サンフランシスコに移住して、新しいサービスを開発しています!
「このサービスを日本でやるなら、エンタープライズに寄り添ってカスタマイズしていくことになるよ。まずは髪を黒く染めてスーツ着るところから。でもそんなこと小川くんはやりたくないでしょ? だったらアメリカ行った方がいいと思うよ。」
「そうですね。うん、アメリカ行きます。」
2022/03/31に東京を離れ、サンフランシスコに移住した
Black Inc.というスタートアップを始めてから3年になる。
ほとんどの時間を、クラウドゲーミングプラットフォーム「OOParts」というサービスをゼロから立ち上げて企画・開発・運営するために使ってきた。
そもそもクラウドゲーミングをゼロからやっているスタートアップなんて、技術的ハードルが高すぎて世界中を見渡しても数えるほどしかいないのに、ビジュアルノベルというディープなジャンルのゲームにあえて特化させているので輪をかけて大変だった。
リリース当初は月に1ユーザーあたり¥2,000の赤字というスーパー逆鞘状態だったが、サーバー費用を削減するために極限までエンジニアリングを行なってなんとかトントンぐらいになっている。
他の業界の人からしたらクエスチョンマークがつくかもしれないが、赤字が当たり前のスタートアップ業界(「バーンレート」という言葉があるぐらいだ)でトントンは最初の成功なのだ。
そして、会社を次のフェーズに進めるため、新しく取締役になってもらう予定のoliverと2人でサンフランシスコに移住した。
Black Inc.のフルコミットは現在ぼくら2人だけで、それ以外のメンバーはフリーランスや副業などの業務委託で、引き続きリモートワークで日本から仕事してもらっている。
最初に断っておくべきだが、「移住しました」と書いたけれど、今回はビザなしESTAでの入国なので3ヶ月で一時帰国する必要があり、正確にはまだ移住できていない。
が、気持ち的にはもうアメリカに住んでいるつもりだし、実務的にも進め始める予定なのでこういう表現をした。
ただし、ビザの発行はめっちゃ大変ということが段々わかってきたので、住民票を移すレベルの移住はかなり先にならないと出来ないかもしれない。
わかりやすさ優先でサンフランシスコと書いているが、シリコンバレーでもベイエリアでも大体同じ意味なので気にしないで欲しい。
なにはともあれ、Why(なぜサンフランシスコに来たのか)を、所信表明としてこのブログを書く。
現地の生活
サンフランシスコに移住と一口に言っても、GAFAM勤務の転勤から、留学まで様々なケースがあると思うので、軽く現地の生活を紹介して「ぼくらの移住」のイメージを掴んでもらおうと思う。
まず、お金はない。
個人の貯金なんてスタートアップをやっているとほとんどできない。
会社のお金も「OOParts」がトントンになっているだけなので増えてはいない。
なのでほとんどのことを格安で済ませている。例えば飛行機は14時間のトランジットがあっても5万円のチケットを選んだ。
当然、家はないし、借りるお金もないので(家賃が異次元レベルで高い。治安最悪でボロボロのアパートが30万とか。東京で自分が住んでいたのと同じぐらいのマンションに住もうと思ったら恐らく60万円ぐらいかかる。)、セカイカメラを作った井口尊仁さんの家を一時的に間借りさせてもらっている。
昨年末にあったサイバーエージェント・キャピタルの忘年会で、サンフランシスコに行きたいけど家がないことを相談したら快く貸してくださった。
ただ1人用のアパートに井口さんの会社のメンバー1人と自分とoliverの計3人で暮らしているのでベッドもなく床で寝ている。
昨日からはエアベッドを日本人起業家のシェアハウス・Tech Houseのみなさんから貸してもらってなんとかしのいでいる。
ただ、一時的にという条件付きなので早めに新しい家を探さなければいけないという状況だ。
(もしシェアハウスや家の片隅でも余ってるよという方がいらっしゃったらご紹介ください!🙇)
ちなみに井口さんは「日本は日々生きてて課題がなさすぎる。サンフランシスコは課題だらけ。だからいい。」と言っていた。まだ数日だがとてもよくわかる。
まず家がテンダーロインという治安が最悪のエリアにそこそこ近いので、夜になると普通に銃撃の音が聞こえる(笑)、昼間に歩道のど真ん中で女性が座ってウンコしている(笑)、などなど日本では絶対に考えられないことが日々起こる。
アメリカのタクシーはぼったくりが多かったことがUberのキッカケにもなっているそうだが、そういう生活上での逼迫した課題が身近にあるのは強い。
でも一生暮らしたいとは思っていない。やはり一生暮らすなら故郷の東京がいい。
サンフランシスコは自分にとっては仕事の場であり、修行の場だ。
ナルトにとっての自来也との2年間であり、プラネテス・ハチマキにとっての「フォン・ブラウン号」クルー選抜試験である。
生活レベルはかなり下がったけれど、それも含めて楽しんで、力強く生きていきたい、そういう感じだ。
Why - なぜサンフランシスコに来たのか
シンプルには、いま作っているプロダクトを真のグローバルサービスにしたいから。
サービスについてはまだ詳しく発表できないが、AirDropやギガファイル便がベンチマークになるようなファイル転送サービスを作っている。
これまでになかったファイル送受信体験を提供して、多くのtoCユーザーに無料で使ってもらうスタイルのサービスだ。
まずサンフランシスコでやるべき理由が資金調達だった。
このスタイルの場合、短期での収益化は望めないばかりか、むしろサーバーコストと人件費が大量にかかるモデルになる。
初期のYouTubeやDropboxを想像してもらえば想像しやすいだろうか。
シリーズA - Bぐらいまでは、toBのSaaS型でマネタイズするにも関わらず、toCユーザーしかおらず売上がほぼゼロ(エンタープライズプランをまだ実装していない)という状態になるはずだ。
その状態で、一定以上のバリュエーション(時価総額)で日本のベンチャーキャピタルから調達した事例を自分は知らなかった。
先輩起業家の人たちと話しても、みんなサービスは上手くいきそうだが、日本のベンチャーキャピタルでは難しそうだという意見で一致した。
(もし日本のベンチャーキャピタルでこういうケースで上手くまとまったラウンドがあれば自分の早とちりです!むしろ一緒にやらせてください!)
これまでの日本のベンチャーキャピタルの方と話してきた経験からしても、既存で似たサービスが存在しないときに「なぜ(アメリカで)存在しないのか」がリスクとみなされマイナス要因になるという印象だが、アメリカではむしろプラス要因になるらしいと聞いている。そういう面でも相性がいいかもしれない。
今回のサービスの目標は、自分たちが提案する新しいファイル送受信体験というか世界観というか、そういうUI as a Brand(Tinderの右スワイプみたいな、DropboxのFinderに同期マークが付くみたいな)を世界に普及させることだ。
基本は自社で上場を目指すが、ユニコーン以上の会社が既存サービスに組み込むことでぼくたちのUI as a Brandをより広く普及させてくれるなら、M&Aも目標のひとつとして視野に入る。
その場合、事業の売却先候補としては、自社でグローバルレベルのデータセンターを保有していてかつtoC向け事業を行なっている企業が中心になってくることが想定される。
そういった企業は世界中でもサンフランシスコ以外にはほとんどない。
代わりにサンフランシスコでは歩いているだけで、あそこも、ここも、と見つけることが出来る。
最後に、起業家である自分自身がグローバルサービスが生まれている空気に触れて、それを内面化する必要があると感じたから。
起業家によって事業の作り方は様々だが、Black Inc.はぼくが信じる実現したい未来と、メンバーの技術的関心が重なった事業を、少人数のエンジニアでガッと作る。
そしてデザインからマーケティング、ビジネスモデルや知財戦略まで、初期はすべてぼくが最終決定するという、どちらかというとアーティストタイプの事業の作り方をしていると思う。
そういうタイプの場合、結局自分の思考と経験が初期プロダクトの上限になる。
グローバルサービスを目指すためには、他のグローバルサービスを作っている人たちと英語でコミュニケーションし、同じようにサンフランシスコの空気を吸って生活して、そのすべてを内面化する必要があると思った。
ここはあまりロジックではなく、感覚的な部分が大きい。
Background - サンフランシスコに来た背景
Whyは書いたが、上記のようなことは日本のソフトウェア起業家の多くが一度は感じたことがあるのではないかと思う。
「自分は本当にサンフランシスコで仕事しなくていいのか」と。
でも、やった方がいい理由はわかっていても、いざ決断することは簡単には出来ない。
だから自分が決断出来た背景も書いておく。
元々キッカケは東京2020オリンピックだった。
日本は終わるなという感覚があった。
開会式を見て、クオリティーの低さ、世界への誇れなさを、自分は感じてしまって廓然としたのを覚えている。
「日本ですごい」ということの価値がどんどん相対的に下がっていって、今後10年ぐらいでほぼ無意味になるんじゃないかと直感的に思った。
いまはまだ「日本で成功した(例えば上場した)」ことの価値が世界に通じているけれど、まったく通じない未来が来るかも知れないという危機感を持った。
例えば、あるサービスを紹介されて「アメリカで流行ってます」だと素直にすごいとなるけれど、「カンボジアで流行ってます」と言われても「他国に似た事例ってないのかな?」とか無意識に考えてしまう。
善悪ではなくそういうバイアスがあることは同意してもらえると思うけれど、まさにそういったバイアスがかけられる側に日本がなるだろう、という危機感だ。
この現状を変えるとき2つのアプローチがある。
世界を変えるか・自分を変えるか、言い換えれば、日本を改善するか・別の国に行くか、だ。
日本を改善しようと取り組んでいる同年代には頭が下がる。
ぼくは、自分を変える選択をした。
どうせ一人の人間が頑張れる限界なんて知れているんだから、それだったら頑張りのレバレッジが一番効くところで仕事するのが正しいなと思っている。
そして日本は、レバレッジが効く環境ではなくなったと思った。
ただし、既に日本で会社を立ち上げ済みで、しかも「OOParts」はビジュアルノベルゲームのサービスなのでむしろ海外から日本に来て仕事をしている人がいるくらい日本が適しているプロダクトなので、すぐには無理だと諦めていた。
去年の後半はそんな感じでモヤモヤした気持ちを抱えつつあまり成果が上がらない日々を過ごしていた。
そんなとき、いつも応援してくれる10年来の親友が「シャキッとしなさい!ふーたならもっと出来るよ!」と喝を入れてくれてた。
そういうときの自分は素直なので、やる気が出てきて、その翌々日から急遽、久々に会社の合宿をすることにしてoliverと2人で福岡に行った。10月中旬のことだ。
福岡の合宿でも既に成果が出ているアイディアが生まれて、息抜きのために多少は観光しようということで、シンエヴァの聖地である山口県・宇部に車で行くことにした。
ところがGoogle Mapsで見るよりはるかに遠く、想定外に片道2時間・往復4時間もかかってしまった。運転しててスマホも見れないし、仕方ないから2人でずっと話していた。
議題のない長時間の雑談なんて久々だったので、いまどういう技術に興味あるか、ゼロベースならどういうサービスをやりたいか、みたいな話を延々としていた。
当時oliverは2021年の冬コミで頒布するウマ娘の同人誌を作っていたのだが、超人気イラストレーターなども含めた30人ぐらいの制作メンバーとデータのやり取りをする中で発生している課題を話してくれた。
そこから、理想のデータ送信のやり方ってどんな形だろうという議論が始まった。
Black Inc.は元々Cryptoベース(Web3)の分散型ストレージを作るために創業した会社で、紆余曲折あって並行してやりたかったクラウドゲーミング事業に集中することになったという経緯があり、自分だけで細々とストレージやファイル転送について研究し続けていた。
それが現実の課題と結び付き、往復4時間の会話の中で、普遍性のある解決策に収斂していった。
合宿から戻ると即座にその新サービスを作り始めた。
これまではコロナ禍もあって物理オフィスを早々に解約し自宅からのリモートワークだったが、スピードと綿密なコミュニケーションが求められる新サービスの立ち上げ時期は物理オフィスが欲しくなった。
仲間がいてかつ格安のオフィスを探し回り、急遽mixiの投資先 or 投資検討スタートアップだけが入れるシェアオフィスに入居させてもらった。
(W venturesの高津さん、piconのしょせまる、SG ENTERTAINMENTのしょたろー、その節はありがとうございました!)
11月下旬にはアルファ版が完成して、関係者や友人に見せ始めた。
反応は驚くほどよかった。あと1年ぐらいで上場するだろうスタートアップからは「すぐ全社に導入したいから見積もりを出してくれ」と言われた。
ターゲットをtoCにするのかtoBにするのかは毎回聞かれた。
自分はNotionやDiscordのようにまずは個人から導入してもらって便利なので仕事にも導入されるというような、toCからtoBに広げていくアプローチがクールだと思っている。
同時に、日本だけに固有の問題に対してアプローチするわけではないので、最初からグローバル向けに展開するつもりだった。
12月中旬に、2つのまったく別方向の人から同時に「アメリカ(サンフランシスコ)に行くべきなんじゃないか」とアドバイスをもらった。
多くのアドバイスがそうだと思うが、本人の深層心理で元々そうしたいと思っていたことを他人の言葉を通して言われたときにだけ価値がある。
ひとつは、中学時代にお世話になっていた寄宿寮の先生。
日本の経済は今後ヤバいしソフトウェアの仕事ならなおさらアメリカの方がいいでしょうと言われ、自分もまったく同意なので何も反論することがなかった。
ならなぜ行かないのか、と自問自答したことを強く記憶している。
もうひとつが、先輩起業家たちとの忘年会。
Uniposの斉藤さん、Yay!の石濱さん、CREW Expressの吉兼さん、ほか数人との会だったが、そこで見せたアルファ版へのフィードバックでもサンフランシスコでやることを勧められた。
そのときに吉兼さんに言われた一言をよく覚えている。
なんかこの言葉を言われた瞬間、あぁ……、サンフランシスコ行こうと自然と決断出来た。
自分が行くことはその時点で決めていた。
だが、フルコミット正社員であるoliverを置いて行くわけにも行かないし、2人で作ってきたから一緒に行って欲しい。
それでも、人のことに無頓着な自分ですら日本での生活をすべて捨てさせるのはとても大きな決断だということぐらいは理解できる。
翌日、oliverに相談した。
驚くほど、本当に驚くほど一瞬で決断が返ってきた。
やはりoliver自身もサンフランシスコでやるべきということを別の観点から考え、薄々思っていたんじゃないかと思う。
そこからはとんとん拍子に話が進んでいき、03/31の飛行機に乗ることになった。
こうして改めて振り返ると、自分の気持ちと、プロダクトと、タイミングと、仲間と、そのすべてが重なったからこそ奇跡的に出来た決断だった。
偉そうに、WhyとBackgroundを書いてきたが、最初にも記した通り、これはいまの自分はこう思ったという所信表明のためのブログだ。
3ヶ月過ごしてみて、全然成果が出ないかもしれないし、生活が大変すぎてプロダクト作りどころじゃないかもしれない。
日本でやるのが正しいと、180度意見が変わっている可能性も大いにある。
それでも。
それでも、それは誰かの受け売りじゃない、現地に来て自分の身体で感じた、サンフランシスコを内面化した自分が出す結論だ。
そのすべてに価値があり、そのすべてが今回のプロダクト作りには必要だと思っている。
よくある質問
OOPartsはどうなるんですか?
変わりなく引き続きやり続けます!
日本のメンバーを中心に開発・運営していく体制が整っていて、4月を目標に日本のメンバーが作った大規模な新機能もリリース予定です!
自分も合間の時間を使って関わっていきます。
NFT Gatewayをやるんですか?
2022/03にリリースしたばかりですが、次のプロダクトにNFT Gatewayは関係ありません。NFTも関係ありません。
NFT Gatewayは単体で自分が欲しいと思ったのと、NFTも含めたWeb3全体の最近の知識がアップデート出来ていなかったのでその復習のために作ったプロダクトって感じです。
Web3は関係ありますか?
Web3は中長期では関係ありますが、初期のプロダクトでは関係ない予定です。
ただサンフランシスコに来てみんなが予想以上にWeb3しかやっていないので絡ませるのを前倒しするかもしれません。
英語は大丈夫?
自分は高校3年生の「これが赤点になったらどんなに頑張っても擁護しきれなくて落第になる」と言われたテストで赤点を取った男です。
ちなみになんとか擁護してくれて卒業できました(竹山先生ありがとう!涙)。
なんとか日常会話は出来ているのと、あとはエンジニアリングの専門用語が出てくる会話は出来そうです。
ベンチャーキャピタルにプロダクト説明したり、ピッチしたりが厳しそうなので頑張って勉強していきます。
物価が高いらしい、家が高いらしいけど大丈夫?
家を間借りさせてもらっているのは書いた通りです。
物価も噂通り高くて、渋谷だったら¥1,000ぐらいのランチが¥2,500 - ¥3,000ぐらいになります。
最近の為替相場はもちろん、クレジットカードの為替手数料とチップが忘れがちですが意外と積み上がっていきます。
なので基本は自炊でやっていくしかなさそうです。
アメリカに行くためにはどうしたらいいですか?
大きな問題は、家、ビザ、英語の3つだと思っています。
ぶっちゃけそれが解決すればそれ以外は大した問題はないかなと感じています。
日本のスタートアップで同様のことをしてる会社はありますか?
日本で創業して数年してからサンフランシスコに来たスタートアップってありますかね?自分は知らないです。
Treasure Dataはそうだと思っていましたが、調べたら最初はサンフランシスコで創業して、それから1年後ぐらいに日本法人子会社を設立しているパターンでした。
まだ来て間もないのに言うのもおかしいですが、自分はもっと他の会社も来た方がいいと思っているので、ナレッジを定期的に発信していきたいと思っています。
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