見出し画像

今日は24節気の立春、今日から新しいエネルギーが世に流れ出します。今年の立春は、単なる立春に在らず。令和初の立春となる大切なタイミング、節分までは次の流れに乗るチャンスがあったと思うので、さまざまなできごとが最後のチャンスのために巡って来たと思います。

貴方は、それをきちんと手にできましたか?

2020年に切り替わるくらいに「年が明けたらいのちについての啓発を」と、降りてきました。いのちは自己責任で守るもの、でも大切じゃないと守らない。だから、大切なんだと伝えてね、と。急に降りた難題にわたしは悩みました。人間ならばいのちが大事なことは潜在意識にインプットされているはず。しかし、どうも世の中はそうではない。おかしいな、どうしましょう?苦肉の策で、いのちについての教室を開いたけれど、まあ見事に誰もこない。ある日ひとりの受講生がいらして、生きる目的をお持ち帰りになった。

やっぱり、必要なんじゃん!

そう思った矢先、こちらの映画で知らされる。


画像1

もうそんな悠長なこと言ってる段階じゃなかったー。10年なんてあっという間、2030年は目と鼻の先。SDGsの真意を知ろうよ!みんな!平和ボケしている場合じゃないよ!伝わる未来が悲しくて、ほんまに半日泣いて過ごしたほど。いまさらいのちの話なんかしても、意味ないんじゃない?

で、そんなとき、こちらの言葉に出会うわけです。

美学、美徳。昨今めっきり耳にしなくなりました。わたしは霊媒師ですが、霊媒師だからこそ生死に多く触れますし、嘘がない世界を歩きます。そこで出会うのが、浅ましい人々。

霊媒の世界は躯体なき世界。故にその浅ましさも浮き彫りになります。そして、生死の境を彷徨うと、人間一度は浅ましい世界を垣間見ることとなる。問題はその先、浅ましいままで終わるのか、それとも美徳に従い生きる道を選ぶのか。いのちのクオリティーは、ここで決まるのだと気づいたのはまさに節分。浅ましき人間が増える世に未来はない、であれば、質の高いいのちを育まねば意味がない。

かくいうわたしも、育ちの良い身分ではありません。では、どうするか。知ればいい、学べばいい、そう思ったのです。3月からいのちの教室改め令和美徳研究会を立ち上げてみよう、と。できないから学ぶ、それが成長の基本だと思うから。


パラダイスキスの、アトリエみたいな時間が作れたらいいな。もうその場所はないけど、昨年春に他界した戦友もきっと、そこには参加してくれる気がするから。日本の未来といのちのために「美徳」について「美学」を戦わせる時間、始めます。詳細は後日、お楽しみに!









日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。