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『きおいもん』 第一話

○長屋の火事場(夜)
 鳴らされる半鐘。飛び交う怒号。
 打ち壊される家屋。振りかざされるまとい。
 派手な装いの町火消し達、
 いたるところで喧嘩沙汰。
NA「火事と喧嘩は江戸の華」
 
○火事場周辺の通り(夜)
 腰に矢立を下げた芳三郎(24)、
 集まった野次馬達をかき分けていく。
芳三郎「どけどけ!」
NA「時は文政十二年。江戸。のちに文政の大火と呼ばれるこの大火事に、それぞれあい対する三人の絵師」
 芳三郎、火の粉が舞い散る先頭まで来ると、
 眼前の炎に目を輝かせ、
 地べたに腰をおろす。
 一心不乱に炎を素描する芳三郎。
NA「芳三郎。画号・歌川国芳」

○火事場、武家屋敷付近(夜)
 御家人により編成された定火消し衆、
 竜吐水(ポンプ式放水道具)で、
 燃え盛る炎に放水する。
 町火消しのように派手な出で立ちではなく、
 質素で実用的な装備の定火消し。
 竜吐水の口をかかえ、
 必死に放水する定火消し同心、
 安藤重右衛門(24)。
NA「安藤重右衛門。画号・歌川広重」
 炎の勢い、放水では一向に衰えない。
重右衛門「……」

○江戸の空(夜)
 眺めのよい場所からみた火事場の空。
 闇夜が赤く染まる。
   
○酒蔵の屋根(夜)
 赤く燃えた空をみつめるお栄(30)。  
 酒蔵の屋根の上で、
 赤い綿入りの長襦袢を羽織り座っているお栄。
NA「お栄。画号・葛飾応為」
 お栄の他に一人、二人の見物客。
 喧騒から離れた静かな屋根の上。
   
○お栄、重右衛門、芳三郎、カットバック
 三人の様子を交互に。
NA「後の世に、絵師として名を残すこととなるこの三人も、この時はまだ、画号を知る者などいない無名の絵師だった」

○タイトル「きおいもん」

○永寿堂・店内
 店に並んだ様々な北斎の錦絵。
 北斎の落款印が押されている。
NA「画狂人・北斎。奇想天外な武者絵、名所を描いた風景画、華やかな美人画と、幅広く描き」

○永寿堂・店前
 日本橋にある版元・永寿堂。
 多くの客で賑わう。
NA「粋な江戸っ子たちに愛された北斎だが」

○永寿堂・店内
 店の棚、北斎の新作が並んでいる。
 客たち、北斎の絵を手に取っていく。
 満足顔の店主、西村屋与八(48)。
 少々不安げな、番頭の九兵衛(33)。
NA「北斎の絵には、贋作、ニセモノがやたらと多い」

○北斎の長屋・中
 質素な裏長屋。散らかった室内。
 入口で頭をさげる西村屋と九兵衛。
西村屋「頼むよ。もういっぺん」
 お栄、書机に座り、西村屋達を無視して
 分厚い書物を読みふけっている。
西村屋「代金は倍払う! いや三倍でも!」
 お栄、書物から顔を上げず、
 手探りで床に転がった落款印を拾う。
NA「北斎の娘お栄は、留守がちな北斎に代わり、しばしば筆を取り、北斎の新作として世に出していたといわれている」
 お栄、落款印を西村屋に放り投げる。
 西村屋、とっさに両手で受けとる。
お栄「それやるから、他当たっとくれ」
 西村屋、両手を開く。
 九兵衛、西村屋の手の中を覗き込む。
 西村屋の両手の平には『卍』の落款印。
 お栄、書物から顔を上げずに、
お栄「ほかのがよけりゃ、転がってるヤツ、好きなの持ってきな」
 九兵衛、床をみる。
 床には落款印がいくつも無造作に転がっている。
   
○北斎の長屋・前
 貧相な裏長屋が並ぶ裏路地。
 西村屋と九兵衛、戸を開けて出てくる。
西村屋「……あの女、父親から、絵の腕だけでいいもんを、気分屋なところまで受け継いじまいやがって」
九兵衛「しょうがないですね。旦那、さあ、帰りましょう」
西村屋「芳三郎のところへ行くぞ」
九兵衛「え? 何言ってるんですか!」
西村屋「うるせえ。あいつなら腕は立つし、筆も早い」
 西村屋、手の中の落款印をみつめる。
九兵衛「そりゃそうですけど、筆よりも断然手が早くて仕事になりませんよ! この間も摺り師の権三と大げんかになって……」
 西村屋、落款印をギュっと握って、
西村屋「(小声で)今が狙い目なんだよ! 今なら江戸中どこの版元にも北斎の新作は並んでねえ。北斎が旅から戻って来ちまったら、あのジジイのことだ。描き散らかして、あっというまに江戸中の版元に新作が並んじまう」
九兵衛「……だからって、あのきおいもんを」
西村屋「いいから行くぞ」
 西村屋、裏通りを歩き出す。
 九兵衛、渋々ついて行く。

○彫り師の仕事場・中
 土間に裸で立つ男、男の背後に芳三郎。
 芳三郎、男の背中から尻にかけて、
 大胆な龍を描いている。
NA「きおいもんとは、気負った者。血気盛んで向こうっ気が強い者のこと」
芳三郎「……よし。おわりだ」
男「え、もう終りかよ? 早すぎねぇか?」
芳三郎「うるせえな。ちゃんと描いてやったぜ。りっぱな龍神様をよ」
男「龍神って……どういうこっだ? 俺はお不動さま描いてくれっていったよな?」
芳三郎「火消しが不動明王、彫りモンしてどうすんだ? すぐ丸焦げだ」

○彫り師の仕事場・前
 裏通りの外れ、彫り師の仕事場の前に、
 西村屋と九兵衛が並んで立っている。
外まで飛んでいる怒号。
男(声)「うるせぇ描き直せこのやろう!」
芳三郎(声)「こっちは気利かしてやってんだ! 
龍神さまは水の神さまでえ!」
 仕事場内、怒鳴り合いから喧嘩沙汰に。
 西村屋と九兵衛、あきれ顔。

○待合茶屋・中(夜)
 行燈の灯がゆらめく小さな座敷。
 西村屋、顔に喧嘩痕のある芳三郎に
 酒を注ぎつつ、
西村屋「元々画号はコロコロ代えるし、落款印も適当だ。北斎の絵には紛い物が多い。いざ大ごとになっても、全部わたしら永寿堂の仕組んだことと、お前はシラを切り通せばいい」
 芳三郎、盃を手に、黙っている。
西村屋「彫り物柄描いて凌いでるぐらいだ。悪い話じゃないだろ?」
 西村屋、芳三郎の顔色を伺う。
 芳三郎、盃をいっきに煽り、
芳三郎「……面白そうじゃねえか」 

○永寿堂・店前(日替わり)
 さらに多くの客で賑わう。

○永寿堂・店内
 店の棚、さらに多くの北斎の新作が並んでいる。
 手に取っていく客たち。

○日本橋の通り
 北斎の新作を手に、笑顔で歩く人々。
 湯上りの芳三朗、人々と通り過ぎる。
 芳三郎、悦に入り、意気揚々と通りの真ん中を
 歩いていく。
   
○永寿堂・店内
 客足の落ち着いた店内。
 芳三郎の筆による北斎の新作は、ほぼ完売。
 満足気な西村屋に、九兵衛、耳打ち。
九兵衛「(小声)ここまで売れちまうと……旦那、もし、バレたりしてしまったら」
西村屋「なに。ぜんぶ芳三郎のせいにすればいい。こっちが騙されたって事にな。あいつの言うことなんざ、誰も信用しないさ」
 西村屋、僅かに売れ残った芳三郎の絵を
 手に取り、
西村屋「ただ、こうもたくさん描かれちゃ、そのうち飽きられて、値も下がっちまう」
九兵衛「次から次へと描いてきますからね」
西村屋「……ちょっと考えないとな」
 西村屋が手にしているのは
 『南総里見八犬伝』の登場人物、犬坂毛野胤智に
 歌舞伎役者を見立てた役者絵。

○居酒屋いせや・店前(夕)
 川沿いに面した居酒屋いせや。
 仕事帰り、湯屋帰りの庶民たちで賑う。
 芳三郎、浮かれた調子でやって来る。
太助(声)「おいヨシ」
 軒先で、芳三郎を呼び止める鳶職人・太助(24)
    と町火消し・ま組の連中。
 彼らは皆、身体中に派手な彫り物。
太助「てめえも偉くなったもんだな。俺たちの仕事は、もう受けらんねえって話じゃね えか?」
芳三郎「いやぁ……そうじゃねえよ。ちょっと最近、たて込んじまっててな」
太助「呑みに来る暇はあるんじゃねえか?」
芳三郎「……それぐらいはいいだろうよ」
 バツの悪そうな芳太郎。
 太助、仲間達にふり返って、
太助「おいヤス、ちょっと来い」
 太助、芳太郎の前に安次郎(16)を呼び出す。
 安次郎の体には彫り物がない。
太助「こいつは安次郎。俺達ま組の新入りだ。ウチに入ったら、まず最初に入れる彫り物は、お前にガラ、描いてもらうっていう決まりになってんだ」
芳太郎「だれが決めたんだよ……まぁいいや。オイわけえの、店から筆、借りてきな」
 ×    ×    ×
 軒先の長椅子、安次郎を挟んで、
 右側に座る芳三郎、左側に太助。
 芳三郎、呑みながら、
    安次郎の右腕に龍を描いている。
 安次郎、緊張しつつも、
    みごとな龍の彫り物柄に見惚れる。
 周囲でま組の連中、安次郎を冷やかす。
 太助、安次郎越し、芳三郎に、
太助「しかしまぁなんだな。忙しいってことはいいことじゃねえか。世間じゃ北斎、北斎ってありがたがってるけどよ。俺はてめえの絵もまんざらじゃねえと思ってるぜ」
 筆を手にしたまま、芳三郎、
芳三郎「……なんだよお前、珍しく褒めんじゃねえよ」
太助「いや本当のことだぜ。最近やたらと北斎の錦絵みるけどよ、大したことねぇよ」  
 芳三郎、筆が止まる。
太助「とくに美人画なら、今売り出し中の国貞の方が断然いいや。北斎も、もういいかげん古いんだよなあ」
 芳太郎、持っている筆をへし折る。
芳三郎「なんだとてめえ!」
 安次郎の頭越しに太助を怒鳴りつける芳三郎。
太助「なんだよ急に?」
芳三郎「古いだとか国貞がいいだとか、分かったようなこと抜かしやがってこの唐変木!」
太助「俺はてめえを褒めてやってんだぞ?」
   安次郎、二人の間でまごまごする。
   右手の龍は描きかけ。
芳三郎「おめえみたいな野暮な野郎に褒められたくねえや!」
太助「誰が野暮だ!」
芳三郎「北斎より国貞のがいいなんていう、野暮ったいのがまとい振ってるもんだから、てめえらま組は、いつも他の組に先越されてんだ!」
太助「なんだと!」
   周囲のま組の連中、芳三郎を取り囲む。
太助「やんのかこの三文絵師」
芳三郎「うるせえこの野暮天マトイ」
   
○同・店内(夕)
 表から喧嘩の音が響く店内。   
 店主、疲れたように深いため息。
 喧騒を肴に、酒を酌み交わす常連客。
常連客A「……あの絵師、北斎の弟子だったかい?」
常連客B「いや、ああ見えて歌川派だってよ。歌川派のくせに、北斎のとこ弟子入りしようとして、流石の北斎も断ったって話だぜ」
常連客A「へえ。北斎も、そのへんの筋は気にすんだねえ……」

○同・店前(夕)
 殴り合う太助と芳三郎。
 ま組の連中、酔客、周りで二人を囃し立てる。

○料亭の前(夜)
 隅田川に面した品のよい料亭。
 版元の寄り合い終わり。
 提灯片手に帰路につく版元の店主たち。
 皆、良い着物。
 ほろ酔いの山林堂、店主・山田屋市兵衛(52) 
 に、西村屋が声をかける。
西村屋「山林堂さん」
山田屋「永寿堂さん、どうかしましたか?」
 山田屋の着物、西村屋より遥かに上等。
西村屋「ちょっと呑み足りないなんて思いまして、いかがですか? もう一軒」
山田屋「お、いいですね」
 二人、提灯を下げ並んで歩いて行く。

○待合茶屋・中(夜)
 小さな座敷に向い合う山田屋と西村屋。
 上座に山田屋、下座に西村屋。
 薄化粧の芸者、山田屋に尺をする。
 口数少なく、地味で渋い着物を着ているが、
 しっかり色気のある芸者。
 西村屋、正座して訥々と、
西村屋「……なにより私自身が、読みたいんです。八犬伝の続きを」
 山田屋、赤い顔で西村屋をみつめる。
西村屋「私だけじゃない。江戸中、いや日本中が読みたいと首を長くして待ってるんです! 稀代の傑作、八犬伝の続きを、なんとか世に出す術はないものかと、ここんとこ、毎晩あれこれ考えてしまいまして……」
 西村屋、大袈裟に盃をあおる。
 山田屋、懐かしそうに、
山田屋「……売れるモノよりいいモノを。先代もよく、そう熱っぽく仰っていました。山林堂さん、今のあなたは先代そっくりだ」
 西村屋、ハッとして視線を逸らす。
西村屋「……失礼しました。つい……」
山田屋「さっきの話、ウチは構いません。もちろん馬琴先生次第ですが。永寿堂さんなら、ウチより北斎先生と馴染みだ。確かに口説けるかもしれない」
西村屋「……ありがとうございます」
 山田屋、盃を置いて、
山田屋「正直私は、続きを出せないのは、自分のせいだと思っていました。自分にみる目がないばっかりに、馬琴先生の納得する絵師が見つけられないせいだと……八犬伝の続きが読めるなら、版元がどこだろうと、世間は構やしないでしょう……」
 ×    ×    ×
 西村屋、ひとり胡座をかき、酒を呑んでいる。
 芸者、部屋に戻って来る。
芸者「お帰りになりました」
西村屋「……そうか」
 芸者、下座の西村屋の隣にすわる。
 西村屋、芸者に尺をさせ、忌々しげに、
西村屋「何が売れるモンよりいいモンだ。売れるモンに決まってんだろ」

○江戸の町(日替わり)
 残暑蒸し暑い昼下がり。
 どこからか聞こえる風鈴の音。
   
○居酒屋いせや・店内
 客もまばらな店内。うちわを仰ぐ客。
 店の奥にお栄、ふくれ面で机に座っている。
 机に置かれた『占』の小さな行灯。
 店主、行灯をみつめて、
店主「……占い屋はじめるって、ここ、店ん中なんだけど?」
お栄「仕方ないだろ。ここで開くの一番儲かるって、占いで出ちまったんだから」
店主「なんでそっちが怒ってんだよ?」
お栄「……やな予感がすんだ。ここで開くの」
店主「ならよそでやっておくれよ!」

○曲亭馬琴の屋敷・書斎
 開け放たれた障子から、大きな庭が広がる。
 部屋の真ん中には大きな書机。
 曲亭馬琴(66)、縁側に腰かけ庭を眺めている。
 書机の傍、正座する西村屋、馬琴の背中に向かって話す。
西村屋「私共、永寿堂から、八犬伝の続巻を出していただけませんか?」
 馬琴、無言で庭を眺めている。
西村屋「……挿絵は、北斎先生にお願いいたします」
 馬琴、西村屋の方を少し振り返る。
馬琴「……北斎?」
 西村屋、馬琴の眼光にひるみつつ、
西村屋「ええ、今の版元、山林堂さんにも、お許しいただいております。北斎先生も久しぶりに馬琴先生の挿絵を描きたいと……」
 馬琴、庭に向き直る。
西村屋「ただ一つ、北斎先生から、お願いがございまして……」
馬琴「?」
西村屋「北斎先生が仰るには、腕は鳴ってはいるものの、面と向かうと、どうしてもお互いのこだわりがぶつかって、仕事が進まない。そこで、私ら永寿堂が、間に立ってやりとりして、直接会うことのないように、仕事を進められないかと……」
馬琴「……なるほどな」
 馬琴、しばらく考えて、
馬琴「ならばこちらも条件を出そう」
西村屋「?」
 馬琴、立ち上がって、縁側から書机に向かう。
 白紙の美濃紙を広げ、筆を持つ馬琴。
 ×    ×    ×
 足が痺れ、正座が崩れている西村屋。
 馬琴、書机から立ち上がり、
 美濃紙の束を西村屋に突き出す。
 受け取る西村屋。書き連ねられた文の何箇所かの
 文字の傍に、朱墨で線が引かれている。
 馬琴、縁側に歩きながら、
馬琴「そこに書いたのは、八犬伝の続巻、第七集の一巻半ばまで。三つの場面を赤くしるしてある」
 馬琴、縁側に腰を下ろす。
馬琴「この三つの場面、北斎に挿し絵を描かせて来い。下描きで構わん。お前のところで、八犬伝を出すか出さぬかは、その出来栄えで決める」
 西村屋、馬琴の背中を忌々しく睨む。
馬琴「最近、ヤツの錦絵を見たが、少々雑なところがあったのでな……」
 西村屋、背中に冷たい汗が流れる。
馬琴「三日後に持ってこい。腕が衰えていなければ、三日あれば充分なはず」

○江戸の町・日本橋あたり
 美濃紙の束を手に、はや足の西村屋。
西村屋「(独り言)くそおお、あのじじい、めんどくさい事を言い出しやがって……」

○重右衛門の屋敷・書斎
 書棚に、学問の書物と共に並んだ読本。
NA「物語に挿絵のついた読本は、寛政の頃から流行し、文化文政のこの頃が全盛期」
 貧相な書斎。古ぼけた書棚と書机。
 開いた障子から、小さな庭が望む。
 重右衛門の妹、咲(11)、書棚に手を伸ばし、
 一冊の読本を手に取る。
 馬琴・著、北斎・挿絵の
 『鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月』の読本。
NA「後に、日本史上初の専業作家といわれる曲亭馬琴は、駆け出しの頃の北斎を家に住まわせ、自らの本に挿絵を描かせた」
     
○永寿堂・店前
 重右衛門、外から店内の様子を伺っている。
 勤め帰りの装いで、背中に絵筒を背負っている。
NA「一緒に暮らす間、共に数々の傑作を作った馬琴と北斎だったが、馬琴の挿絵への細かい注文に嫌気がさし、北斎は出て行く」
 店内の九兵衛、重右衛門に気づく。
 重右衛門、緊張気味に頭を下げる。
NA「それ以来、北斎は、馬琴の挿絵を描くのを嫌ったという」

○居酒屋いせや・店内(夕)
 店を覗く西村屋。
 入り口付近、背中を向けて座る芳三郎。
 西村屋、駆け寄って肩に手をかける。
西村屋「おい!ちょっと急ぎの話がある」
芳三郎「痛え痛え痛え……いてえよ」
 振り返る芳三郎、疵だらけの顔は赤く、
 かなり出来上がっている。
 西村屋、言葉につまる。
 芳三郎の右腕は添え木が当てられ、
 さらし布でぐるぐる巻き。
西村屋「……お前、そいつはどうした?」
芳三郎「いや大したことねえ。ひと月もすれば、治るってよ……」
西村屋「ひとつき!」
 西村屋、唖然。
 芳三郎、左手で升酒を持ち、
芳三郎「……筆持てねっから呑むしかねんだ」
 失望と怒りがないまぜの西村屋。
西村屋「(呟く)……お栄しかいねえか」
芳三郎「ん? 姐さんならあそこだよ」
 芳三郎、店の奥を指す。
 店の奥でお栄、細く削られた竹、筮竹を握り、
 易占いをしている。
 お栄の前に商家のご隠居のような酔客。
お栄「……探しものは……南東だね」
ご隠居「なんと! なんつって。だははは」
お栄「はい百文」
 入り口付近で西村屋、お栄を呆然と眺める。
 傍で芳三郎、
芳三郎「へへ。昔から勘がよく当たるってんで、占い屋始めんだって。試しに手前を占ってみたら、絵師は向いてねえって出たんで、姐さんもう、絵師、やめるってよ」
 酒をなめつつ芳三郎。
 怒りも呆れも通り越し放心する西村屋。
 店の奥でご隠居を占うお栄。
お栄「……転居は……南南東だね」
ご隠居「な、なんとう! なんてぷぷ」
お栄「はい百文」

○永寿堂・店内(夕)
 疲れきって店に帰って来る西村屋。
 閉店の準備をしている九兵衛ら、
九兵衛・店の者「お帰りなさいませ旦那様」
 西村屋、そのまま框に腰をおろす。
 絵筒と、何枚かの絵を手にした九兵衛、
 西村屋のそばに寄っていく。
九兵衛「(小声)どうでした?」
西村屋「どうしたもこうしたもねえや。あのきおいもんをアテにした私が馬鹿だった」
 九兵衛、どこかほっとした顔。
九兵衛「八犬伝ウチで出せないんですか?」 
西村屋「……なんだお前。うれしそうだな」
九兵衛「いや、そういうわけじゃないですけど、やっぱり良くないですよ。無理に売れ筋作るっていうのは」
西村屋「じゃ何か? 先代みてえに名が知れてねえ絵ばっかり、手前で好き好んで扱って、店、また傾けろっていうのか?」
九兵衛「いや、何もそこまでは言ってません。……でも確かにお客は、絵の上手い下手じゃなく、絵師の名前で買ってきますからね」
 手にしている絵を眺める九兵衛。
西村屋「……なんだいそりゃ?」
九兵衛「へえ。さっき内職の口がないかって、若いお侍が来て、コレ、置いてったんです。なかなか達者でしょ?」
 九兵衛、絵の束を西村屋に渡す。
 一番上、可愛らしい動物達の素描。
西村屋「……ふん」       
 西村屋、めくると、二枚目に草花。
 三枚目に風景。どれも達者な筆。
九兵衛「明日の午後、また来るって言ってたんで、何か草双紙でも頼んでみようかと思いまして」
 西村屋、風景の絵をめくると、
 四枚目に『南総里見八犬伝』の八犬士の一人、犬飼現八の絵。
 西村屋、目を見張る。

○重右衛門の屋敷・外観(夕)
 古くて小さい、質素な武家屋敷。
 戸を開ける音。

○同・玄関内(夕)
 玄関に入る重右衛門。
 トキ(52)、奥から来て三つ指をつき、
トキ「おかえりなさいませ」
重右衛門「ただいま」

○同・書斎(夕)
 咲、畳にうつ伏せ、団子をほおばりながら、
 読本を開いている。
 襖を開ける重右衛門。
咲「お帰りなさい!」
重右衛門「……こら。またトキに怒られるぞ」
 行燈の灯に照らされた、
 咲の読んでいる『弓張月』。北斎の見事な挿絵。

○永寿堂・店内(夕)
 どことなく、北斎の弓張月の挿絵を思わせる
 犬飼現八の絵。
 絵を食い入るようにみつめる西村屋。
 九兵衛、西村屋に、
九兵衛「あ、それも達者でしょ?ちょっと品が良すぎますけど。そのお侍も、なんだか頼りないくらい、おとなしそうなお侍でしたから。どこかの売れない絵師らと違って」
 西村屋の目に輝きが戻る。

○江戸の空(夜)
 夜空に浮かぶ三日月。流れる雲。

○居酒屋いせや・店内(夜)
 店の奥に居座り続けるお栄の姿。 
 お栄、目が座っている。
お栄「……商いは……やめた方がいい」
 店主、店の後片付けをしながら、
店主「だからもう店じまいだって!」
お栄「はい百文」
 ほとんど片付けられた店内。
 入り口付近で泥酔する芳三郎。
 芳三郎、添え木をした右手をみつめ、
芳三郎「ひと月かあ……」
NA「後に歌川国芳として、奇想天外な絵師として名を馳せる芳三郎」
   
○安藤家の屋敷・書斎(夜)
 重右衛門、書机で絵を描いている。
 旅情あふれる風景画の素描。
NA「後に歌川広重として、旅情溢れる風景画で北斎をも超える名声を得る重右衛門」

○芳三郎、重右衛門、それぞれの様子(夜)
NA「江戸末期、浮世絵に更なる進化をもたらしたこの二人の絵師は、真逆な作風ではあるが、年は同じであった」

○永寿堂・客座敷(日替わり・昼)
 天気は良いが閉め切られた逆に座敷。
 重右衛門は上座、西村屋は下座に。
 西村屋、犬飼現八の絵を手にして、
西村屋「ほおう歌川派でどおりでお上手なわけですねえ」
重右衛門「お恥ずかしい。弓張月の北斎の挿 絵を手本に、もし北斎が、八犬伝の挿絵を描いたならなどと、夢想して描いてみたものでして……」
西村屋「……失礼ですが、画号をお持ちで」
重右衛門「はい。十六の頃、歌川豊広先生に広重という号を。しかし、ちょうどその頃、父が急死し、家督を継いだので、勤めの方が忙しく、画号は一度も使えておらず……」
 西村屋、一人頷き、絵を傍に置く。
西村屋「……分かりました。では、安藤様、いや広重先生。早速お願いしたい仕事がございます」
重右衛門「本当ですか?」
西村屋「はい。こちらでございます」
 西村屋、うやうやしく美濃紙の巻物を差し出す。
重右衛門「ほどいて良いのですか?」
西村屋「どうぞ」
 重右衛門、巻物の紐をほどいて中身に目を通す。
重右衛門「……これは、八犬伝?」
西村屋「さようでございます」
重右衛門「……まさか頼みたい仕事とは、八犬伝の挿絵ですか? そんな、無理です!」
西村屋「私もいきなりこんな大仕事は、かえってご迷惑な事とは思いつつも……広重先生、一度、腕試しをなさいませんか?」
重右衛門「腕試し? どういう事ですか?」 

<二話に続く>


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