斎
 芳三郎、お盆にお茶と串団子を乗せ、
 襖を足で開けて入って来る。
 お栄、部屋の様子を眺め座っている。
芳三郎「いやあ助かったよ。仕事の邪魔されてて、ほんと困っててよ」
 芳三郎、お栄の前にお盆を置く。
お栄「……助手仕事とは、またお似合いだね」
芳三郎「皮肉るなよ。姐さん達ん所でしか、やったことねえよ」  
 お栄、小さく鼻で笑いお茶を飲む。
芳三郎「いやあ。これがまた、なかなかで」
 芳三郎、朱のバツのついた伏姫の絵をみせる。
 お栄、眉をひそめ、ため息交じりに、
お栄「……よりによって馬琴のじいさんかい」
芳三朗「やっぱりわかるかい?」
お栄「これならまだマシさ。あたしはあいつの屋敷で、面と向かってこんこんと直させられたんだから……」
 お栄、三つ刺さった串団子を頬張る。
芳三郎「姐さんが? 北斎のオヤジじゃなくて?」
お栄「親父は馬琴の仕事をいつもは断ってたけど、入り用の時は、仕方なく受けることもあって。で、全部あたしに描かせてた」
 お栄、二つ目の団子を頬張る。  
芳三郎「……じゃあ知ってると思うけどよ、せつなさ足らずとか、憂いもたせよとか、女の顔に特にうるせえな、あの助平ジジイ」
 お栄、串団子で絵を指しながら、
お栄「馬琴の好みはね、もっと目細く描いて、口はもっと小さくして、そんな体にシナ作っちゃダメだよ。遊女みたいなのは嫌う」
 お栄、三つ目の串団子を頬張る。
 芳三郎、ニンマリと、
芳三郎「へえ。そりゃどんなんだい? ちょっと描いてみてくれよ」
お栄「……」
 お栄、団子のなくなった串を芳三郎に突きつけ、
お栄「……あんた、このために呼んだね」
芳三郎「頼む! この伏姫だけでいい!」
お栄「嫌だよ。絵師はもうやめた」
芳三郎「飽きてるだけだろ! さっきあんな偉そうに講釈たれてたじゃねえか。なあ頼むよ。お咲はよお、借金の肩にとれちまっててよお。お咲の兄貴はそれでこんなキツい仕事受けてよお。泣ける話じゃねえか。俺も助けてやりてえんだよ。お咲をよ……」
 芳三郎、みえみえの泣き芝居。
芳三郎「(ケロッと)あ。お咲って、さっきの可愛くねえヤツな」
 お栄、舌打ち。
 苛立ちながら串をくわえ、
お栄「……筆貸しな」
      
○同・書斎(時間経過・夜)
 障子を開ける重右衛門。
 芳三郎、絵を描いたまま、
芳三郎「おう。おかえり」
 部屋の真ん中で、芳三郎と串をくわえたお栄、
 行燈に向かい合って座り、
 絵を描いている。   
重右衛門「(お栄をみて)……」 
 お栄、黙々と筆を動かす。  
 ×        ×        ×
 行燈を中心に、車座に座る三人。
 重右衛門、お栄の描いた伏姫を手に、
重右衛門「……おみごとです」
お栄「じゃ。あたしは帰るよ」
 お栄、立ち上がろうとすると、
芳三郎「ちょっと待って姐さん」
お栄「なんだよ。まだ何かあるのかい?」
芳三郎「これからもさ。女の絵だけでいい。手伝ってくんねえか?」
お栄「馬鹿言ってんじゃないよ。今日はあんたに嵌められてしょうがなく描いただけだ」
芳三郎「二分だ」
お栄「……」
芳三郎「手付に一分、年の瀬前に終わればもう一分だ。永寿堂と話はつけて来た。もう気付いてんだろ? 俺たちゃ今、永寿堂に八犬伝の挿絵、北斎のオヤジのフリして描かされてんだよ。無茶な話だが、まだ馬琴にゃバレてねえ。北斎のオヤジが描いてると思ってやがる」
重右衛門「……」
 重右衛門、唇をそっと噛む。
芳三郎「じゃなきゃこんな熱心に指示して来ねえだろ。シゲや俺みてえな名のねえ絵師ならとっくにクビだよ」
お栄「……馬琴は誰にでもうるさいよ。名前があっても無くてもね」
芳三郎「とにかく頼む! 女の絵だけでいい。あとは俺とシゲでやる。それで二分だぜ? 俺と払いは一緒だぜ? なあ頼むよお」
 お栄、一本指を立てる。
お栄「……これでいい。女だけな」
芳三郎「やた! しかも一分でいいなんて、さすが姐さん!」
お栄「いや一両」
芳三郎「はあああ? いちりょう? 倍じゃねえかよ! そりゃ流石のおれも永寿堂に話できねえよ!」
重右衛門「(遮って)私が払います」
 芳三郎、お栄、重右衛門をみる。
重右衛門「その一両、私が払いますので、どうかお助けください、応為先生」
 お栄、きょとんとした顔。
お栄「……あ、あたしか」
重右衛門「……失礼いたしました。以前、豊広先生の元で、応為先生の肉筆絵をみせていただいたことがごさいます。その色の鮮やかさ、特に赤の色に感服いたしました。以来、私も、自分の好きな色、青を突き詰めたいと」
 顔が紅くなるお栄、重右衛門を遮るように、
お栄「ああうるさいうるさい! やめとくれ。画号で呼ぶならやらないよ!」

○馬琴の屋敷・書斎(日替わり)
 庭に立つ馬琴、お栄の描いた伏姫をみつめ、
馬琴「……」 
 書斎で正座する西村屋、ほくそ笑む。
 ×       ×       ×
 馬琴、縁側に座り八犬伝の続きを語る。
馬琴「秋の日影のさりげなく、昼間は暑さの名殘とて、岸に水とる山がらす、頂き近く鳴きわたれば、伏姫、佶と仰ぎみつ……」
 みち、見事な筆さばきで美濃紙に書き連ねる。

○重右衛門の屋敷・書斎(夜)
 重右衛門、第四巻の稿本を畳に開く。
重右衛門「四巻目です!」
 重右衛門、芳三郎、お栄、稿本を囲む。
重右衛門「まず私が構図を考えて、お栄さんに伏姫を描いてもらって、子、犬、背景は芳三郎に」
芳三郎「女以外全部って言えよ」
 ×       ×       ×
 部屋の真ん中の行燈に向かい、
 車座に机を置く重右衛門、芳三郎、お栄。
 それぞれ、真剣に絵を描く三人の表情。

○居酒屋いせや・店の奥(日替わり・夜)
 ご隠居、占い道具を片付けるお栄に、   
ご隠居「なんだ今夜はもうおしまいかい?」
お栄「ああ。で、しばらく休業だ」
ご隠居「つまらんの。お豊さんもいなくなったんで、ここであんたと話すのが、唯一の愉しみだったのに」 
お栄「……年が明けたら、またやるよ」

○重右衛門の屋敷・書斎(夜)
 行灯に向かってひとり絵を描く芳三郎。
 お栄、やって来て、絵の準備をしつつ、
お栄「……シゲは?」
芳三郎「……おう。今夜は夜勤だってよ」

○定火消し屋敷・臥煙詰所(夜)
 剣道場のような夜勤詰所。皆で枕にして眠る為の
 長い丸太が転る。
 同心、臥煙ら、将棋を指したり、
 こっそり酒盛したり、暇を潰している。
 片隅で重右衛門、紙束に小さな筆で、
 挿絵の構図を考える。

○重右衛門の屋敷・書斎(夜)
 行灯に向かい合い、
 絵を描き続ける芳三郎とお栄。

○馬琴の屋敷・書斎(日替わり)
 縁側の馬琴、八犬伝をトウトウと語る。
馬琴「持ったる鉄砲取り直し、狙い固めし二ッだま、火蓋を切ればあやまたず、犬は水際に倒れたり」
 みち、見事な筆さばきで書き連ねる。

○重右衛門の屋敷・庭(夕)
 縁側、第五巻の稿本を広げる重右衛門、
重右衛門「五巻目です!」
 稿本を囲み、
 熟読する重右衛門。
 肩を回す芳三郎。
 団子を頬張るお栄。
 ×       ×       ×
 庭で芳三郎と重右衛門、
 体を動かし構図を話し合う。
 お栄は縁側で傍に団子を置き、
 筆を片手に二人を眺める。
 重右衛門、犬の格好をして、
重右衛門「八房は喉を打ち抜かれたんだから、こうだろ?」
 芳三郎も、犬の格好をしながら、
芳三郎「いやいやそんな格好にはならねえよ。こうだろ?」
重右衛門「そうじゃない。こうだ!」
芳三郎「……じゃわかった。カシラはお前だからよ。そう描くよ」
 芳三郎、縁側に歩いていく。
重右衛門「……頼む(頭を下げる)」
 芳三郎、お栄の隣に座って、
 八房の絵を描き始める。
 お栄、芳三郎に団子を差し出す。
 受け取り、頬張りながら描く芳三郎。

○永寿堂・客間(日替わり)
 下座、胡座で座り、耳を掻く芳三郎。
 上座、西村屋、十枚以上ある挿絵を手にして、
西村屋「払いはかさんだが、これだけ早けりゃ、馬琴がどんなに直しを出そうが追い抜けるぜ。あ、そうだ、馬琴が北斎の名前を使えと言ってると、安藤にちゃんと、口裏合わせてあるよな?」
芳三郎「……どうだったかな」
西村屋「おい……まあいい。お前の話なんて、だれも信用しないからな」
 芳三郎、耳垢を吹きながら、
芳三郎「(独り言)そりゃてめえだっつーの」

○重右衛門の屋敷・庭(日替わり・夕)
 庭先、お栄、咲に絵の形をさせている。
お栄「つらくなったらお言いよ」
咲「……大丈夫です」
 お栄が描いているのは、
 伏姫の生まれ代り、伏姫神。
 寒さに震える咲、口を結ぶ。
 空気の澄んだ、冬の夕暮れ。

○同・書斎(日替わり・夜)
 重右衛門、稿本を畳に広げる。
重右衛門「六巻目です!」
 行燈の下、重右衛門、お栄、芳三郎、
 稿本を睨む三人。

○同・庭(夜)
 どてら姿の芳三郎、書斎の縁側を覗く。
 縁側の奥から、猫の鳴き声。

○同・書斎(夜)
 行燈を中心に、車座に置かれた机。
 重右衛門とお栄が絵を描いている。
 重右衛門もどてらを着ている。
    お栄は赤い綿入りの長襦袢を羽織っている。
 障子を開ける芳三郎、猫を抱いている。
芳三郎「ほい」   
 芳三郎、お栄に猫を渡す。
 お栄、黙って受け取り、
 猫を抱きかかえ、絵を描く。
 芳三郎、自分の机で絵を描き始める。
 黙々と描く三人。
 芳三郎、手を動かしながら、
芳三郎「(お栄に)……そういやよ。前、お咲に言ってたの、どっかで聞いた事あるなあって思ってたんだけど、思い出したよ」
 顔を上げる重右衛門。
芳三郎「あは。北斎のおやじだった。あれと同じ事、弟子入りに行った時言われたぜ」
 お栄、筆を止めず、
お栄「弟子断る時と、仕事さぼる時の決まり文句だ。今もそう言って出てってる」
 お栄の膝の上、眠っている猫。
 重右衛門、二人の顔をみながら、
重右衛門「北斎殿って、どんな方なんですか」
 お栄と芳三郎、何とも言えず首ひねる。
重右衛門「……北斎殿は私の憧れです。死ぬまでに、北斎殿のような絵を、一枚でもいいから、描いてみたい」
芳三郎「……もう散々描いてるじゃねえか」
 重右衛門の机の絵を、顎で指す芳三郎。
重右衛門「あ……」
お栄「フフ。尊敬する北斎さまの、ニセもん描きながら言ってりゃあ、世話ないね」
重右衛門「……ほんとですね」
 微笑みあう三人。
 次第におかしくなってきて、堪え切れず、
 三人、声を出して笑い合う。
 
○馬琴の屋敷・書斎(日替わり)
 障子の開け放たれた書斎。
 庭に射す冬の強い日差し、縁側にこぼれている。
 馬琴、縁側に座り挿絵をみている。
 書斎、西村屋、馬琴の背中に
西村屋「これで第六巻の挿絵は全部になり、直しも全て、そちらにそろえております」   
馬琴「……」
 馬琴、挿絵を、朱筆を入れる事なく、
 廊下に置く。
馬琴「……みちを呼んで来てもらえるか?」 
西村屋「……はい!」
 ×       ×       ×
 縁側、馬琴、八犬伝の続きを語る。
馬琴「なかそらにのぼると見えし、珠数はたちまち弗とちぎれて、そのいつひやくは連ねしままに、地上へからりと落ちとどまり、空に遺れる八つの珠は、さんぜんとして光りをはなち……」
 書斎、みち、達者な筆で書き連ねる。
 いつしか興奮し、
 物語に聞き入る西村屋。 
 ×       ×       ×
 みち、筆を拭く。
 稿本を手にした西村屋、頭を深く下げ、
西村屋「ではまた、三日後に参ります」
 縁側の馬琴、庭を眺めたまま、
馬琴「いや。もういい」
西村屋「え?」
馬琴「あとはそっちに任す」
西村屋「え、そっちとは、北斎先生に」
馬琴「(遮って)最後に教えてくれ。北斎の娘、お栄はすぐに分かった。二巻から描くようになったのは一勇斎、歌川国芳か?」
西村屋「!」
 西村屋、稿本を落とす。
馬琴「ただ初めから描いている絵師が分からぬ。なんという絵師だ?」
西村屋「……」
 気が動転し、西村屋、声が出ない。
馬琴「……画工に誰を記すかなど、版元のお前が決めること。確かに、売れた方がよいとは、わしも常々、思ってはおる……」
 西村屋、なんとか声を絞り出し、
西村屋「……広重、歌川広重と申します」
馬琴「……覚えておこう」

○同・庭
 みちに手を引かれ、歩いている馬琴。
みち「……もう、あかんかったんですか?」
馬琴「いや。しっかりみた」
みち「ウソばっかり」
 みちに助けられ、縁側に腰かける馬琴。
 みち、隣に座る。
みち「じゃあなんであとは任しはったん?」
馬琴「あとはもう描けるだろ。三人もいる」
みち「七巻の絵ぇも、みたかった……」
 馬琴、ゆっくりと瞼を閉じる。
馬琴「本になれば、みられる」
 馬琴、目を閉じて日の光を感じる。
 傍らのみち、庭を眺める。
NA「曲亭馬琴は、晩年、視力が衰え、やがて失明。それでも、義理の娘、みちに代わりに筆をとらせ、死の間際まで作品を発表した」
馬琴「……また、頼むな」
 みち、馬琴に穏やかに微笑みかけて、
みち「……まる正の女将さんのお豊さん、亡くなっしゃりましたやろ? 代替わりでえらい若い女将さんがなりはったんやけど、これがまたやり手でえ。こないだ山林堂の娘さん、えらい品のいい付り下げ着てはって、それどこのお? って聞いたら、まる正さんやあゆわはって。絶対おみちさんに似合うゆわれて、ほなまる正いってみようって、冷やかしにいったら、その若い女将さんにお好きな柄で、あんじょう作らせてもらいますうて言われてしもうて。この柄がまた……」
 早口の関西弁でまくし立てるみち。
馬琴「(遮るように)買え」
 みち、にっこり笑う。
 立ち上がり、書斎の掃除を始めるみち。
NA「ひら仮名しか書けなかったみちを、馬琴は容赦なく指導し、自分の代筆を務めるまでにした。しかし、馬琴の妻は、みちに嫉妬して家を出ていった」
 みち、書机を掃除しながら、
みち「あと、筆と硯も。もうボロボロや」

<第六話につづく>


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