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『きおいもん』 第二話

○同・店前
 重右衛門を見送る西村屋と九兵衛。
重右衛門「……では明後日に」 
西村屋「誠に、ご足労をおかけいたします」
 西村屋たち、うやうやしく頭を下げる。
重右衛門「いえ。こちらこそありがとうございます。頑張ってみます」  
 ふり返り、去っていく重右衛門。

○同・店内
 西村屋と九兵衛、店の中に戻りつつ、
九兵衛「本当に描くって言ったんですか?」
重右衛門「ああ。無理だ無理だとうるさかったが、しまいにゃ乗り気にさせてやった」
 二人、そのまま店内を抜けて座敷へ。

○同・廊下、客座敷横
 店から客座敷へ通じる廊下、歩いてくる西村屋、
 後を追う九兵衛。
九兵衛「北斎のフリするってことも?」
重右衛門「馬鹿野郎。そんなことまで言う訳ないだろ。それにまだ……」
 話しながら、客座敷に風を通すため、
 障子を開ける西村屋。
 九兵衛、遅れてもう一方の障子を開ける。
西村屋「……本決まりじゃないしな」
 西村屋、上座の座布団を睨む。
西村屋「とりあえず、明後日だ。あの男、生真面目だから、きっと北斎の絵を手本に描いて来るだろ。肝心なのは……馬琴に見抜かれないことだ」
 九兵衛、しばし考え、狼狽気味に、
九兵衛「もしも馬琴先生にバレたら……」
西村屋「なに。命までは取られやしないさ。上手く信じこませれば、ウチから、北斎の挿絵ってことで、八犬伝が出せる」
 西村屋、再び上座の座布団を睨み、
西村屋「……頼むぜえ。広重先生」

○重右衛門の屋敷・玄関内(夕)
 戸を開ける重右衛門。
 重右衛門の顔はやる気に満ちている。
トキ(声)「これ咲さま! お待ちなさい!」
 屋敷の奥から、トキの大きな声と足音。

○同・書斎
 咲、書斎に入り襖を閉め、つっかえ棒をする。
 咲を追いかけてきたトキ、襖の向こうから、
トキ(声)「また書斎に!」
咲「嫌だ! ぜったい嫌! そんなに言うならトキがお嫁に行けばいい!」
トキ「また馬鹿なことを! いいですか? 武士の娘の務めとは、良き家に嫁ぎ、子を成し……」

○同・書斎前、板間
 襖の前で咲に説教しているトキ。
 書斎から咲、トキを遮るように、
咲(声)「だからトキが行って!」
トキ「……私はもう、娘ではありません!」
   
○同・庭
 門から通じる庭、奥に書斎。
 書斎の障子は開いていて、
 襖の向こうのトキと言い争っている咲の姿。
 重右衛門、門から庭にまわり、書斎に上がる。

○同・書斎
 襖を押さえる咲、重右衛門に気付く。
咲「……」
とき(声)「咲さま! 書斎は遊び場ではありません! 早くお開けください!」 
 ×       ×       ×
 重右衛門、つっかえ棒を外しつつ、
重右衛門「また稽古事を逃げ出したのか……」
 咲、寝転んで読本を開いている。
咲「トキの頃とは時代が違うのです。お茶やお花など、無駄な稽古にお金をかけても、これからの時代役に立ちません」
重右衛門「……トキはトキで、お前のことを考えてくれているんだよ」
 咲、本から顔をあげず、
咲「お兄さまのせいです。縁談話など……余計厳しくなりました」
重右衛門「……えんだん?」
 重右衛門、しばし考える。
 何か思い当たり、黙り込む重右衛門。
 咲、不躾な物言いで、
咲「貸本屋には寄ってくれましたか?」
重「……あ、すまん」
咲「もう。咲はお嫁に行くにしても、本や着物を好きなだけ買ってもらえる、お金持ちの町人がよいです。貧乏な侍はもう嫌です」
 重右衛門、ふくれっ面の咲の前に座る。
重右衛門「……永寿堂が絵の仕事をくれたよ」
 バっと本から顔をあげ、咲、得意げに、
咲「ほら。咲の言った通り。お兄さまの腕前なら、火消しより断然絵師です」
重右衛門「(微笑み)くれたはいいが、急ぎの仕事でな。今夜は夜なべだ」  
咲「では咲も手伝います」 
重右衛門「え?」   
咲「奥座敷の、文机を持ってきます!」
 咲、書斎を飛び出していく。
 咲の後ろ姿に、微笑む重右衛門。

○居酒屋いせや・店の奥、お栄の占い屋
 店内はそこそこ賑やかだが、
 お栄の占い屋は閑古鳥。
 お栄、ひとり酒。
 右腕に添え木をした芳三郎、やって来て、
 お栄の前にドカっと座り、
芳三郎「姐さん、ひとつ頼むぜ」
お栄「……悪いね。ちょうど店じまいだ」
芳三郎「おいちょっとちょっと。いいじゃねえかよ。ひとつぐらい」
お栄「お前に関わるとめんどくさいから嫌だ」
 辺りの酔客達、お栄の言葉に苦笑する。
芳三郎「そんなこと言わずによお。ひと月も彫り物柄さえ描けねえんじゃ喰い詰めちまう。本所の骨継ぎより、早くこの手、治してくれる医者教えとくれよお」
お栄「ここは占い屋。よろず相談はあっちだ」
 お栄、酔客達を差す。
酔客A「お。任しとくれよ。番町辺りの華岡流お抱え医師なら、何でも治せるって話だ」
酔客B「バカバカ。お抱え医師が町人を見てくれっかよ。オイにいちゃん、八代州に蘭方医が療養所つくったらしいぜ。貧乏人でも、やくざもんでも診てくれるっていうぜ」
酔客C「やめろやめろ。蘭方医は、腹でも頭でも、すぐかっさばくっていうじゃねえか。ウチの長屋にさ、腕のいい婆さんがいるぜ」
酔客D「腕はいいけど、ありゃおめ、産婆だ」
 芳太郎らを置いてけぼりに、 
 医者ばなしで、勝手に盛り上がる酔客達。
芳三郎「……酒の肴じゃねえっての(呟き)」
 お栄、静かに酒を飲みながら、
お栄「本所の骨継ぎにしときな。ツケ、効くんだし」
芳三郎「……ちっ」

○重右衛門の屋敷・書斎
 文机に伏せ、寝てしまっている咲。
 咲の描きかけの下手な絵。
 向かい合って机を置いている重右衛門と咲。
 重右衛門、絵に集中し、
 咲が寝ているのに気づいていない。
 襖を静かに開けるトキ。
 重右衛門、トキに気付いて、
重右衛門「……ああ。すまない」
 トキ、冷淡な口調で、
トキ「夕げはこちらにお持ちしますか?」
重右衛門「いや、ちゃんと居間でとるよ」
トキ「武士の手習いもほどほどに。明日のお勤めに差し支えますゆえ」
 トキ、咲をおぶって運ぼうとする。
重右衛門「……私が運ぶよ」
 重右衛門、立ち上がり、
 トキに代わって咲をおぶる。
 トキ、咲の寝顔を優しく見つめる。
 重右衛門、小さく微笑み、
重右衛門「……縁談話に、したんだね」
 重右衛門の微笑みはどこか淋しげ。
 トキ、口元に人差し指を持っていき、
トキ「……咲さまが起きてしまいます」

○八代州河岸屋敷・外観
 重厚な門構えの定火消八代州河岸屋敷。

○同・中庭
 広大な中庭。門の内側には高さ三尺程の
 火の見やぐら。火消し道具を納める火消道具蔵。
与力(声)「火事の少ない季節ではあるが、かといって各班警戒は怠らぬよう。火付け盗賊等が警戒の薄いこの時期を狙っておる」

○同・大座敷
 屋敷の大座敷、定火消し達の朝会。
 火消し同心、三十名程が並んで座る。
 列の中ほど、重右衛門も座っている。
 列の前で定火消し与力が声を張る。
与力「また、竜吐水より一回り大きく作られた、雲龍水が各班二台ずつ配られた。こちらは火事場の際、江戸城、および御三家藩邸へ先んじて出動するものと心得よ」
 重右衛門、ばれぬようにあくびをする。

○同・火消し道具蔵前
 蔵の前に重右衛門。
 同心の下働き・臥煙らが十名程が、
 荷車に乗った雲龍水を、蔵の中に運んでいる。
 雲龍水は、五、六人でやっと運べる大きさ。
 臥煙らは明らかに重右衛門より年長。
 重右衛門、最年長の臥煙、哲蔵(51)に、
重右衛門「重くてすまない。私達三班は、どこが火元になろうと、念の備えとして、これを江戸城に運ぶ役目となった。……すまないが、よろしく頼む」
哲蔵「……(頷く)」
   
○同・中庭
 中庭の片隅、蔵前で働く臥煙らの姿を
 よそ目に、重右衛門、枝きれで地面に
 絵を描き、挿絵の構図を考える。

○重右衛門の屋敷・書斎(夜)
 行燈の灯りの下、絵を描く重右衛門。
 手本として開かれた弓張月。
 周囲には丸められた絵がいくつか転がる。

○同・外観(日替わり・早朝)
 白く曇った朝を迎える。

○同・裏の庭
 壊れかけた雨どい、朽ち果てつつある板塀。
 質素ながらも清潔にされた表に比べ、
 生活感のある裏庭。洗濯物を干すトキ。

○同・奥座敷
 書机で伏せ、眠っている重右衛門。
 書机には達者な挿絵の素描。

○永寿堂・店前(朝)
 開店前、店の者が掃き掃除する店前。
 通勤姿の重右衛門、西村屋と九兵衛。
西村屋「……いちまい? 一枚だけ?」
重右衛門「……本当に申し訳ありません」
 ぼう然とする西村屋。
重右衛門「やはり私には無理でした……今から勤めに出ねばならず、夕どき、また改めてお詫びに……失礼します」
 重右衛門、その場を逃げるように去っていく。
 九兵衛、西村屋に疲れた声で、
九兵衛「ほらあ……旦那、もう潮時ですよ。
 あきらめましょう。ね?」
 西村屋、忌々しげに絵筒から絵を取り出す。
 北斎の筆を模した達者な絵。

○曲亭馬琴の屋敷・書斎
 書机の傍、西村屋、畳に手をつき、
西村屋「誠に、誠に申し訳ございません!北斎先生も、急なことで、他の仕事の整理がつかなかったそうでございまして、どうしても、どうしてもこれしか……」
 書斎から出たすぐの庭先で、
 馬琴は重右衛門の絵を手にしている。
西村屋「ただ、馬琴先生が、この一枚だけででも、もし、もしお認めくださるのであれば、今後は八犬伝の仕事に集中してくださると、お約束いただきました!」 
 馬琴、絵をじっと見つめ続ける。
 西村屋、祈るように土下座を続ける。
 しばらくして、馬琴は縁側に腰掛け、
 重右衛門の絵を粗野に置く。
西村屋「……(落胆)」
 馬琴、西村屋に少しだけ振りかえり、
馬琴「今から改めて、八犬伝、第七集、一巻目の稿本を書く。挿絵の場面をしるすので、描かせたものを、また三日後、持って来い」
 西村屋、ハッとして、
西村屋「……え? ということは」

<第三話につづく>


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